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2012-01-12(Thu)

南無弥勒仏(合掌)

昨年から、森に通っている。
最近は、ブログの更新も、森を訪ねた日に限って(本物の森で 選んだ言葉を、発信するようにして)いる。

2008年の、冬至の頃だったか。…
私に向けられた 下品な言葉を、仮想空間で発見したのは。

あざけりか、憐れみか、なぐさめか、
書いた人の意図は 知らないが、
…私は、侮辱かつ 悪意として、受け取った。

ネット上の つたない言葉だけで、私の性格まで 判断した上に、
笑いながら 裁いてみせるとは、いい度胸だと思った。

野獣などと 称していたが私は、実際のところ、殆ど怨霊だった。
(しかし、善良な人を 害したくはなかった)
(浄化を願って 努力してきたのに、どんどん闇に染まり、怒りを抱え込み、それでも 人を傷つけたくないと、苦しんでいた)

そんな私に 喧嘩を売るのか?
死にたいのか 貴様?
いい度胸じゃねえか この野郎!

(呪うつもりは なかったが…)
怨霊を 招いておいて、適当に 追い払おうとすれば、…
それは業となり、その報いは、
人類の誰かに、めぐってゆく。

(自分に生じた毒は、みずから 解毒したいと願っているが、…自信がない)
(自分は 感覚が一部 麻痺して、莫迦になっているからだ)
(3年前も、正気を失い、暴挙に出た記憶がある)

喩えるなら、私は亀でした。
貴殿(ヒトノコ)が、地上の神(の 生ける やしろ)である如く、
亀は、神の乗り物でした。

餓鬼どもに 殴られ 蹴られ 罵られて、わやになっていても、腐っていても、
海神の 息がかかった(許されれば、よき御用を 務めたいと願う)生き物でした。

しかしながら、
臆病な人や、
神経過敏にして 繊細な人や、
相手を見てから、助けるかどうか 決める人は、
弱った亀を、見殺しにしがちであります。

助ける真似だけ してみせて、
貴殿は、餓鬼ども同様に、亀を笑い、
どさくさに紛れて、唾(侮蔑の言葉)まで 吐いた。
(亀の目を通して 海神が見通し、貴殿の芯に 鎮座まします御方も、見届けたことです)

亀が 空っぽであったことは、
(私の動機が、エゴや 執着でなかったことと、
怨霊と化していても、浄化を願っていたことは)

亀を見下していた 貴殿(の脳)には、分からない。
もっとも、貴殿の芯(本尊)は、ご存じでしょうが。

助ける前に 相手の価値を選別するのは、因業(傲慢)となります。
それを、自分が 引き受けまいとすれば、人類の業(負債)となり、積もり積もれば、
罪なき 善良な人が、あがなうことになるような、
厄災の火種とも なりかねません。

ですから、親切にするか否かを、相手によって変えることは、
人類を、滅びに向かわせる 態度であり、
いくさの 遠因となる 行為であります。

フランダースの犬や 少年ネロを、見殺しにし、…
マッチ売りの少女を、見殺しにした人々の 無関心に、…
近いものであります。

人事を尽くし(努力精進して)、
天地の恩に感謝して、
姿が立派なら(我を張らず、反社会的なことをせず、清潔な言葉を選び、身のまわりや身体を 整えておれば)、
神仏に愛され、つつがなく暮らせる?

残念ながら、それが許されるのは 子どもだけであります。
何故なら、おのれを律するだけでは、人は、
保身を考えるようになったり、
傲岸不遜になったり、
波乱を避け、面倒ごとを避け、
頭が かたくなり、偽善者や エゴイストになり果てたり、
損得感情で判断するように なるからです。

この世に いる限り、
小さな おのれの判断、好き嫌い、損得を超えて、
神宿る よりしろとして、他者を(嫌いな相手をも) 敬愛することに 挑んでこそ、
真人間(大人)なのであります。

『何処に行っても大波乱』
『それがアナタの個性でしょう、笑』
『誰にでも悩みはある』
『ま、元気でね』

…などと言われて、暴れない怨霊が いるでしょうか?
(この怨霊は、果敢にも、暴れまいと しましたが…)

理論武装が得意で、
おそらくは、市井の人が あまりやらない宗教儀式(あるいは荒行)が、趣味であったらしい 貴殿は、
亀を 舐めきっていたのでしょう?

仮想空間の ことですから、現実社会では、まだ 坊や(中学生くらい)だったやも しれません。
しかし、齢を重ね ボロボロになった亀を、あたたかく迎えていた方々に 混じって、
(ネットワーク・カルトの検証サイトには、場違いな亀だったので、触れぬようにしている方も 当然いたが)
水をさすことを意図して 書き込んだのですから、子どもだとしても 傲慢のそしりは 免れません。

亀は 海に帰れば 無害なれど、
久しく海を離れ、怨霊化していたことを知らなかったでしょう?

東北を襲った津波、その1滴に、
虐げられた亀(人の集団から 弾き出されたヒトノコ)の かなしみが、痛みが、飢えがあったことを、…
知らなかったとすれば、おめでたいことです。
排除の論理で、しあわせが維持できると思っておいでなら、誠に お気の毒なことです。

神を語りながら、
弱った亀を 踏みつけて、悔いも謝りもせず、
愉しく進む 道の先に、何があろうとも、…
それは、貴殿に ふさわしい果実でありましょう。

我さえ良ければよしとする、
そんな奇怪な信仰に生きることの醜さを、教えてくれて 有り難う。
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