2009年12月1日から
誰かの吐いた「毒」を喰って生きている。
どんな「毒」も、食べずにおれない。
あくじき、かもしれない。(へんたい、かもしれぬ)
そんな自分。
こわばりながら、引きつりながら、生きている。…
たまに 誰かの好意に触れると、
そのよろこびたるや、はかりしれない。
人の感情(氣のようなものか?)を、食べ物に たとえて、
強がる私を、笑わば笑え。
美食・飽食に慣れている人には、多分、分からない。
好き・嫌いで、食べる・食べないを選択できる人にも、多分、分からない。
つね日頃から、飢え(空腹感)を 友(?)とし、まずいもの(苦いもの)も 喰らっている、
そんな酔狂な ヒトノコだからこそ、
まっすぐな、誰かの好意が、
いかに「美しく、尊い」ものか、思い知らされる。
…そんな恩恵も この世には あったらしい。
掃除と、挨拶だけは、しっかりやろうと思ってても、…
ままならない職場(環境)に 置かれている。
朝9時から出勤する方々は、
パートタイマーであっても、
朝礼に出たり、昼休みの休憩時間を共有するなどして、
目の前の業務に 追われるだけではない、コミュニケーションの機会を持っている。
別の(昼の)仕事を終えてから、3~4時間だけ 働きに来る方々は、
バリバリ働きながらも、マイペースと云うか、
(他部署の灯りが消え、オフィス内の人数も 少なくなるからか?)
お互いの プライベートの話題を交わしたり、
お菓子をつまみながら、伝票を扱ったりして、
それなりに楽しげ。
昼過ぎから、深夜直前まで、などと云う、
例外的な時間で 就業している私は、浮いた存在。
気づくと、忘れられていたりする。
(掃除当番だけは、当たりやすい)
忘れられるのは、仕方ないとしても、
帰りしなに 掃除をしているとき、
およしなさいと言われてしまうのには、閉口する。
私は ただ、
少しでも気持ちを晴らして、いい気分で帰りたいだけ。
他の人が、
落ちているクリップや、コピー機に 積もり積もったホコリを、
放置していることを、
糾弾する気など さらさらない。
昼や 夕方の 仲間が、
(出勤した際に 除菌ティッシュで、
電話機と、パソコンの キーボードと、机の上を 拭くのと、
掃除当番が まわってきたとき以外)
掃除と云うものを、遣らない慣例になっていることを、
暗に批判する気もない。
そう云う仕組みの 組織に入ってしまった自分を、間抜けだとは思うが、
長期にわたる被虐待の後遺症が、
強く残っていた(罪悪感と自傷衝動が強かった)ときに、選んだ職場だから仕方がない。
何故、職場への愛情表現(掃除)をするのに、
「ホコリアレルギーなので」とか、
「空気が汚れてると、鼻毛の伸びがすごいから」とか、
言い訳しなきゃならんのか?
皆が遣っていないことを、後輩1人で遣られたら、
和が乱れると、思う先輩もいるか?
『早く帰りなよ』と云うのは、多分、善意からの言葉。
パートタイマーが、就業時間後に掃除をしても、1円にもならない。
損だよと。
そんなことより、
『体調が悪いなら、早く帰りなさい』
それが、そう言う人の、正義で善意なのだろう。
でも私は、報われなくても(職場に)愛を捧げることに 決めているのだ。
次の契約は しないつもりだから、あと1ヵ月半だけどさ。
私が評価されることが、まったく期待できない。
「大好き!」と言えることが、
ヘッドホンの再起動時の電子音、
「ピピポ」だけだとしても、それを頼りに行動する。
どんな「毒」も、食べずにおれない。
あくじき、かもしれない。(へんたい、かもしれぬ)
そんな自分。
こわばりながら、引きつりながら、生きている。…
たまに 誰かの好意に触れると、
そのよろこびたるや、はかりしれない。
人の感情(氣のようなものか?)を、食べ物に たとえて、
強がる私を、笑わば笑え。
美食・飽食に慣れている人には、多分、分からない。
好き・嫌いで、食べる・食べないを選択できる人にも、多分、分からない。
つね日頃から、飢え(空腹感)を 友(?)とし、まずいもの(苦いもの)も 喰らっている、
そんな酔狂な ヒトノコだからこそ、
まっすぐな、誰かの好意が、
いかに「美しく、尊い」ものか、思い知らされる。
…そんな恩恵も この世には あったらしい。
掃除と、挨拶だけは、しっかりやろうと思ってても、…
ままならない職場(環境)に 置かれている。
朝9時から出勤する方々は、
パートタイマーであっても、
朝礼に出たり、昼休みの休憩時間を共有するなどして、
目の前の業務に 追われるだけではない、コミュニケーションの機会を持っている。
別の(昼の)仕事を終えてから、3~4時間だけ 働きに来る方々は、
バリバリ働きながらも、マイペースと云うか、
(他部署の灯りが消え、オフィス内の人数も 少なくなるからか?)
