で、下草は 必要ないかって言うと、下草が あるから 低木があって、中間の高さがあって、高い木が あったり するんですけど、
1番 高い木も、下草がないと 駄目なんです。
「ですから ドイツ語では、“Der Wald, unter dem Wald.”(ディア バルト、ウンタ デン バルト) 森の下には、もひとつ森がある、と云う諺(ことわざ)が あります」
「いっけん 邪魔ものに見える 下草や 低木が、上の森を 支えてる 下の森です」
「森とは、(※ 同じ)木が 3本で なしに、こうぼく(高木)、あこうぼく(亜高木)、ていぼく(低木)、したくさ(下草)、土の中の カビや バクテリア」
「いろんな生き物が、いがみ合いながらも、少し がまんして、共に 生きてる」
「これが 本当の 生物社会、森の姿です。おっしゃるように」
今、聞きました?
本当の 森と云うのは、いがみ合いながら、競争しながら、みんなで 少しずつ 我慢しながら、共に生きてるのが 本当の自然の姿。分かりますね?
『はい』
旦那とも、そう云う関係を 築くと いいんですよ。
『いろんな種類が、混ざりながら』
いろんな種類が、混じりながら、それが まさに、自然だって云う。
その 自然の木が、どう云うとこに 残ってるかって言うと、
さっき、先生、ちらっと おっしゃいましたけど、
日本では、鎮守の森って 呼ばれてる森が、1番 残ってる可能性が 高いんですね。
「はい、鎮守の森とか、古い 屋敷林なんかです」
「案外、山に ないんです」
「私が 最初に、1960年に、ドイツから 帰りまして」
はい
「はじめは、潜在自然植生って云う 概念を、忍術じゃないかと 思ったぐらい(※ 分からなかった)」
「今でも、分からん学者も いますけど」
「と言うのは、上っ面だけで 見ますと、ちょうど、銀座を歩いてる 素晴らしい お嬢さん方と 同じように、みんな その、素晴らしいでしょ」
「中身のことは よく分からない(※ 綺麗に お化粧されている。姿だけで 人の価値が 決まるなら、上等に見えるけど)…」
ヒー
「で、学生に 教えるときに、潜在自然植生とは、厚化粧を されてる中で、触らずに 中身を 見るようにして」
「現場、現場、現場です」
「現場に行くと 必ず、自然は 微(かす)かな情報を 発してる」
「自然が発してる 微かな情報から、見えない(※ 部分を含んだ)全体を、どう 読み取るか、これが 人間の 英知であって」
「コンピュータで 計算できる問題、その 背後に あるものを、つかまなきゃ」
ん
「命も 環境も、今の 進化してる 科学技術は、死んだ材料では、月まで 行けますが」
「命や 命を支える トータルな環境に 対しては、残念ながら、極めて 不充分な訳です」
んー
「もし それが トータル(※ 完成された技術)であれば、70億人(※ もいる 地上)の 人間の、1人くらい、千年、3百年、2百年、生かしても いいはずでしょう?」
「今の 科学技術・医学(※ では)、ひとりの人間、1本の雑草も、死んだものを 生き返らすことも 出来なきゃ(※ 出来ない上に)」
「細胞ひとつ、DNAひとつ、中を 多少、入れ換えは できますけど、作ることも 出来ない」
「我々は、今の 科学技術・医学によって、大変 素晴らしい生活を 享受しています」
「しかし、残念ながら、命に対しては」
「40億年 続いてきた 遺伝子が、今まで 続いて、我々が ある訳です」
「それを支える トータルな環境に対しては、まだ 極めて 不充分であると」
んー
「だから 分かることだけで、限られた 時間と 要因で 調べて、ここまでは 大丈夫だ と云うこと(※ 判断してきた結果)が、不幸な 今度の、福島の 原子力の問題でも、そうでございまして」
んー
「も少し 自然の…」
「我々は、どんなに 科学技術を発展させても、腹が立っても…」
「この地球上に 生かされてる限りは、物と エネルギーと、紙切れの 札束と、株券だけじゃ 駄目なんですよ」
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