永六輔さんが、今朝、3月10日の 下町大空襲の話を してらっしゃったんですけど、
下町大空襲では、大勢の方が 亡くなったんですけど、
あの、被服廠(ひふくしょう)跡(※ 旧 陸軍 被服廠(工場) 跡地)に 逃げた人たちとね、
「はい」
今、清澄公園て 公園に なってますけど、そこ(※ 岩崎家の 庭園だった所)に 逃げた人たちが いるんですけど、
被服廠(ひふくしょう)の方に 逃げた人たちって云うのは、殆ど 亡くなったんですね。
「そうなんです。4万人 逃げ込んで、わずか30分で、3万8千人が 亡くなってるんです」
ええ
「国会図書館にある 土木学会誌に、ちゃんと 記録がある訳です」
はい
「いっぽう、2キロか 3キロ離れた、私も 調査しましたけど」
はい
「今の 清澄公園は、わずか 幅2メーター、3メーターで、タブの木、シイの木、カシ類の、冬も緑の 常緑の、火防木(ひぶせぎ)であり、防災環境保全の、森の壁が できていた」
うん
「だから、あすこに逃げ込んだ 2万人は、誰も亡くなっていない」
そうなんですよ。
シイ・タブ・カシの木で、2万人 逃げ込んで、ひとりも死ななかった。
ほんのちょっとしか 離れてないとこなんですけど、いかに これ、強い木かってことが 分かるんですけど。
「同じことは、阪神・淡路大地震でも、私も 現地調査しましたけど」
あの 僕、写真 拝見しました。
「何を?」
タブの木みたいなのが、何本か 並んでる、…
「あれ カシ、カシ」
あれ、カシですか?
「カシです、はい」
そこで 火が止まってて、建物は 無事だった写真、
「後ろの、はい」
見ました。
「アパート 生き残ってる」
「それで 今回の 不幸な、東日本大震災」
「私は ちょうどその時は、インドネシアの、森づくりに、依頼されて 行ってたんですよ」
「山から下りて、あの ローカルなテレビで、チカチカ 光る中で、…大水の中に、車や家が 流れてる」
「どこの国の話かって言ったら、『ヤパン(Japan)』と言う。びっくりしたんですが!」
インドネシアで ご覧になったんですか、あの映像。
「はい、はい」
「それで、帰って早速、入れるようになったら、現地調査に入りました。3回 行きましたけど」
「不思議に、新日本製鉄で植えられたり、イオンで植えられた シイ・タブ・カシ類は、釜石の北まで、シラカシ(白樫)も」
「新日鉄の 釜石製鉄所なんか、だいぶ 壊滅的に破壊されたけど、残ってる白樫は、10メーター以上」
「そして この、今、不幸な問題が、起きまして、今度 森づくりを やって戴くことになっています、たとえば、この 南三陸町の」
はい
「あの町長、非常に 熱心でございますけど」
「そこの斜面は、大津波が来まして、全部 ダメになってる」
「役場も みんな、疎開してる訳ですが、そこに大きな タブの木が、…ここにありますけど 写真が」
それ 残ってますよね、これねぇ。
「そこで 火が止まってる訳です」
見て、このタブの木の…
『根が深いってことですか?』
あのね、シイ、タケ、…シイ、あの…
「タブ・カシ類は」
あのね、ちょっと話しますと、針葉樹ってありますよね、松だとか、ヒノキとか。
あの 針葉樹ってのは、根が浅いんです。
シイ・タブ・カシって、この照葉樹ってのは、根っこがね、しんこーせーがある…深い。
「しんこんせい(深根性)、ちょっこんせい(直根性)」
直根性。
深く 真っ直ぐ行く、シイ・タブ・カシ類は 根っこが、照葉樹は ガーっと、だからね。
松林って、以外に ダメなのは、根が浅いんです、針葉樹だから。
で、さっき出てきた 新日鉄だとか、イオンと云うのは、宮脇方式の 森を作る運動に、ずっと 積極的に 参加してらっしゃって、
今、東北地方にあった、新日鉄だとか、イオンに植えていた 宮脇方式による、作った森は、無事だったと云う お話を、今 終わった、と云うところですね。
「はい、そうです、はい」
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