お互いの プライベートの話題を交わしたり、
お菓子をつまみながら、伝票を扱ったりして、
それなりに楽しげ。
昼過ぎから、深夜直前まで、などと云う、
例外的な時間で 就業している私は、浮いた存在。
気づくと、忘れられていたりする。
(掃除当番だけは、当たりやすい)
忘れられるのは、仕方ないとしても、
帰りしなに 掃除をしているとき、
およしなさいと言われてしまうのには、閉口する。
私は ただ、
少しでも気持ちを晴らして、いい気分で帰りたいだけ。
他の人が、
落ちているクリップや、コピー機に 積もり積もったホコリを、
放置していることを、
糾弾する気など さらさらない。
昼や 夕方の 仲間が、
(出勤した際に 除菌ティッシュで、
電話機と、パソコンの キーボードと、机の上を 拭くのと、
掃除当番が まわってきたとき以外)
掃除と云うものを、遣らない慣例になっていることを、
暗に批判する気もない。
そう云う仕組みの 組織に入ってしまった自分を、間抜けだとは思うが、
長期にわたる被虐待の後遺症が、
強く残っていた(罪悪感と自傷衝動が強かった)ときに、選んだ職場だから仕方がない。
何故、職場への愛情表現(掃除)をするのに、
「ホコリアレルギーなので」とか、
「空気が汚れてると、鼻毛の伸びがすごいから」とか、
言い訳しなきゃならんのか?
皆が遣っていないことを、後輩1人で遣られたら、
和が乱れると、思う先輩もいるか?
『早く帰りなよ』と云うのは、多分、善意からの言葉。
パートタイマーが、就業時間後に掃除をしても、1円にもならない。
損だよと。
そんなことより、
『体調が悪いなら、早く帰りなさい』
それが、そう言う人の、正義で善意なのだろう。
でも私は、報われなくても(職場に)愛を捧げることに 決めているのだ。
次の契約は しないつもりだから、あと1ヵ月半だけどさ。
私が評価されることが、まったく期待できない。
「大好き!」と言えることが、
ヘッドホンの再起動時の電子音、
「ピピポ」だけだとしても、それを頼りに行動する。
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そのとき、私は空腹だった。
(この仮想空間は、数年前の「命の日」から、今日まで、プロレタリア・ブログでした)
でも、朝吹タツヤさんの 歌声を聴いたときに、
空腹を忘れた。
(極上のコーヒーって、こんな味じゃないかしら)と思った。
(私は、最近、差し入れで頂戴した オーガニック・コーヒーを、
とても美味しい、と思った)
(豆から淹れるコーヒーは、大昔、職場の先輩に教わって、
…1年間くらい、昼休みに、美味しく戴いた 記憶があるけど、
それ以後は、飲んだ記憶がない)
歌声を、味に喩えたらコーヒーで、
色に喩えたら、粉雪のような 銀のキラキラ。
ブローチの色が、銀だったから、そう感じただけ、…じゃないと思う。
しますえ よしおさんの 歌声を聴いたときには、
この方の歌は、心と身体の栄養補給になる、と思った。
色に喩えたら、朝陽か夕陽の 金色のキラキラで、
(ブローチの色が、金だったから、そう感じただけ、…じゃないと思う)
味に喩えたら、
極上のフェアトレード・チョコレートか、お赤飯か。
…私は、こわかった。
…芸術に親しむことで得られる恩恵を、
…人への優しさや、自然への畏れに 昇華できずに、
…何か、偉くなったように勘違いし、
…持たざる人、機会に恵まれない人、孤独な人を さげすむような、
…そんな人間に なってしまうかもしれない、自分が。
だから、ずっと、
貧しく、報われず、孤独であることを、
