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2010-08-21(Sat)

ざれごとも ときに よる

安部 譲二さんの、エッセーが 好き。
山本 夏彦さんの 弟子と知って、期待しない訳には いかない。
デビュー小説「塀の中の懲りない面々」以降、単行本に なった エッセーは、殆ど(買って)読んだ。

夏彦の 弟子は、期待を 裏切らなかった。

◆ 中学の時分、ある教師に、
『お前は 将来、学者になる。俺の予言は、外れたことがない』と、言われた。

『社会に 有害な、末恐ろしい 化け物』と、家で 洗脳されていた 子ども(私)は、
明けても 暮れても、死を 考えていて、
宿題を 真面目に やるくらいしか、能が なかった。

宿題のノートに こもる、ただならぬ 気配を 察した(らしい) 教師が、…
戯れ言を、言ったのだ。

IQは 並だし、真面目に 勉強する 生徒だったのに、
実力テストは、いつも、担任が 不思議がるほど、悲惨な結果だった。
(学んだことを、長期 記憶できないくらい、脳が弱ってた。…被虐待の 御陰かと)

首をかしげる 教師はいても、
原因を 見抜く 教師や、救助してくれる 教師は、皆無だった。

『将来 堅気の 社会人に なる』予言、外れないと いいなぁ…と、子どもは ぼんやり 思った。
けど、ぼんやり 思った だけでは、生活は 変わらない。

学者に なるとしたら、自然科学の 分野だろうと、高校では、理数系を 選択したけど、
物理が、全然、分からなかった。

私立大学の 海洋学部なら、行ける 成績だったけど、経済的に 無理だった。
国公立大学を 目指して、一浪したけど、千点満点の 共通一次で、200点しか 取れない私が、入れたのは、…短大の 家政科だけだった。

教師の予言は、外れた。

短大の 図書館で読んだ、…
三島 由紀夫 全集(の中の、戯曲と エッセー)、
別役 実(べっちゃく みのる/べつやく みのる)の、不条理ドラマ。

小学校か、中学校の 時分に 読んだ、…
斎藤 隆介、
宮沢 賢治、
アンネ・フランク。

…若かった 私の脳に(断片的にでも)、残った 本の著者は、それくらい。

教養や、長い小説や、映画は、…
脳みそか 懐に、余裕がある 人のもの。
(私には 縁が なかった)

だけど 私も、生きて行かなきゃ ならない。
…なるべく 幸せに。

「幸せに生きるために、大切な(必要な)のは、希望と 仲間と 自由だ」
安部 譲二さんの エッセーは、そんな(小学校の)某先生の 教えを、思い出させてくれる。

◆『RAINBOW 二舎六房の七人』は、手元に ない(生活のために 売った)けど、…
アンチャンと マリオ、スッポン、キャベツ、バレモト、ヘイタイ、ジョーと メグ、節子さんと リリィさんの ことは、忘れない。
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2010-07-30(Fri)

細菌学者の遺産

バッチ・フラワー・レメディは、イギリスの医師(細菌学者)が、1935年に完成させた 治療法で、
「植物+水+直感」で 出来ている。

先日 作った ボトルが、残り わずかになった。
本当は もう少し、長持ちする はずが、…
管理人が、ヨレヨレのため(貴重な 舶来の ハーブ液だと 云うのに)、
先日、テーブルに 飲ませて(こぼして) しまった。

次の ボトルにも、限界まで 薄めた 7種類の 癒し手を、詰めさせて もらう予定。

・ 仙人草(クレマチス)… 耐え難い 現実でも、足場にする 集中力を

・山林檎(クラブ アップル)… 汚れに めげず、生ききる力を

・ 西洋唐松(ラーチ)… 劣等感と云う、心の鎖を 解くために

・ 西洋樫(オーク)… 過度の緊張が 取れるよう

・ オリーブ(Olive)… 元気

・ ペルシャ胡桃(ウォルナット)… パーソナリティ障碍者の 受け皿役 だけに、終始しないように

・ 野生の鴉麦(ワイルド オート)… 進路を絞る

2010-07-23(Fri)

