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2010-06-19(Sat)

6月17日の日記

弘前駅に到着し、森のイスキアに 電話すると、
バスが着く頃、バス停に 迎えに来て下さると云う。

約1時間半 待ち、枯木平行きの バスに乗る。
市街地を抜けると、岩木山が見えた。
幾つかの神社や、お地蔵さんの前を 通って、嶽(だけ)温泉(岳温泉)で 下車。(1,010円)

帰りの バスの時間を 手帳に 書き終わったとき、森のイスキア と書かれた 車が 停まり、スタッフの方が、私を 見つけて下さった。

バス停と 森のイスキアまでは、徒歩20分くらい とのこと。

別荘地の道端に シスターがいて、私を見つけて お辞儀をして下さった。私も 会釈を返した。

別荘地の 1番 奥に 森のイスキアは あった。

主催者の 佐藤初女さん(88歳)は、人生相談の達人で、
(弱った者を、尋問しない、説教しない、追い詰めない、追いたてない。
美味しい御飯を 食べさせて、尋ねられれば、答えてくださる人)
全国から 呼ばれている 忙しい先生だから、
活動の拠点である 森のイスキアの 利用希望者は、半年先まで 予約がいっぱい。

1泊の予約を取るのに 半年以上 待つのだし、高徳の人に会える 貴重な機会だから、
前日に 近くの温泉宿に 泊まるなどして、早い時間に 到着する人が 多いらしかった。

(夕飯の1時間前に、やっと たどり着き、翌日の お昼御飯も 食べずに 帰らねば ならない私は、ものすごい間抜け としか 言いようがない)

スタッフ(先生の助手)さんは、5人以上はいたと思う。(平均年齢70歳以上?)

佐藤先生の 鳴らす鈴に呼ばれ、お祈りして 円卓で戴く 御飯の美味しさは、たとえようが なかった。

夕飯の後で、椅子に移動した先生を 追いかけて、
相談したり、先生の手を握ったり、先生とハグする先客を、私は ぼんやり見ていた。
(借りてきた猫になっていた)

私の他に 8人の宿泊客がいて(内2組が家族)、
熱い思いや、深い悲しみを 打ち明けて、目を赤くしたり していた。

先生の他に、もう1人、光り輝いているような 方がいた。

私を 迎えて下さった あのシスター、
カナダの修道院から 3年に1度の 休みを利用して、来ていた人だった。
(80代前半。バス停から 歩いて来たと云う。高齢者には、見えなかった。)

佐藤先生と 姉妹のように見えた。
カナダに渡って 30年以上、逆らわず(従順)、結婚せず(純潔)、清貧に生きる誓いを立てて、約50年と云う。

クリスチャン・ホームで育ったと云う、訪問者が、
『何故 迷わずにいられるの? 宗教って本当に いいものか 分からない、でも 離れられない』と 告白していた。

どんな問いにも、耳を傾ける シスター。
でも、答えるとは限らない シスター。

俗人には、修道者が、
神(広大無辺な力)の助手に思われ、
智慧と 徳を 備えた、先生(神と 人との 仲立ち)に 見えてしまう けれど、
シスターは、神を安売りする人では ないのだった。

教会関係の 施設に泊まるため、スタッフの 車に向かう シスターは、私の肩を ポンと叩き、
「さっきのこと、祈っとくわね」と 言って行かれた。

ハイチの援助に 力を注いでいる 教会の、シスターと聞いて、
ハイチの 孤児院長の嘆きを(何故 神は このような試練を)、そのまま、シスターに 投げてしまったのだ 私は。
(その試練を 与えたのは、神じゃないと思いたい と云う 願望まで添えて)

佐藤先生の隣に、私が坐れたのは、もう 先生に 休んで戴かなければ、と云う時刻に 近かった。

「貴女は 特別なことは ないのね」
『はい』
私は、目の前に居る人の 期待を、…最優先する(可能な限り 裏切らない)者です。(泪)

でも、…
何も言えない(まして 助けて欲しいなんて 今更 言えない)者の手を、先生は 握って、何か 念じて下さった ようだった。

誰かとの 会話の中で、先生が 力を込めて 語った言葉、
「必ず良くなるから、言葉で言うのでなく 見守ってあげて」
「いつも 真実に 生きて いなければね」

…言葉だけでは 意味をなさない、生活(日常)に 裏打ちされて、血が通った言葉。
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お帰りなさい