選び続けてきたのかもしれない。
(いい加減、そーゆー自分に、飽きてきた)
四谷 蟻ん子を訪ね、
ピアノ(雄太さんの)や、ベースギター(海児さんの)に酔い、
しますえさんと、朝吹さんの歌で 夢心地になっても、
私は、膨張もせず、縮みもしなかった。
(少し、ほっとしている)
仮想空間に 栞(しおり)をはさむように、
印象に残った曲を タイトルに記して、
好き勝手な言葉を 書き散らせたのも、
(冷静に考えると、冷や汗が出そうになるが)
しあわせなことだった。
(この仮想空間は、数年前の「命の日」から、今日まで、プロレタリア・ブログでした)
でも、朝吹タツヤさんの 歌声を聴いたときに、
空腹を忘れた。
(極上のコーヒーって、こんな味じゃないかしら)と思った。
(私は、最近、差し入れで頂戴した オーガニック・コーヒーを、
とても美味しい、と思った)
(豆から淹れるコーヒーは、大昔、職場の先輩に教わって、
…1年間くらい、昼休みに、美味しく戴いた 記憶があるけど、
それ以後は、飲んだ記憶がない)
歌声を、味に喩えたらコーヒーで、
色に喩えたら、粉雪のような 銀のキラキラ。
ブローチの色が、銀だったから、そう感じただけ、…じゃないと思う。
しますえ よしおさんの 歌声を聴いたときには、
この方の歌は、心と身体の栄養補給になる、と思った。
色に喩えたら、朝陽か夕陽の 金色のキラキラで、
(ブローチの色が、金だったから、そう感じただけ、…じゃないと思う)
味に喩えたら、
極上のフェアトレード・チョコレートか、お赤飯か。
…私は、こわかった。
…芸術に親しむことで得られる恩恵を、
…人への優しさや、自然への畏れに 昇華できずに、
…何か、偉くなったように勘違いし、
…持たざる人、機会に恵まれない人、孤独な人を さげすむような、
…そんな人間に なってしまうかもしれない、自分が。
だから、ずっと、
貧しく、報われず、孤独であることを、
選び続けてきたのかもしれない。
(いい加減、そーゆー自分に、飽きてきた)
四谷 蟻ん子を訪ね、
ピアノ(雄太さんの)や、ベースギター(海児さんの)に酔い、
しますえさんと、朝吹さんの歌で 夢心地になっても、
私は、膨張もせず、縮みもしなかった。
(少し、ほっとしている)
仮想空間に 栞(しおり)をはさむように、
印象に残った曲を タイトルに記して、
好き勝手な言葉を 書き散らせたのも、
(冷静に考えると、冷や汗が出そうになるが)
しあわせなことだった。
黒に銀色の上着が似合う 朝吹さんの歌声は、
雄太さんのピアノと 同じくらい、
若々しく、瑞々(みずみず)しかった。
いつか、しますえさんが、
『朝吹さんが唄っていた「青春」と云う歌を、取り上げてしまいました』と話し、披露して下さったけれど、
(それは 道理だ)と思った。
青春の氣にあふれた表現者に、
青春を懐かしむ歌は 早すぎる。
薔薇色の衣装の しますえさんの「ラ・ボエーム」を じかに聞くと、
冬が来ても、凍えずにすむような気がするから 不思議だ。
「エトランゼ(異邦人)」
作詞・作曲し、歌い手でもある さだ(まさし)さん(本人)の解説つきで、
昔、ラジオから流れてた。
ただ もう悲しく、胸が締めつけられるように感じ、
また聞きたいとは思わなかったのに、
何故か 忘れられず、
ときどき 頭の中で、再生されていた。
(何故、別れた人のアルバムを もらいに行くの?)
(私なら行かない…)
分からないから、
忘れられなかったのか?
あまりにも 打たれ強い私には、
繊細で傷つきやすいけれど美しい、人の心の綾みたいなものが、
…よく分からない。
分からないから 惹かれるのかも?
