トシ先生を 初めて見たのは、
政治家の秘書に連れられて行った イベント会場だったろうか?
私の目当ては 歌手(ミネハハさん?)だった。
でも、機関銃のように講演して去って行く先生を目の当たりにして、
あっけにとられた。
…私と同世代なのに、世界一寿命が短い国に行って病院作ってた?
…元 国境なき医師団?
…すごーい
トシ先生を 初めて間近で見たのは、
ボランティアの集合場所 JR某駅 改札そばの スタンプ台の前だった。
講演では、ペットボトルの問題を話しておられたのに、
コンビニ店に寄って、ボランティア参加者に、ペットボトルの飲料を買ってくれた。
事務所で郵便発送のお手伝いをするという、1日だけのボランティア活動。
私以外の参加者は皆、トシ先生のファンだったような気がする
…私は 某国立大学の心理学の教授に 振りまわされた苦痛や、
…絶対に帰って来ない人を恋しがる心 を 抱えた絶望や、
…自殺防止サイトの回答者として(7つくらいの文体を使い分けて活動し)睡眠不足で、
…無茶苦茶ハイになっていて、
…何でもいいから「良さげ」なことをして、
…脱獄中の死刑囚みたいな 心の憂さを忘れたかった。
(動機が不純だと、自覚してた)
(不純でも楽しんでやれば、ボランティアに参加しても良いみたいなことを、
以前、永六輔さんが言ってたような気がするので、やっても許されるかと)
無料奉仕のはずだったのに、帰りに高価な写真集を戴いた。
ただ、その本の価値を下げるような
照れ隠しのようなサインをされたことは、ショックだった。
3度目にトシ先生に会ったのは、講演会場だった。
その帰り道、会場に来ていた先生のファン(知らない人)に、私は写真集を譲った。
(持っているのが悲しくなったから)
講演の質疑応答で、私は 怒られた。
質問「素晴らしい笑顔の写真集。子どもたちの名前が分かれば、もっと親しみが持てる」
応答『名前を載せたら、会いに行ってしまう 考えなしがいる。秘密が守れない』
その写真集は、
国境なき医療団が活躍するような外国が舞台で、
難病とともに生きながらも 美しい子や、お嬢さんたちが被写体だった。
写真集の売り上げは、国境なき医療活動の資金になったのかもしれない。
先生は、
難病への偏見が、現地では ひどいことを語り、
平和ボケした日本人の中に、秘匿すべき事情を おしはかることもなく、
『感動した』とか言って、
観光気分で現地に行き、宝探しのように 被写体を訪ねようとする愚か者がいると、
だから、あえて名前を載せていないと言った。
…そんなことも分からない お前もまた、平和ボケの傲慢な愚者
…そんなふうに言われた気がした。
後日、半年間 通った 臨床心理士との面談で 私は、
何度も この件について 確認することになる
…この写真集の意義は何?
…矛盾しているのは、先生の方ではないですか?
…私の無邪気(素朴)な問いは、そんなにも 忌み嫌われるべきものですか?
浜松の勇者の言葉は、
ぞっとするほど明解だった。
『表舞台から消えてゆく人だから、青少年への悪影響については、心配いらない』
講演会に行ったのは 冬だった。
写真展に行ったのは 夏の盛りだった。
カンカン照りの日、JRのN駅からバスを乗り継ぎ、
山の奥にある会場を、1人で訪ねた
写真は素晴らしかった。
さすが土門拳賞にノミネートされる腕前。
被写体の笑顔が素晴らしいのは、カメラマンの心が美しいからに違いない。
技術も上等、動機も純粋。
素晴らしい。
…でもそこは、私から遠く隔てられた世界。
私の失敗は、
先生に出会った日に、自分を一段下げてしまい、
講演会の質疑応答のときに、もう一段 自分を下げて、
写真展に行って、更に一段下げて、
どんどん卑屈になってしまったこと。
葉内花の美しさや、
ハクセキレイの優しさや、
タブの木の穏やかさに 出会えたとき、
私に写真の腕があったらと、…
心を癒し、魂をうたた寝から覚ますような、驚くべき自然の姿を、
写真におさめたいと、
トシ先生ほどの腕があったなら 不可能じゃないだろうと、思ってしまうことがある。
ブログに たまに戴く、異国からのコメントも、
トシ先生ほどの言語能力があれば、理解でき、対処でき、
もしかしたら、返事も書ける?
などと思ってしまうことがある。
純粋な心を、養いたい。
そうすればいつか、
純粋な心を培ってきた人に会っても、
仰ぎ見たり、斜に構えたりせず、
友人になれるはず。
トシ先生が表舞台に戻る日があってもなくても、
もし、どこかで会うことがあったら、
ありがとうございますと言いたい。
貴方の思い出のお陰で、
久々にブログを更新できました。