現実を 補うもの

大河ドラマ「獅子の時代」の 放送当時、私の精神状態は、最悪だった。

家に1台しかない テレビで、見ていた。

酔ってても、しらふでも、よく騒ぐ 親父がいたので、
夕飯の時間(大河ドラマの 放送時間)は、ほぼ毎日 修羅場だった。

内容は、切れ切れにしか、覚えていないが、
私は、あのドラマに、感謝している。

主人公は、2人いて(薩摩藩士と、会津藩士)、
会津藩士(菅原文太)は、せんじ(銑次)と 呼ばれていた。

パリ万博で、出会った? 芸者さん(大原麗子)と、親しそうだった。
彼女の弟は、女の腐ったような 奴だった。

兵役を逃れた 自分のために(お金が要るので)、姉が 身を売るような ことまで、しているのに、…
恥じる 気配もない。

ある日 銑次は、往来で、彼女の弟に 会う。

『やっと 生き甲斐を 見つけたんです』と、云う 弟。

「ヘラヘラ坊とは、何だ」と、尋ねる 銑次。

『落語です』と、ヘラヘラして みせる 弟。

銑次は 黙って 立ち去る。
(彼女の弟を、殴りつけて)

彼女は、それから 間もなく、不治の病で 亡くなる。

臨終のとき、彼女の弟が、人を 笑わす姿で 駆けつけて、泣いて、…
皮肉 この上ない。

暴力(鉄拳制裁)など、ないに 越したことは ないが、…

あの頃、…

理不尽で、苦しみでしかない 身勝手な家族(会話が 通じない相手)を、
(ドラマの中で でも)友人が、懲らしめてくれた。

それが、私にとって、どれほど 貴重で、ありがたい ことだったか、…言葉では 言い表わせない。

『どんな理由が あっても、手を出した方が 悪い』などと、声高に 叫ぶ人も あるが、…

正論だけでは、人を救えないことも ある。

2010-07-11(Sun)

医師には 言えない

稼ぎが 充分あったときは、機会があれば 専門家を訪ねた。

餅は餅屋 と云う言葉が ある。
自分の すべてが 不安だったし、
専門的な 知識と 技術をもつ、余裕のある人を 近くで見たくもあった。…

しかし、墓参りにも 行けないよーな、
食費を削って 国民年金保険料や、住民税を 捻出せねば ならぬよーな、暮らしでは、
いちいち 専門家に 頼れない。

私が 生まれ、組み込まれた社会には、思念だけでは 開かない門が、多々あった。

仲間が いなければ、開けてもらえない門や、
あらかじめ、何か身につけて いなければ、通れない門や、
お金を 出さなければ、開かない門が。

病院は、特に 敷居が高くなった。
(経済的な 問題だけじゃ なかった)

元々、好きな場所じゃ なかったけど、…
(産婦人科医による)精神的な 拷問や(遣られたのは 私だけじゃない)、
知人の家族が、人間ドック中の 事故で 死亡するに至って、…私の中で、
『病院 = 命を守る プロ集団にあらず』と云う 認識が、出来てしまった。

20代に、ムチ打ちに なったときは、病院に行き、医師の指示に 従ったけど、
症状が 消えるまで、約1ヵ月かかった。

あるとき、競馬の調教師だった方の 奥さんから、興味 深い 話を 聞いた。

「昔は、調教中に 落馬事故が 起きると、鐘を鳴らしたの」
落馬した調教師を 安静にすると、ムチ打ち症になり、回復が遅れたそうで、

「その日は 誰かが 付き添って、1晩中 馬場を 歩かせたの」
「そうすると、後遺症が出なかった」
「休ませないで、歩かせた方が、治りが 早かったのよ」

その話を 聞いてから、
合気道の稽古で 頭を打った日は、次の朝まで 横にならず、動きまわるようにした。

万人に いいとは 限らないが、私には よかった。

先日、コンビ二店内の 水たまりで、足を滑らせて、…
左足首を、強く ねじってしまった。

かなり痛かった。
骨は丈夫だから、…捻挫?
まずいことに なったなあ。…

「この痛みを 引き受けます」…心の中で、宣言だけは してみる。
(もしかしたら、昔の人の知恵が、応用できる?)

歩き続けてみた。
痛みが、膝に、腰に、移ってきた。固まるより いいと思った。

しかし、その日は 疲れていたので、帰宅したら、少しは 横に なりたかった。

帰宅すると、電話が鳴った。
国際電話らしい。
留守電に していたし、先に トイレに行きたい。
…と 思ったのに、出てしまった。

相談の電話で、4時間の 長電話になった。

高いところに 置いてある 固定電話だから、通話中は 横になれない。
途中からは、ずっと足踏みを 続けることに なった。(トイレに 行きたくなった)

トイレには 間に合ったけど、ちょっと 辛かった。…

だけど、あの時 電話に出て いなければ、…
ちょっとの つもりで 横になったまま、私は 朝まで、眠ってしまった…のでは?