しますえさんの声で聞いた その世界は、
ただ悲しいだけでは なかった。
太陽も、眩しいだけでは ないようだった。
からだに「基礎代謝」なるものが あるように、
こころにも、必要なエネルギーの流れがある。
それは、信頼とか 安心とか、愛と呼ぶ人もいる、
肯定のエネルギー。
命を育み、和ませたり、発酵させる。
大人(私)が それを忘れず、
知恵足らず 過ち多き者(自分)や、
飢えたる人(自分)や、
笑いを忘れた 傷深きこども(昔の自分)に、
あたたかい眼差しを 向け続けるならば、
人の世から、不毛な争いや、奪い合いが減り、
父なる空や、母なる自然界の苦しみも、減るだろう。
そのために、心の栄養が要る。
心の飢えが解消されれば、
人(私)は、
肉食昆虫や 肉食獣以上に、むさぼる必要がなくなる。
去年の今頃、『蟻ん子』は、私には 遠い世界だった。
(シャンソンは分からないのに、シャンソンを使った風刺や冗談音楽には 馴染んでた)
(毒に漬かりきってる自分だから…)
(泥くさく、皮肉な笑いを含むものや、死の陰のあるもの以外は、受けつけないかも)
そんな おそれは、杞憂だった。
良質な氣(歌)には、
悲しく 寂しく 重い氣を、軽くする力があった。
雄太さんのピアノと 同じくらい、
若々しく、瑞々(みずみず)しかった。
いつか、しますえさんが、
『朝吹さんが唄っていた「青春」と云う歌を、取り上げてしまいました』と話し、披露して下さったけれど、
(それは 道理だ)と思った。
青春の氣にあふれた表現者に、
青春を懐かしむ歌は 早すぎる。
薔薇色の衣装の しますえさんの「ラ・ボエーム」を じかに聞くと、
冬が来ても、凍えずにすむような気がするから 不思議だ。
「エトランゼ(異邦人)」
作詞・作曲し、歌い手でもある さだ(まさし)さん(本人)の解説つきで、
昔、ラジオから流れてた。
ただ もう悲しく、胸が締めつけられるように感じ、
また聞きたいとは思わなかったのに、
何故か 忘れられず、
ときどき 頭の中で、再生されていた。
(何故、別れた人のアルバムを もらいに行くの?)
(私なら行かない…)
分からないから、
忘れられなかったのか?
あまりにも 打たれ強い私には、
繊細で傷つきやすいけれど美しい、人の心の綾みたいなものが、
…よく分からない。
分からないから 惹かれるのかも?
しますえさんの声で聞いた その世界は、
ただ悲しいだけでは なかった。
太陽も、眩しいだけでは ないようだった。
からだに「基礎代謝」なるものが あるように、
こころにも、必要なエネルギーの流れがある。
それは、信頼とか 安心とか、愛と呼ぶ人もいる、
肯定のエネルギー。
命を育み、和ませたり、発酵させる。
大人(私)が それを忘れず、
知恵足らず 過ち多き者(自分)や、
飢えたる人(自分)や、
笑いを忘れた 傷深きこども(昔の自分)に、
あたたかい眼差しを 向け続けるならば、
人の世から、不毛な争いや、奪い合いが減り、
父なる空や、母なる自然界の苦しみも、減るだろう。
そのために、心の栄養が要る。
心の飢えが解消されれば、
人(私)は、
肉食昆虫や 肉食獣以上に、むさぼる必要がなくなる。
去年の今頃、『蟻ん子』は、私には 遠い世界だった。
(シャンソンは分からないのに、シャンソンを使った風刺や冗談音楽には 馴染んでた)
(毒に漬かりきってる自分だから…)
(泥くさく、皮肉な笑いを含むものや、死の陰のあるもの以外は、受けつけないかも)
そんな おそれは、杞憂だった。
良質な氣(歌)には、
悲しく 寂しく 重い氣を、軽くする力があった。
夏の夜の まぼろし?
