それが「真似したい」ようなものでも、
『やめて』と思うような、間接的に 私の暮らしを 脅かす可能性があるものでも、
私に 評価・判断する権利はない。そんな時間は 与えられてない。
「かくありたい」自分を養い、目の前に現われる人に 誠意を尽くし、親たる天地の恩を 活かし、もの言わぬ 地上の主(潜在自然植生に基づく植物)を 守り支え、出来うる限り 無駄な(他の生物への)殺戮を 減らさんと志せば、
神の國のことを 想像したり、他人の生き方を 云々(うんぬん)する時間などない。
だから、他者の生き方(あり方)を あれこれ思うのは、私にとって、神の領域に 口を挟むくらい、思い上がった 余計なことではと、自分を戒めているのだけど、…
破壊的な考えに 支配され、主に 人間の嫌なところを見て成長し、軌道修正にも失敗したので、悪い癖が なかなか治らない。
治らないならせめて、素晴らしいと思った人を 讃えたい。
◆ 女川町の避難所で、被災者の少年(14歳)が、ピアノで ラジオ体操の曲を弾いて、よろこばれていると云う 記事を読んだ。
障碍(自閉症)を 持っているそうだけど、小学校の先生が 彼の才能に気づき、親御さんが ピアノを習わせていたそうだ。
津波で 大好きな お祖母さんが亡くなり、会えなくなってしまい、
家も 家財も(彼の大切な音楽ソフトも)、流されてしまったと。…
環境の変化が 苦手だったり、感覚が鋭すぎたり、コミュニケーションに ハンディが あるだろう少年が、
得意なピアノで 健常者を励まし、
自分をも 安定させていると云う。
彼のセンスと これまでの努力に、敬意を表さずにおれない。
彼の家族も(記事に登場した 弟さんや、お母さん、お祖母さん以外の人も)、よき人に違いない。
助けあうことや、
「人って良いものだ」と云う意識が、彼のまわり(日常)に 根づいていたと 拝察される。
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