2010-06-20 22:56

てんてこまいまいさん。長旅お疲れ様でした。
長途の旅を行って帰っての往復、疲れたと思います。

滞在期間が少し短いとは思いますが、でもたった一日でも行って良かったのではないかと思います。

>(弱った者を、尋問しない、説教しない、追い詰めない、追いたてない。美味しい御飯を 食べさせて、尋ねられれば、答えてくださる人)
本当にそうですね。
これについては、てんてこまいまいさんだけではなく、また特定の誰に対してというのでもなく、申し訳なく思っています。例の回答者のことを中心として、でもそれだけではありません、私の方でもいろいろ思うこともありましたから。どうして、こんなに裁いちゃうのかな、とか(Bさんは特異例として、自分も含まれてます)。あまりに弱い立場にある人を裁くので、人間ってなんなんだろうとかも思いました(いや、「人間って」じゃなくて、Bさんや一部の人がおかしいだけだから、その問いの立て方は意味が無い?と考え直したり・・)。Bさんだって、10年ほど?そのまんまだけど、議論が持ち上がる度に、変な勉強を重ねて、とうとうあんなになってしまった。彼に対する怒りとは別に、あれやこれに思いをめぐらすと、暗澹とした気分にならざるを得ないです・・。言い方をいくら巧妙に繕ったところで、武闘派仏教教団Sの人たちが、対立宗派の人々の不幸を鵜の目鷹の目していて(願っていて)、見つけてくるのと、何が違うのだろうか・・誰かの苦しみに説明をつけて納得している(そしてその説明に従うことまで要求してしまう・・)。おかしすぎる。宗教の理屈だけにはまって、狂ってるとしか思えません。慈悲なんかどこにもないとしか思えないが、彼(彼等)はそれが慈悲だと言うのだろう(もうそんなやりとりをやる気もしないです。より確信を深めてエスカレートするだけなのだし)。

長文につき

2010-06-20 22:58

イエスが、石打ちで追われていた女に反省を要求することなんかないし、石に打たれることを受け入れろとも言わないのに、どれだけ石を投げることを本当の愛情とか言って正当化したら気が済むのだろう・・。イエスはそんなことしてないし、お釈迦様だってそんなことしてないのに。具体的な話を一切聞かないで反省しろとか、あり得ない(もう個別の話なんか聞いてない。機械的に反省と感謝を要求してる。でもとても失礼です、目の前の人なんか見てもない、愛情のかけらもない話。)。
例の掲示板でいま騒ぎになってることの発端は、貴女が出かけてる最中のことだったから、半ば安堵?していたのだけれど(やっぱり見てしまわれましたよね?)、あぁいうことはこの10年近くの間に、時々あって、そして時々姿を消してはまた戻って来てさらに確信犯化するの繰り返しです。先日書いたことの繰り返しになりますが、貴女だけが余計に傷を深めてしまったのではないです。
ですが、私はもうあそこには出て行かない・・。もう何をしても無駄だったし、こじれるだけだから。ただ、申し訳ない、てんてこまいまいさんにも、誰に対しても、誰に対してでてなくても、ただ暗澹としたため息が出ます。

やっとまともなところに行かれて、イスキア、良かったですね。心理士の先生との出会いも。まともな人との出会いがあって、本当に良かったです。それがせめてもの喜びです。

お疲れ様でした。

朝顔さん

2010-06-22 06:05

ありがとうございます。1日でも 行けて良かったです。

>どうして、こんなに裁いちゃうのかな、とか…
自分も含めて、考えて下さる人が いるなら、人間も 捨てたものじゃないかも、…などと、思えそうな 気がします。

(おかしいことを、おかしい、狂ってるとしか思えないと、言ってくれる人の 存在が、うれしい)

> 例の掲示板でいま騒ぎになってることの発端は、

見てません。岩木山麓や 移動中は、電波が届きませんでした。

> 貴女だけが余計に傷を深めてしまったのではないです。

私自身は、傷を深めた実感は ないです。
(バンヅインさんも、誤解してた ようですが)

憤怒をパワーに 暴走したので、疲れたけど、…
(莫迦は こじれたけど)

他の方に 共感して、痛みを 感じることは、ありましたけど、…
それは 私が、志願したことです。

どんな人(寺)にも、良心があると 思いたくて、

でも あのサイトには、私にも 分かるような、(責任者の)誠意は 見当たらず、

その事実を 認めたくない私は、怒り狂った…のかも。

朝顔さんには、心から 感謝しています。

【無法地帯】に、真剣に 立ち向かえば、
(良心が通じない 空気の 抵抗にあい)
最善を 尽くしたのに、自分を 責めたくなる(罪悪感に悩む)、…

私は そうなって しまったけど、これから先、
【本物の 駆け込み寺】や、
【回復への道を、共に 探してくれる 真の先達】との縁を、つかみ、育てれば、良いですよね。
(ネットでも、現実でも)

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