立秋を過ぎた日の、四谷 蟻ん子。
数十年ぶりに 足を運んだファンも いらしたそうで、いつも以上に 華やいでいた。
真昼みたいに眩しかった。
私は 借りてきた猫のように、静かに聞き入った。
しますえさんの歌「ラ・ボエーム」の 歌詞の一節(スイタ腹ヲ カカエナガラ)だけが、
…実感を伴って感じられるから、笑ってしまう。
松山善三さん訳詞の、
しますえさんの「百万本のバラ」を 聞いていたら、
私の魂が、制約の多い 身体を脱け出して、
踊っているような 錯覚に陥った。
勝手気ままな、見えない そのダンサーは、
歌の中で、1番 素敵な(と 私が思っている)ところ、…
旅回りの 汽車の中で、踊り子は、
見知らぬ誰か(バラの贈り主)の 想いの深さ(純粋さ)に、
きっと 気づいてくれる と云うような、
希望が うたわれているところを、
当然のように あっさり飲み干し、
『ええ、知ってるわ、私と あなたは、本当は ひとつながりの存在よ』
と 言い放ち、踊り続ける。
(自由過ぎると、情緒的には 無味乾燥になってしまうものかもしれない)
松山善三さんで思い出す、一本の鉛筆。(広島の歌)
美空ひばりさんが歌っていた。
しますえさんの「津軽のふるさと」は、それはそれは 素晴らしく、
見えない観客(美空ひばり その人)も、満面の笑みをたたえ、私の肩に乗って 聴いていた、
…みたいな 気がした。
ピアノ、壊れてしまわない?
と思うくらい、激しい一幕もあった。
(私以外にも、そんな感想をもらした人がいた)
(そこまで、激しく弾ける楽器だったのですね。雄太さん)
朝吹さんの歌が、いつもに増して 情熱的だった。
「水に流して」は、
噂に名高い 映画(風と共に去りぬ)の ラストシーンは、かくやと思った。
(その映画を見る機会は、私には まだない。人から 話に聞いていて、想像ばかりしている)
ベースの音を 聞き分けたいと思ったけれど、
…素人の哀しさ。
(この音が無かったら、響きが薄くなる?)
などと云う、ぼけたことしか 感じられなかった。
若い人たちには、たしかに 独特の 華がある。
(海児さんは、蟻ん子の開店より後に、誕生されたとのこと。
頭の右側に、ツノ(触角?)のように 突き出ていた1束の黒髪さえも、光り輝いて見えた)
立秋を過ぎた日の、四谷 蟻ん子。
数十年ぶりに 足を運んだファンも いらしたそうで、いつも以上に 華やいでいた。
真昼みたいに眩しかった。
私は 借りてきた猫のように、静かに聞き入った。
しますえさんの歌「ラ・ボエーム」の 歌詞の一節(スイタ腹ヲ カカエナガラ)だけが、
…実感を伴って感じられるから、笑ってしまう。
松山善三さん訳詞の、
しますえさんの「百万本のバラ」を 聞いていたら、
私の魂が、制約の多い 身体を脱け出して、
踊っているような 錯覚に陥った。
勝手気ままな、見えない そのダンサーは、
歌の中で、1番 素敵な(と 私が思っている)ところ、…
旅回りの 汽車の中で、踊り子は、
見知らぬ誰か(バラの贈り主)の 想いの深さ(純粋さ)に、
きっと 気づいてくれる と云うような、
希望が うたわれているところを、
当然のように あっさり飲み干し、
『ええ、知ってるわ、私と あなたは、本当は ひとつながりの存在よ』
と 言い放ち、踊り続ける。
(自由過ぎると、情緒的には 無味乾燥になってしまうものかもしれない)
松山善三さんで思い出す、一本の鉛筆。(広島の歌)
美空ひばりさんが歌っていた。
しますえさんの「津軽のふるさと」は、それはそれは 素晴らしく、
見えない観客(美空ひばり その人)も、満面の笑みをたたえ、私の肩に乗って 聴いていた、
…みたいな 気がした。
ピアノ、壊れてしまわない?
と思うくらい、激しい一幕もあった。
(私以外にも、そんな感想をもらした人がいた)
(そこまで、激しく弾ける楽器だったのですね。雄太さん)
朝吹さんの歌が、いつもに増して 情熱的だった。
「水に流して」は、
噂に名高い 映画(風と共に去りぬ)の ラストシーンは、かくやと思った。
(その映画を見る機会は、私には まだない。人から 話に聞いていて、想像ばかりしている)
ベースの音を 聞き分けたいと思ったけれど、
…素人の哀しさ。
(この音が無かったら、響きが薄くなる?)
