「浜松の勇者」とは、カルトの検証サイトで紹介された方で、私が勝手にそう呼んでいる。
私が投げた石(言葉)に傷つきながら、
「周囲や先祖に感謝できないなら 手足や目に感謝して、自分を大切にして」と云う言葉と共に、紹介してくれた人がいた。
浜松の勇者(harmony代表)
池谷直士(いけや なおひと)さんは、身体に 重度の障碍(しょうがい)をお持ちで、健常者のサポートなしには 健全な日常生活を維持できない方だけど、
ハンディを補って余りある洞察力と 実行力を発揮し、家庭を持ち お子さんを育て、地域に根ざした 福祉活動をなさっている。
あまたの治療者が 匙を投げた 野獣に相対しても、自然体で いて下さると思う。…
「水を飲む気のない馬に、水を飲ませることはできない」
相談サイトで、そう書かれ 笑われたことがある。
言論の自由は 否定しないが、…書く所と 相手を間違えたら、怖いことに なりかねない。
助けを必要とする者を 呼び込み、…傷が深すぎて 手に余る相手であれば、信者を使って『出てけ』とか『死ね』と言う。
それが 宗教家(人を教え導く方・魂の医者)の、やっていいことでしょうかね。
ブラック・ジャックが、治療者の鏡のように 愛されたのは、患者を死なせたとき、その悲しみを 引き受けるような人だったから(相手の自己責任で 済ませなかったから)でしょう?
違いますか 手塚先生?
相談サイトも 心理学者(祈りの専門家)のことも、カルトの検証サイトで教わった。
志があり 救われた人もいたから、紹介されていたのだろう。
秋葉原無差別殺傷事件のような災害、2度と起こしちゃいけない。
でも ネットで人気の聖職者には、当事者意識がないらしい。
仮想空間で 誰かにエールを送っても(命がけで言葉を探しても)、得るものが無いから かもしれない。
弱った者を召喚し、雑に扱い、さらなる傷を負わせて 放り出し、何事もなかったかのように、正義を語るのが宗教家なら、…
罪深い、と思う。
こんなことを考える 私が、嫌いだ。…
せめて 兎さんに戴いた、浜松の勇者とのご縁は、大切にしたい。
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