(1990年代、放射性物質による健康被害を調べるため、ベラルーシで多数の遺体を解剖し、
放射性物質の残留量から、放射能が人体に与える影響を 明らかにし続けている人らしい)
ソ連の(ソビエト崩壊後は、複数の国になった)為政者たちの過ちを、繰り返してほしくない、
チェルノブイリ原発事故後の、不適切な対策によって、
ベラルーシの住人、特に若い人たちが、次々に重い病(突然死など)で 亡くなっている と。
日本政府が 情報を隠し続ければ、
数十年後には、日本人は激減するだろう と。
チェルノブイリより、放射能は少ない、大丈夫と思っていませんか?
チェルノブイリの事故は、100万キロワットの原子炉1基だけで、放射能 漏れは 1週間で止められましたが、
フクシマの事故は、1〜4号機の合計280万キロワット+使用済燃料プールで、
(閉じ込めることは まだ出来ていない)
(つまり、放射能 漏れが、1年以上 続いてる!)
ですから、
(いまだに 応急処置さえ済んでいない、東日本大震災による原発事故は)
チェルノブイリ原発事故よりも、規模が大きい と。
…そうじゃないか? と思ってたけど、
…ずっと疲れてて、休めなくて、いっそ死にたかったから?
…思考停止していたらしい。
先日、知人と ファミリーレストランで 会った日も 睡眠不足で、
約束だから、自転車と 電車と バスを 乗り継いで行ったけど、
書類の入った封筒を 知人に渡し、
キャベツと茸が乗った 緑色のラーメンを食べた後は、思考力が ほぼ停止していた。
『さっき、家の中で椅子ごと転んで…』と、知人。
その内容(後頭部を打ち、ぼーっとしている)を 私は、すぐには理解できなかった。
彼女より、ぼーっとしていたようだ。
『手と足も、机にぶつけて、怪我をした。痛い』
「気をつけないと…」
書類を見ながら、しばらく話すうち、
『あれ?』
『私、さっきから 同じこと聞いてるね』
と、言われた。
(えっ?)
(…気づかなかった)
「病院に行った方が いいかもしれない」
午後4時頃だった。
会った場所は、彼女の地元だから 聞いてみた。
「このへんに病院は?」
『ない』
「ちょっと電話してくる」
『あ? どうぞ』
PHSと、ペンとノートを持って、店の外に出た。
風が強く、冷たい。
役場の連絡先を インターネット(PHS)で調べ、役場に電話して、救急病院の場所を 聞くつもりだったけど、
メモをとるのに 適した場所がない。
ふと見ると、交番がある。
(交番で 教えてもらおう)
「すみません、頭を打った人がいて、病院に連れていきたいので…」と 切り出したら、
『いつですか?』
『どこにいますか?』
『意識は ありますか?』
『ぼーっとしている?』
『すぐ救急車を呼びなさい!』と言われた。
呆けたような私を 促すように、警察の人は 立ち上がって、
『119番かけて』とか、
『現在地は、…』とか、
教えてくれながら、ファミリーレストランまで同行し、
救急車が到着するまで、知人から事情を聞きながら、付き添って下さった(助かった)。
診察の結果、脳震盪(のうしんとう)とのこと。
大事にいたらず さいわいだった。
(1ヵ月後くらいに 影響が出ることがあるので、注意するよう言われたそうだ)
救急車内は 揺れに揺れた。
付き添って搭乗した私は 車酔いし、あやうく 嘔吐する寸前だった。
会計は5千円以上かかり、(たまたま)高額紙幣を持っていて払えたけど、もし足りなかったら、
強引に 救急搬送された 知人が、(後日、支払いのために)再び病院に 行く羽目になったかも。
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