などと云う、ぼけたことしか 感じられなかった。
若い人たちには、たしかに 独特の 華がある。
(海児さんは、蟻ん子の開店より後に、誕生されたとのこと。
頭の右側に、ツノ(触角?)のように 突き出ていた1束の黒髪さえも、光り輝いて見えた)
古い(10年前の) 南国(なんこく)市の地図には、
「そうやま」と印刷されているが、
路線バスのアナウンスは「そやま」と言った。
いつも(10年以上前のことだが)、
その辺りで、バスに酔った。
硬い 針金入りのブラジャーを 外したいと思う、
…でも外せない。
(胸だけLLサイズ超で、おさえつけていないと、日本の里山の風景に そぐわない。人目が憚られる)
自分の体型(ムダに大きい胸)を 恨み、
「あと少し、あと少しで 目的地だから…」と、自分に 言い聞かせ、
目的地で バスを降りたときには、ヘロヘロ。
でも そんなことは、
いつも きれいさっぱり忘れてしまう。
そして、半年後とか1年後に、
また同じように、強行スケジュールで 空港からバスに乗り、
左右山を通過する辺りで、いつも 新鮮に苦しむのだった。
今年は、1ヵ月前から 鍼治療に(週1回)通っている。
(厳しい環境下でも 涼しい顔で過ごしたい?)
体質改善を はかっている途中で、
(鍼の先生からは、効果が出るのは 3ヵ月先と言われている)
今回も また、同じ苦痛を味わった。
南国(なんこく)の夏を、なめてた訳じゃない。
これまで、春や秋にしか、先祖の墓地を 訪れたことがなかった。
墓じたいは 山の中腹にあり、雑木林に囲まれているけど、…
空港発のバスを 降りてからの、
道と云う道が(山道さえも)、すべて アスファルトで(舗装された車のための道になっており)、
木陰がない。
秋口でも、残暑の照り返しは 凄まじかった。
真夏に行けば どうなるか、少し考えれば 分かることだが、…
考える余裕がなかった。
暑さ対策(熱中症予防)を何もせず、
高知空港発のバスに乗ってから、飲み水がない(掃除用の水もない)ことに気づき、
あわててバスの運転手さんに ことわってバスを降り、
自動販売機で500ミリリットルの水を買った。
事前に用意した物は、
現地では(時間に追われ、頼る人もなく、バスと自分の足だけが頼りの 墓参りでは)用意が大変な「花」と、
トゲのある雑草を切るための「植木バサミ」と「綿手袋」、
「1リットルの空のペットボトル」、
「プラスチックのカップ」くらい。
買ったはずの虫よけは なくした。
梅肉エキスの粒(去年、猛暑で危なかったとき 救われた)は 買いそこねた。
パート業務でクタクタ、徹夜で一睡もしていない状態で、
帽子も塩も、濡らせば冷えるタオルも持たず、
南国行きの飛行機に 飛び乗った。
隙あらば、死にたかったのだと思う。
バスを降りたのが10時17分、
墓地に着いたのが10時33分。
いつも携帯している 折りたたみ傘を 日除けにして、
20分足らず 歩いただけなのに、
炎天下の山登りと云うのは、人体に負担がかかるものらしい。
1時間くらい、殆ど動けなかった。
寒くもないのに ワナワナ震え(痙攣?)、
気が遠くなってしまい、
へたりこむことしかできない。
2メートル先は崖だ。
下手に動けば、
…転落、行き倒れ、
…数日後には、腐乱死体の出来上がり?
鳥の声が のどかで、
黒い羽根に 白い丸印の(喪服みたいな)蝶が、舞っていた。
墓地は 草に覆われていて、
私が1〜2時間 どうにかしたくらいでは、
(焼け石に水だ)と思った。
1時間半くらい除草していると、
巨大な、蛇みたいなミミズ(シーボルトミミズ?)が現われ、
それを 拝んで帰るのが 恒例(楽しみ)だったけど、
今回は、あきらめざるを得ない。
何故だか 分からないが、…
高峰三枝子さんの「おやすみ坊や」を、唄いたくなった。
唄ってみたが、
最初は 嗚咽になってしまい、歌にならない。
心理学者(特に女の)が 聴いたら、
執着とか、依存と云う言葉で、片づけられそうな 子守唄だけど、
(私の偏見か?)
