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2010-01-14(Thu)

【命の電話】は 最後の手段ではない

もう耐えられないと感じることが、延々と雨のように降り続く、…そんな思いに打たれてきた私には、ひとごとでは なかった。年末、相談サイトで 見てしまった書き込み。…

『命の電話に10万円以上かけたのに、立ち直る きっかけを得られず、お金を無駄にした上、絶望(助からないと云う思い)を 胸に刻んでしまった』自称36歳・男子の乱れた救助信号。

『生まれたときから ひとり』とか『金がない』とか、明らかな『いつわり』を書きやがって! と、私は怒鳴ってた。心の中で。
小さなことだけど、小さなことの積み重ねが、自分の立場を 危うくすることもあるのだから、気づけ! と思った。

私たちは、野性を奪われ 無能と思い込まされた、哀れな敗残者かもしれないけど、不如意(ままならないこと)を、100% 他者や環境のせいにしたら、…赤ん坊みたいで しまらない。

…かと云って、100% 自分の責任と言い切れるほど、思いきり融通無碍に、最善を 尽くせただろうか?
お釈迦さまや 弘法大師みたいに?

あるときは、すべて自分の責任だと言い、…
別のときは、100% 被害者の如く振る舞い、
『おれは逝く、止められるなら 止めてみろ』と書いていたわね?

掲示板の読者には、相談者を 止める義理も、守る義務も ないのに。…でも、そこに 投稿せざるを得なかった 貴方の現実(孤立)に、胸が詰まった。

(私も 近い苦しみの中にいる。昨日も、死んだ方がまし みたいな暴言に晒された。数時間後、相手はさっぱりしていたけど、私は 夜通し 自分を痛めつけずに おれなかった…)

命の電話が 駄目だったことは、貴方が死んでいい理由に ならない。…間違わないで。
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