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2011-05-24(Tue)

ラジオの話 ②

「実は、人類文明と云うのは、照葉樹林帯に発展したんです」
 はい
「ひとつは、西の方では 地中海地方です、これは、雨が少ない…」
 地中海の話
「はい、地中海地方ですと、葉が硬くて、広葉樹と云う」
「オリーブの葉っぱみたいに 毛があって、蒸散を防ぐ」
 オリーブは、うすみどり(薄緑)みたいで、葉が ひょーって細長くて、今、日本でも 流行ってますけど。
「そう云う カシの類ですけど」

「そこに、人類文明は、メソポタミアも、エジプトも、ギリシャも、ローマ帝国も」
「その、常緑広葉樹の、硬い葉の、広葉樹林帯」
 はい

「彼等は 森を、かつては、神さまのように 思っていた訳ですが、…ある、…その、…」
「森の神さまを、…征伐する 王さまが、出てきまして」
「でも、…いわゆる、うやまう(敬う)気持ちが なくなったから」
「メソポタミヤも、エジプトも、ギリシャも、森を破壊して、都市ができ、文明ができた」

「ところが、森を、全部 破壊したときに、あの… 人類文明の 基本と云われる、メソポタミア文明も、エジプト文明も、ギリシャも文明も」
 はい
「そして、…あの当時、1番 強大な ローマ帝国も、千年もたず 滅んでしまった訳です」
 みんな、ローマにしても、ギリシャにしても、…今にして思えば、岩山みたいになって、
「そう そう、おっしゃる通り」
 木なんて 生えてないですもんね。
「はい、はい」

「いっぽう、照葉樹林文化と云われるのは、日本列島の」
「北海道 山中を抜けて これから、中国の、揚子江(ようすこう)から、南から ずっと、ヒマラヤの中部まで」
 はい
「三角地帯とも 云われますが」
「それが 照葉樹林文化帯とも、京都学派の人たちをはじめ、言われてる訳」
 照葉樹林文化帯と、京都学派の人は言っている。
「その中の…」
 先生、早口ですね。ときどき、翻訳しないと。はい

「その中の、1番大事なのは、おっしゃったように」
「今、にせもの、…」
「皆さん、桜や柳は 知ってるけど、タブの木を ご存じの人は 非常に少ない」
 タブの木は…
「そりゃあ、久米さん、本当に本物ですよ、そりゃあ」

「タブの木と云うのは、1番 いいところに ありましたから、…」

「いけだ やさぶろう(池田 彌三郎)先生、かつての 慶應大学の」
 はい
「その恩師の、おりぐち しのぶ(折口信夫)先生が、民俗学者で有名な」
 はい
「能登のタブ(椨)の木の」

「古代史と云う本を 書かれたとき(※ その本の中の)に」
「戦後の厳しいときに、大きな タブの木の 写真があって(※ 解説がなく)、意味が 分からなかったと」
「で、池田 彌三郎先生は、探し探して、丁度、ご退官の年に、横浜国立大学の、宮脇 昭のとこに 来られまして」
 はい

「で、私は、タブの木とは、日本文化の原点であると」
「1番 土壌の良いところに、1番 発展してたから、最初に開発されて、水田や、集落や都市になって、今では 鎮守の森しか 残ってないと」
 んー
「本物とは、しかし、厳しい環境に耐えて 長持ちするもので」
「ご覧のように、今、久米さんが おっしゃった、浜離宮は、2百数十年前に 出来てる」
 んー
「150回の 江戸の火事にも、関東大震災、焼夷弾の雨にも(※ 耐えて)、生き残っている」

「もうひとつ、シイは ですね」
 ええ
「シイと云うのは、スダジイと コジイとあるが、関東は スダジイだけです」
 はい
「それは、しば しろがね(芝白金)の 自然教育園も、2百数十年前に、江戸屋敷を 作るときに、どっかの 殿さまが」
 はい
「やはり、マウンドを築いて 植えた」
 今、自然教育園に、ばかでっかい カシか、シイの木が あります。
「それが、国の天然記念物に なっているぐらいです」

「カシは、昔の、生き残った集落は、北風を防ぐため」
「西日が当たれば、かいこ(蚕)も(※ 死ぬから)って、(※ 西日除けの、生け垣にして)…」

「シラカシや、アラカシや、ウラジロガシ、それから 関西イチイガシ、沖縄では 沖縄ウラジロガシを中心に やってきた」
「その、まあ、いわば、日本民俗の、日本文化の原点であるのは、シイ・タブ・カシ類が しゅぼく(主木)であって、それを 照葉樹林文化帯とも 云われる」
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