そんな学術用語(?)だけでは、はかれない大切なものが、多分ある。
水しか 摂取するものがなく、
唄うくらいしか (自分を鼓舞する方法も)なくて、
ずっと唄っていた。
帰りのバスを 途中下車し(道の駅の トイレに寄るため)、
約1時間半後に 次のバスに乗ろうと、
5分前に バス停(左右山)に着いた。
雨傘の日よけでは、耐えられないくらい暑い。
(アスファルトの照り返しと、強い日射し)
とてもじゃないが、3分も 立って居られない。
100メートル離れた場所にある 建物の陰に避難してたら、
バスが通過して行った。…
(次のバスは、1時間半待ち?)
(タクシー? 選択肢にない)
(財布には、市電とバス賃と、夕飯代と、帰りの旅費のみ)
お遍路さんすら 歩いていない遍路道(真夏の炎天下)を、1時間歩いた。
(帰って地図を見たら 直線距離で4キロだった)
赤とんぼと、銀ヤンマと、空色のトンボに送られ、
子守唄を唄いながら。
(ブラウスを帽子がわりに)
ペットボトルの水は、鞄の中で お湯になっていたが、
私の体温は、そんなには上昇していない。
人体の自律神経の働きには、恐れ入った。
路面電車の駅に近い場所に来ると、
ジャムおじさんの石像があった。
路面電車で向かったのは 次の目的地、朝倉神社。
(本物の森があると云う)
社殿の奥に 山があった。
森の主木(ハナガガシ?)を、間近で見ることは 叶わなかったけど、
本物の森(赤鬼山)の自然は、
その神社があることで、人間の破壊を免(まぬが)れ、保たれてきた。
…と云うことは 分かった。
宿に着いて、1時間休み、
夕飯の買い出しに1時間かかり(市街地から遠い)、
その日 最初の御飯(パンとサラダ)を戴き、
替えの下着を忘れたので洗濯し、バスタオルにはさみ、力を入れてしぼって乾燥させ、
鞄の中を整理し終えたら、日付が変わっていた。
翌朝は 6時前のバスに乗り、空港に向かった。
飛行機は、往路ほど揺れず、無事に到着してくれた。
手荷物を受け取り(ハサミが機内に持ち込めないため 預けていた)、
モノレール、列車を乗り継ぎ、
自転車置き場に 近い駅で 下車。
約4分歩き、たどり着いた精算機に 番号を入力すると、5百円だった。(6時間百円)
財布には、10数円が残った。
「そうやま」と印刷されているが、
路線バスのアナウンスは「そやま」と言った。
いつも(10年以上前のことだが)、
その辺りで、バスに酔った。
硬い 針金入りのブラジャーを 外したいと思う、
…でも外せない。
(胸だけLLサイズ超で、おさえつけていないと、日本の里山の風景に そぐわない。人目が憚られる)
自分の体型(ムダに大きい胸)を 恨み、
「あと少し、あと少しで 目的地だから…」と、自分に 言い聞かせ、
目的地で バスを降りたときには、ヘロヘロ。
でも そんなことは、
いつも きれいさっぱり忘れてしまう。
そして、半年後とか1年後に、
また同じように、強行スケジュールで 空港からバスに乗り、
左右山を通過する辺りで、いつも 新鮮に苦しむのだった。
今年は、1ヵ月前から 鍼治療に(週1回)通っている。
(厳しい環境下でも 涼しい顔で過ごしたい?)
体質改善を はかっている途中で、
(鍼の先生からは、効果が出るのは 3ヵ月先と言われている)
今回も また、同じ苦痛を味わった。
南国(なんこく)の夏を、なめてた訳じゃない。
これまで、春や秋にしか、先祖の墓地を 訪れたことがなかった。
墓じたいは 山の中腹にあり、雑木林に囲まれているけど、…
空港発のバスを 降りてからの、
道と云う道が(山道さえも)、すべて アスファルトで(舗装された車のための道になっており)、
木陰がない。
秋口でも、残暑の照り返しは 凄まじかった。
真夏に行けば どうなるか、少し考えれば 分かることだが、…
考える余裕がなかった。
暑さ対策(熱中症予防)を何もせず、
高知空港発のバスに乗ってから、飲み水がない(掃除用の水もない)ことに気づき、
あわててバスの運転手さんに ことわってバスを降り、
自動販売機で500ミリリットルの水を買った。
事前に用意した物は、
現地では(時間に追われ、頼る人もなく、バスと自分の足だけが頼りの 墓参りでは)用意が大変な「花」と、
トゲのある雑草を切るための「植木バサミ」と「綿手袋」、
「1リットルの空のペットボトル」、
「プラスチックのカップ」くらい。
買ったはずの虫よけは なくした。
梅肉エキスの粒(去年、猛暑で危なかったとき 救われた)は 買いそこねた。
パート業務でクタクタ、徹夜で一睡もしていない状態で、
帽子も塩も、濡らせば冷えるタオルも持たず、
南国行きの飛行機に 飛び乗った。
隙あらば、死にたかったのだと思う。
バスを降りたのが10時17分、
墓地に着いたのが10時33分。
いつも携帯している 折りたたみ傘を 日除けにして、
20分足らず 歩いただけなのに、
炎天下の山登りと云うのは、人体に負担がかかるものらしい。
1時間くらい、殆ど動けなかった。
寒くもないのに ワナワナ震え(痙攣?)、
気が遠くなってしまい、
へたりこむことしかできない。
2メートル先は崖だ。
下手に動けば、
…転落、行き倒れ、
…数日後には、腐乱死体の出来上がり?
