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2010-02-14(Sun)

私を許す勇気が欲しい

映画「めぐみ」は、突然、愛娘がいなくなった家族の記録。

さらわれたのが、マッチ売りの少女みたいな、社会からあぶれた人間なら、さして悲しくないだろうと、マッチ売りに近い心境の者は思う。

マッチ売りに近い野獣は、何食わぬ顔で夢を語る。
働き者で、一家言は持っている人と、1対1で接するとき、何故か、その人の心を映すような夢を語る。

希望をもって、明るく努力・工夫・前進することが、健やかに行きることだと思いたいから、報われなくても、希望(理想か夢?)を見続ける。

誰かの港(人生)を訪れた船(幸運)は、私の港にもやがて訪れると云う、何の根拠もない言葉を心に持っていて、負けを認めない。

『暗い言葉を言い放つ人』が、人生を狭くするのを見てきたから、言葉には気をつけた。

『社会問題や、壮大な理想を語り、そのために行動できる人』が、身近にいる人や、目の前に居る人の心に、興味がなく、理想の実現が目的なのか、現実逃避が目的なのか、分からなくなっていたのを目撃し、心が痛かったことがあるから、
(同じ轍を踏まないように)生活圏にいる人を、大切にしたいと願う。

そんな私は、周囲に重宝がられる。

だけど、期待には、殆どこたえられない。
中身がないからか、生まれついての道化なのかもしれない。

映画「めぐみ」では、幸せな風景と 悲劇が、共に描かれる。だから悲しい。

特に胸が痛むのは、…
捜索を呼びかける、お嬢さんの写真入りのチラシを、
道に投げ捨てて行く人や、その上に足跡を残し、家や、学校や、職場へと、急ぎ去って行く人々の、
無慈悲(無関心)を前に、立ちつくす横田夫妻の姿。

私も、誰かの心を、知らずに土足で踏んで、忘れ去って いないだろうか?

梅さん(仮名)は、神仏の道に進みたくて、心理学博士で祈りの実践家の 押し掛け弟子になったと、一昨年の晩秋、誇らしそうに書いていた。

そんな彼女を、うらやましいと思った。

彼女と その師が、私にしたことは 些細なことで、インターネット(ウェブメール)上の やりとりに過ぎない。

やった側に、悪意があった訳じゃない。
2人が、忘れ果てても、不思議じゃない。
2人が、私の心を踏みつけて行った、証拠はない(メールひとつ残してない)。

私も早く完全に忘れたい。

梅さんが、立派な神仏の取り次ぎになることを、祈っていたけれど、…
2人が、私にしたことに、痛痒を感じないような心で生きているなら、行き詰まるだろうことは 予測できた。

心理学博士 兼 祈祷家の、ファンの興味の半分は「心理学」だったと思う。

ファンクラブの会長が、異端(私)を忌み嫌い 追い出した横暴さと、…
祈祷家筋の大先生が出て来て、ファンクラブの会長を 追い出した横暴さは、…良く似ている。

支持してくれる人々がいて、組織としては安泰ですか。

自分たちに かかわり 傷つき、前以上に壊れた者の 哀しみを、高みから見下ろし、自分たちは 正義の体現者だと、あくまで おっしゃいますか。
お幸せなことです。
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