医科大学関係者に、
「3日で死ぬはず、治してみろ」と、癌細胞を注射された 小動物を渡され、
昼夜 祈り続けたところ、医学生たちが 仰天する結果になりました、
と ある本を、紹介されました。
「難病の肉親が、信仰で 安らかに逝った」と、幸せそうに語る人から。
その信仰が 個人(故人)崇拝でなく、揃いの服を来て 集まったりせず、塩水を飲むのでなければ、仲間に入りたかった。
穏やかで、たくさんの仲間がいる人生なんて 夢のよう。
それに 権威(医学関係者)を やり込めた組織に入れたら、狐狸でも 積年の怨嗟が晴れて いいかもしれない。
でも、塩水に苦しんだ記憶と 懐具合が、会費の要る宗教を 拒みました。
寝ても覚めても 自分を責める 時間の檻から、早く 抜け出たい。
来世は(もし あるなら)、草か 木に 生まれたい。
黙々と 茂り、穏やかな生物の 糧となり、黙々と 土に還りたい。
これぞと思う 意義ある人に、時間と命を 譲れたらいいのに。
(間接的には 出来る?! 私に も少し 分別があれば?!)
バカとか 死ねという言葉、自分も 使いたくて たまらなかった。
散々、身に浴びた言葉なのに、使うことは 許されなくて。
こちらのブログは、私には 難解でしたが、母国語に会えたようで、嬉しかったです。
[11/04/14 10:09 返信]
【言葉は 人間の思いを込めるための 器に過ぎなくて、ただ 思いには 形がないから、代わりに 言葉にしてあげるのでしょうね】
【だから 形になれない、だから 出て行く場所がないまま 自分の中に 澱のように溜まって、自分を責め続ける その思いを、なにかしら言葉にして 外へ放り出すのですね】
【いうなれば言葉は 思いを捨てるための入れ物、ゴミ箱みたいなものです】
【言葉という形と それに込められる思いの 違いが わからない人にとっては、見える言葉だけが全てで、だから 延々と それに執着し続けます】
【けれど 言葉が 思いの器に過ぎないという事実を 理解している人にとっては、言葉は 決して 躓きの原因にも 心の障りにもならないのです】
【しょせん 言葉は 言葉に過ぎないのだと 割り切ればいいのです】
【だから 誰にも遠慮せず、どんどん 自分の思いを 言葉にして 外へ吐き出し 捨てていく】
【外に出た言葉は、訳を知らぬ人達によって 如何様にも 解釈されることでしょうが、それは 基本 どうでも良いことです】
【人が 言葉に込められた 個々の人々の思いを掴みとることは、いつだって困難なことであり、殆どの場合 曲解される運命なのですから】
【あなたも、誰か 特定の人に向かって言うのではなく、ただの虚空や どこぞにあるはずの 神仏に向かってなりとも、時に 痛罵の言葉を投げかけてもいいのですよ!】
【人と違って、虚空も神仏も、あなたの切ない思いが ことごとく尽きるまで そっと聞いて 受け止めてくれますから】
【やがて思いが尽きれば、神仏とも和解でき、自分の存在をも 許せる時が来ることでしょう】
【そしたら今度は、人に対して 優しい言葉で思いを伝えられるように なっているはずです】
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