公園の横を 通りながら、
(数年前、ここで雨宿りした…)と 思い出した。
そこから100mほど進んだところで、
見慣れない自然現象に 出遭った。
前方100mくらいの 光輝く(明るい)空と 地面の間を、
斜線(右上から左下への 透明な破線)が、埋めつくしていた。
「?」
急いで公園まで引き返し、木陰にたどり着いたときに、
「ザー」
結構な量の 雨が降ってきた。
木の下で、鞄を頭に被って、
なんとか ズブ濡れにならずに済んだ。
『今日は 夕立などは降りません』と、
天気予報(ラジオ)が断言していたのを 鵜呑みにして、傘を置いてきた。
10分くらい 雨宿りしている間に、たくさん 蚊に刺された。
人の良心を 信じたいのはいいが、
情報(マスコミが発信する 大雑把な情報)を盲信し、直感を鈍らせると、
不愉快な目に 遭うのだ。
わかった?
森の中は セミの大合唱。
(ツクツクでない、ミンミンでもなく、ジージーでもない音)
カラスの声が 小さく聞こえるほど。
閉門時間は、午後6時になっていた。
これから 冬至までは、20分単位(?)で 閉門時間が早くなり、
最終的には、午後4時になる?
生霊と云うものが、もしも 存在するならば、
それは 多分、私に似ているだろう。
【しあわせ】は、他人の人生に 起こるものだと思い込み、
自分の人生に 許されているのは、暴力、罪悪感、贖罪、飢え、孤独、孤立、闇、流血、痛み、絶望、…
そんなものだと 信じきっているくせに、あまり自覚がない。
良い行いをしたとしても、贖罪のひとつに過ぎないと 自分を責め、
心が晴れたとしても、嵐の前の 静けさではないかと、おびえてしまう。
…愚痴や 人の悪口は、言わないようにしている。
…それは、反面教師が身近にいて、
…そう云うことを 言う人たちの顔色が、よろしくない(灰色に見えることがある)のを、目撃してきたからだ。
…だからと云って、
…感情を押し殺したり、むやみやたらと我慢すれば、
…それもまた 毒になる。
現実世界で、粗雑(不当)に 扱われることに 慣れていた私でも、
今年は 不快に思った。
母の誕生日のこと。
『たまには顔を見せろ』そう言う親父に、
「母の誕生日には 実家に行く」と告げた。
その数時間後、母から電話があった。
『その日に、●●●(弟)が来ると 電話があったから、あんたは 別の日にした方がいいんじゃない?』
先に約束した 私を退け、
アルコール依存症の長男を、当たり前のように 優先する。
私を気遣うフリをして、私を傷つけ、
依存症者を甘やかし、底つき体験や 感謝からも 遠ざけている。…
『o(^-^)o』さんが、無神経なことを書き込み、
天狗ども(自分が正しいと信じ、弱った人間の痛みを想像できず、場にふさわしい言葉を選ぶこともできないほど病んでいる人たち)の 遊び場になってしまった『自殺防止サイト』の 私のスレッドに、
『思い上がりも甚(はなは)だしい』と、書いた人がいた。
言葉の上っ面だけを見て、
自殺志願者(弱者)らしくないとか、
素直じゃないとか、
謙虚じゃないとか。
貴方のなさったことは、
言葉による虐待、殺人に等しい行為でした。
おわかり?
現実社会で、譲って譲って、
頭を低くして、
なるべく 卑屈にならぬよう踏ん張って、
出来る限りの感謝をして、
でも しいたげられて、
言いたいことも 言えないで、
だから、インターネットの『自殺防止サイト』で 訴えていた。
それを『傲慢』とか『思い上がり』と決めつけて 黙らせようとは、どう云うことか?
自殺防止ではない。
自殺へ向かわせる言葉の暴力、精神的虐待そのもの。
私は、既に 心が死んでいたので、
改めて 自殺せずに済んだけど、
私の中で 溜りに溜った負の念は、
今頃になって、噴火しかかっている。
自分の しあわせと云うものを 肯定しないと、
もう もたないと感じている。
あのサイトに かかわり、
私を冷笑したり、利用したり、見下した人には、
自分のした『残虐行為』を、自覚して戴きたい。
口先だけの謝罪などは いらないから、
同じような 偽善に基づく行為を、誰かに対して繰り返すのは 止めた方がいい。
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