鳥の声が のどかで、
黒い羽根に 白い丸印の(喪服みたいな)蝶が、舞っていた。
墓地は 草に覆われていて、
私が1〜2時間 どうにかしたくらいでは、
(焼け石に水だ)と思った。
1時間半くらい除草していると、
巨大な、蛇みたいなミミズ(シーボルトミミズ?)が現われ、
それを 拝んで帰るのが 恒例(楽しみ)だったけど、
今回は、あきらめざるを得ない。
何故だか 分からないが、…
高峰三枝子さんの「おやすみ坊や」を、唄いたくなった。
唄ってみたが、
最初は 嗚咽になってしまい、歌にならない。
心理学者(特に女の)が 聴いたら、
執着とか、依存と云う言葉で、片づけられそうな 子守唄だけど、
(私の偏見か?)
そんな学術用語(?)だけでは、はかれない大切なものが、多分ある。
水しか 摂取するものがなく、
唄うくらいしか (自分を鼓舞する方法も)なくて、
ずっと唄っていた。
帰りのバスを 途中下車し(道の駅の トイレに寄るため)、
約1時間半後に 次のバスに乗ろうと、
5分前に バス停(左右山)に着いた。
雨傘の日よけでは、耐えられないくらい暑い。
(アスファルトの照り返しと、強い日射し)
とてもじゃないが、3分も 立って居られない。
100メートル離れた場所にある 建物の陰に避難してたら、
バスが通過して行った。…
(次のバスは、1時間半待ち?)
(タクシー? 選択肢にない)
(財布には、市電とバス賃と、夕飯代と、帰りの旅費のみ)
お遍路さんすら 歩いていない遍路道(真夏の炎天下)を、1時間歩いた。
(帰って地図を見たら 直線距離で4キロだった)
赤とんぼと、銀ヤンマと、空色のトンボに送られ、
子守唄を唄いながら。
(ブラウスを帽子がわりに)
ペットボトルの水は、鞄の中で お湯になっていたが、
私の体温は、そんなには上昇していない。
人体の自律神経の働きには、恐れ入った。
路面電車の駅に近い場所に来ると、
ジャムおじさんの石像があった。
路面電車で向かったのは 次の目的地、朝倉神社。
(本物の森があると云う)
社殿の奥に 山があった。
森の主木(ハナガガシ?)を、間近で見ることは 叶わなかったけど、
本物の森(赤鬼山)の自然は、
その神社があることで、人間の破壊を免(まぬが)れ、保たれてきた。
…と云うことは 分かった。
宿に着いて、1時間休み、
夕飯の買い出しに1時間かかり(市街地から遠い)、
その日 最初の御飯(パンとサラダ)を戴き、
替えの下着を忘れたので洗濯し、バスタオルにはさみ、力を入れてしぼって乾燥させ、
鞄の中を整理し終えたら、日付が変わっていた。
翌朝は 6時前のバスに乗り、空港に向かった。
飛行機は、往路ほど揺れず、無事に到着してくれた。
手荷物を受け取り(ハサミが機内に持ち込めないため 預けていた)、
モノレール、列車を乗り継ぎ、
自転車置き場に 近い駅で 下車。
約4分歩き、たどり着いた精算機に 番号を入力すると、5百円だった。(6時間百円)
財布には、10数円が残った。
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