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2011-05-23(Mon)

ラジオの話 ①

(平成23年5月21日土曜日に、ラジオで聞いた音声を、文字に 起こしてみる)

『みやわき あきら(宮脇 昭)さん、1928年 岡山県生まれ、83歳』
『農家の四男に生まれ、水田で苦労する人たちを 見て育ち、広島文理科大学、現在の広島大学に入って、雑草の生態を 研究します』

『大学卒業後、横浜国立大学の助手になると、日本中の 雑草と植物を 調べて歩きました』
『その調査が認められ、1958年に ドイツに留学』
『そこで 生涯の恩師となる 植物学者に出会い、その土地に 本来 育つ、本物の森を 作ることに、力を注ぐようになります』

『1960年に 帰国してからは、それまで 調査で歩いた 土地を まわって、猛然と 植樹を開始』
『その土地に合った こうようじゅ(広葉樹)を、数種 混ぜて植える 宮脇方式の 森づくりは、日本はもとより、海外にも広がっています』

『40年間で植えた 木の数は、4千万本』
『80歳を越えた今も、1年のほとんどは 植樹で 全国をまわっている、横浜国立大学名誉教授、国際生態学者の 宮脇 昭さんが、今日のゲストです』

 宮脇 昭さんです、こんにちは。
「こんにちは」
『こんにちは』
 きなりの、長袖のシャツを、まくり上げて お召しになってまして、日に焼けていらっしゃってねぇ。お元気そうで何よりで。

 私、ずいぶん前から 宮脇先生には ご出演を お願いしてるんですけど、…
 だいぶ以前に、NHKのテレビで 拝見しまして、
「はい」
 僕が、仕事をしている書斎の、窓の下の方に、木の かんむり(冠)、頂点が見えてたんですけど、
「はい、樹冠(じゅかん)ですね」
 樹冠(じゅかん)です。それ、何の木だろうなーと思っていたら、…宮脇さんの テレビを見て、あれが タブの木だってことが分かって、
「ああ、それは本物ですよ」

 それが7年前のことなんです、樹冠が見えたのが。
 僕、5階に住んでるんですけど、7年経ってその タブの木が、ガーっと大きくなってきて、今、書斎を 覆い被さるようになって、木の陰に、書斎が なったんですけど、
 先生が テレビに出てたときに、… 
 昔は、関東平野を かなり いっぱい このタブの木が 覆っていて、今では 浜離宮に、
「はい」
 タブの木が、何本か集まって 集合体が、しっかり生えていて、
 この タブの木と云うのは、幹も そうですけど、葉にも 大量の水分が 含まれていて、
「はい」
 火事などのとき、隣家に タブの木が 植わってると、隣家で 火事があっても、その タブの木が 防火林の役目を 果たしてくれて、
 非常に、生命にとっても 貴重な木だって云うことを知ったのが、宮脇さんが テレビに出ての お話だったんです。
「はい」

 それからずっと、その タブの木を見るたびに 宮脇さんのことを 思い出して、これが タブの木かって。
 花が咲くと、綺麗な花が咲いて、
「はい」
 どんどん どんどん 伸びてくんですよ。
 僕、そのときまで、タブの木って云う名前を、愚かにも 知らなかった。
 これは、本当に、日本で 昔からある木なんですね、
「はい」
 タブとか、シイとか、カシとか。

「実は、残念ながら植物の世界も、にせものが横行している訳です」
 ええ
「本物とは、厳しい環境にも耐えて 長持ちするものです」
「本来、日本列島の大部分は、冬も緑の 常緑の、海岸からずっと、かなり奥地まで、北は 釜石の北まで」
 はい
「日本海側は、酒田市の北まで、タブの木、それからシイの木、シイには スダジイと コジイとあり」
「それから カシには、シラカシ、アラカシ、ウラジロガシ、沖縄には 沖縄ウラジロガシとありますが」
「その シイ・タブ・カシ類が 日本文化の原点、しょうよう じゅりん(照葉樹林)文化とも、言われてます」
「その1番 もとになるんです」
 しょうようじゅぶんか…
「しょうようじゅりん」
 しょうようじゅりん
『照らす?』
「照り葉の」
 あの、葉っぱが 落ちないんです、1年中。
「そうなんです 常緑で、葉が広くて、太陽の光に輝いて 光沢がある訳です」
 タブの木なんかは 水分が たっぷりあるから、キラキラ光るんです 葉っぱが。
 常緑樹の広葉樹なんですけど、太陽の光で、葉っぱが 光るんです。
 だから、照葉樹って云う言い方も するんですけど。
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