立秋を過ぎた日の、四谷 蟻ん子。
数十年ぶりに 足を運んだファンも いらしたそうで、いつも以上に 華やいでいた。
真昼みたいに眩しかった。
私は 借りてきた猫のように、静かに聞き入った。
しますえさんの歌「ラ・ボエーム」の 歌詞の一節(スイタ腹ヲ カカエナガラ)だけが、
…実感を伴って感じられるから、笑ってしまう。
松山善三さん訳詞の、
しますえさんの「百万本のバラ」を 聞いていたら、
私の魂が、制約の多い 身体を脱け出して、
踊っているような 錯覚に陥った。
勝手気ままな、見えない そのダンサーは、
歌の中で、1番 素敵な(と 私が思っている)ところ、…
旅回りの 汽車の中で、踊り子は、
見知らぬ誰か(バラの贈り主)の 想いの深さ(純粋さ)に、
きっと 気づいてくれる と云うような、
希望が うたわれているところを、
当然のように あっさり飲み干し、
『ええ、知ってるわ、私と あなたは、本当は ひとつながりの存在よ』
と 言い放ち、踊り続ける。
(自由過ぎると、情緒的には 無味乾燥になってしまうものかもしれない)
松山善三さんで思い出す、一本の鉛筆。(広島の歌)
美空ひばりさんが歌っていた。
しますえさんの「津軽のふるさと」は、それはそれは 素晴らしく、
見えない観客(美空ひばり その人)も、満面の笑みをたたえ、私の肩に乗って 聴いていた、
…みたいな 気がした。
ピアノ、壊れてしまわない?
と思うくらい、激しい一幕もあった。
(私以外にも、そんな感想をもらした人がいた)
(そこまで、激しく弾ける楽器だったのですね。雄太さん)
朝吹さんの歌が、いつもに増して 情熱的だった。
「水に流して」は、
噂に名高い 映画(風と共に去りぬ)の ラストシーンは、かくやと思った。
(その映画を見る機会は、私には まだない。人から 話に聞いていて、想像ばかりしている)
ベースの音を 聞き分けたいと思ったけれど、
…素人の哀しさ。
(この音が無かったら、響きが薄くなる?)
などと云う、ぼけたことしか 感じられなかった。
若い人たちには、たしかに 独特の 華がある。
(海児さんは、蟻ん子の開店より後に、誕生されたとのこと。
頭の右側に、ツノ(触角?)のように 突き出ていた1束の黒髪さえも、光り輝いて見えた)
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