忍者ブログ

2012-07-13(Fri)

いくぜ なんこく

森の閉門時刻は、6時20分になっていた。
夏至の頃は、6時30分だった。
(10分 早くなった)

雀が 1羽で遊んでいた。
人の 踏み込めない 木立の根もとから、私を見つつ。

4万2千円の臨時収入があったので、
墓参りの手配をした。

連続した休みが とれない、
ワーキング・プアな パート・タイマーゆえ、
日帰りが望ましい。

しかし、飛行機代だけで、(正規料金では)片道3万円かかるとのこと。
(予算オーバー)

早朝に出発し、翌日(パート出勤日)の早朝に戻る、
ビジネスホテル1泊+航空機のセットに 申し込んだ。

どこぞの祈祷師が、
(心理のプロであることを売りにして、インターネット・カルトで 目をまわしていた莫迦(私)を、心的外傷・希死念慮に苦しんでいた 莫迦の精神(念)を、キャッチ&リリースした人物が)
伊予ノ国に いたらしく、
何かにつけて『われわれ四国の専門家は』と 書いていたことが、
私には 業腹だった。

(自分が 行きたくても行けない 土佐を含む)
四国の地まで利用する(けがす)かに思え、不愉快 極まりなかったのだが、
そんな憤怒は、私が 土佐の地を踏みさえすれば、
雲散霧消するだろう。

立派なことを考える頭を持ち、
晴れがましいことを発信する技を持ち、
社会的地位や権威があろうとも、
快適で愉快な 自分の暮らしを守るために、
(心理的に)他者を殺す人は、
(人の世で 疎外されてきた私が、野獣のように 彷徨し続けることを 是とした人は)
修羅の道を ゆく人だ。

何故なら、
その振る舞い(病める者:私への対処)は、
闇(病み)そのものだから。

天は 闇をもって、人に問うことがあるのだ。
闇を背負う者を、
「あざけるか?」
「排するか?」
「冷淡に見るか?」
「いたむか?」
「ともがらと見るか?」

あざける人、
排除する人、
冷たく見る人は、
鬼の道を 行く人だ。

あたたかい目で見る人、
仲間と見る人、
共に生きる 手だてを 考える人こそ、
まことの人(成人であり、子どもや弱者に 希望を与えうる人)かと。

パート先で私は、日々、情けない思いをしている。
1番うれしいのは、
…仕事を終えて、部屋の出入口に立ち、退勤の挨拶をするとき。

残る方々が 忙し過ぎて、
何の返答も(反応も)返ってこないときは、
少し寂しいけど、
(自分が1日過ごした空間に、わかれの挨拶ができた)と思えば、わりきれる。

適性が無いらしい仕事を、不健全な心身でやっているのだから、
現場で粗雑に扱われたり、バカにされても、仕方ないかもしれない。

ギョッとすること、心臓に悪いことがあっても、
穏やかな氣を発する人が、1人いてくれれば 耐えられる。
PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字