あの夜 電話を くれたのは、
鐘を鳴らし、落馬者に 付き添って、歩き続けてくれた人と同じ、
ありがたい人だった ような気がする。

数日間、左足だけ 凄い汗が出たけど、痛みは ほとんど 取れた。

2010-06-19(Sat)

6月17日の日記

弘前駅に到着し、森のイスキアに 電話すると、
バスが着く頃、バス停に 迎えに来て下さると云う。

約1時間半 待ち、枯木平行きの バスに乗る。
市街地を抜けると、岩木山が見えた。
幾つかの神社や、お地蔵さんの前を 通って、嶽(だけ)温泉(岳温泉)で 下車。(1,010円)

帰りの バスの時間を 手帳に 書き終わったとき、森のイスキア と書かれた 車が 停まり、スタッフの方が、私を 見つけて下さった。

バス停と 森のイスキアまでは、徒歩20分くらい とのこと。

別荘地の道端に シスターがいて、私を見つけて お辞儀をして下さった。私も 会釈を返した。

別荘地の 1番 奥に 森のイスキアは あった。

主催者の 佐藤初女さん(88歳)は、人生相談の達人で、
(弱った者を、尋問しない、説教しない、追い詰めない、追いたてない。
美味しい御飯を 食べさせて、尋ねられれば、答えてくださる人)
全国から 呼ばれている 忙しい先生だから、
活動の拠点である 森のイスキアの 利用希望者は、半年先まで 予約がいっぱい。

1泊の予約を取るのに 半年以上 待つのだし、高徳の人に会える 貴重な機会だから、
前日に 近くの温泉宿に 泊まるなどして、早い時間に 到着する人が 多いらしかった。

(夕飯の1時間前に、やっと たどり着き、翌日の お昼御飯も 食べずに 帰らねば ならない私は、ものすごい間抜け としか 言いようがない)

スタッフ(先生の助手)さんは、5人以上はいたと思う。(平均年齢70歳以上?)

佐藤先生の 鳴らす鈴に呼ばれ、お祈りして 円卓で戴く 御飯の美味しさは、たとえようが なかった。

夕飯の後で、椅子に移動した先生を 追いかけて、
相談したり、先生の手を握ったり、先生とハグする先客を、私は ぼんやり見ていた。
(借りてきた猫になっていた)

私の他に 8人の宿泊客がいて(内2組が家族)、
熱い思いや、深い悲しみを 打ち明けて、目を赤くしたり していた。

先生の他に、もう1人、光り輝いているような 方がいた。

私を 迎えて下さった あのシスター、
カナダの修道院から 3年に1度の 休みを利用して、来ていた人だった。
(80代前半。バス停から 歩いて来たと云う。高齢者には、見えなかった。)

佐藤先生と 姉妹のように見えた。
カナダに渡って 30年以上、逆らわず(従順)、結婚せず(純潔)、清貧に生きる誓いを立てて、約50年と云う。

クリスチャン・ホームで育ったと云う、訪問者が、
『何故 迷わずにいられるの? 宗教って本当に いいものか 分からない、でも 離れられない』と 告白していた。

どんな問いにも、耳を傾ける シスター。
でも、答えるとは限らない シスター。

俗人には、修道者が、
神(広大無辺な力)の助手に思われ、
智慧と 徳を 備えた、先生(神と 人との 仲立ち)に 見えてしまう けれど、
シスターは、神を安売りする人では ないのだった。

教会関係の 施設に泊まるため、スタッフの 車に向かう シスターは、私の肩を ポンと叩き、
「さっきのこと、祈っとくわね」と 言って行かれた。

ハイチの援助に 力を注いでいる 教会の、シスターと聞いて、
ハイチの 孤児院長の嘆きを(何故 神は このような試練を)、そのまま、シスターに 投げてしまったのだ 私は。
(その試練を 与えたのは、神じゃないと思いたい と云う 願望まで添えて)

佐藤先生の隣に、私が坐れたのは、もう 先生に 休んで戴かなければ、と云う時刻に 近かった。

「貴女は 特別なことは ないのね」
『はい』
私は、目の前に居る人の 期待を、…最優先する(可能な限り 裏切らない)者です。(泪)

でも、…
何も言えない(まして 助けて欲しいなんて 今更 言えない)者の手を、先生は 握って、何か 念じて下さった ようだった。

誰かとの 会話の中で、先生が 力を込めて 語った言葉、
「必ず良くなるから、言葉で言うのでなく 見守ってあげて」
「いつも 真実に 生きて いなければね」

…言葉だけでは 意味をなさない、生活(日常)に 裏打ちされて、血が通った言葉。