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2017-08-31(Thu)

クマザサさまさま

就学前の健康診断で(小学校の入学直前に)
齲歯(虫歯)が9本あることを指摘された私は、ショックを受けた。

何故?
(子どもながらに)日々、真面目に歯磨きをしてたのに!
大人の指導に従い、食後に歯を磨いていたにもかかわらず、
虫歯が9本!?

今なら、
「食後 直ぐ 歯を ゴシゴシ磨くのは、歯を傷める」と知っているし、

「口腔常在菌のバランスを決める1歳頃までに、
 虫歯の原因菌と無縁な環境で 生活できた人は、ほとんど虫歯にならないが、

 そうでない人(常在菌の中に ワルが混ざってる場合)は、
 意識して 口の中をきれいにしておかないと、虫歯になりやすく、
 歯の磨き方を間違えたら 逆効果になることもあり、
 歯間や 奥歯の裏側など、幼い 子どもの手では、磨きにくいところがある」
 ことも理解しているが、

昔の子ども(自分)は そんなことは知らず、
大人の言うことに従ったのに、悪い成績表をもらったようで、
『保護者に恥をかかせた問題児』
『歯磨きをサボっていたのだろ』ということに されてしまった。

とても悔しかったし、痛い思いもしたくない。
だから口の中の健康には 注意を払ってきた。

歯間ブラシや フロス(糸)も、毎日 使っている。
だけど、治療のミスで 前歯を1本失い、更に 気を遣うようになった。

キシリトールガムを 大量に噛んでいたときもある。
(原料に 遺伝子組み換え食品が 使われていると知って 止めた)

最近まで(数年間)は、プロポリス入りの うがい薬を 常用していた。
(ハーブなどが配合されていて、口の中の汚れを まとめて捨てられるというもの)

使うと サッパリするので、その うがい薬に 依存していたのかもしれない。
1日に何度も使うことがあり、その頻度は増していた。

3ヵ月位前から、時々 血を吐くようになった。
傷もないのに、気づくと 口の中に鮮血が溜まっている。

歯科に行って診てもらったが、さしたる汚れもなく、
大量出血するような歯肉炎や歯周病も、見当たらないとのことだった。
結局、原因は不明だが、

プロポリス入りの うがい薬の乱用が、良くなかったのかもしれない
…気がしている。

クマザサのペーストを使って歯磨きしてたけど、それは貴重品だからとケチってた。
クマザサのペーストは、歯磨き後(就寝前) 歯茎に塗るのが 良いとのことでした。
(クマザサの成分は、人の体に必要な細菌とは喧嘩しないそうです)
試してみようと思います。


鍼灸の先生(土田 裕三先生)が、鍼灸だけでは回復しない人のために研究された
emojiクマザサエキスの歯磨きペーストの製造元











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2017-07-31(Mon)

在りし日の

林檎
今年は20個以上の芽吹いてる種に出会って、大半は人に託したが、

手元に(北向きの窓辺に)7鉢残した。

去年はずっと元気で、林檎をくれた人に託したのは、秋を過ぎてからだった。
去年が大丈夫だったから、今年もと思ったのが大間違い。

猛暑続きでも冷房なしの暮らしで 我が身が蒸し焼きみたいになってしまう…
そんな(判断力や体力があやしい)真夏を越したら、
前途有望な若い人に、2鉢(兄弟で)託すつもりでいる。

可愛い子どものような林檎の幼木だから、
貴重な(健康維持・回復に定評のある遠隔地の)水を、遣っていたのに。


1番元気だった奴が枯れてしまった。
全ての葉が枯死した後に、
幹の真ん中あたりから、小豆ほどの大きさの可愛いと若葉と、
それよりずっとずっと小さな美しい若葉をつけたけど、

数日後に、完全に枯れてしまった。(遺影になっちゃったよ) 
     
   

今は4鉢になってしまった。
どれも一時は危ない状態で、…

元気を取り戻した木(2本)も、葉っぱが2~3枚にまで減ってしまった。

6月に友人に写真を撮ってもらったときより、小さくなったように見える。
残った葉のすべてが、半分 焼け焦げたようになったり…
  
見映えが悪くなってしまった。
   (これは 枯れかける以前の雄姿)



他の2本は 挑戦者たち(先天的にDNAに異変がある様子)

一見すると 林檎の木には見えず、気づくと粉を吹いていたりする。
この独特の2本は、私が最後まで見届けたい。


私のみならず、林檎の幼木まで バテさせた 猛暑のもとは、
ヒートアイランド現象ではなかろうか?
だって…
クーラーとか 除湿機とか、あらゆる電気製品のモーターが 熱を発して、
それをそのまま 外に放り出して 捨てているのだから。

その熱を蓄電して、
冬に使えるような仕組みを、…物理の得意な方は 考えて戴けませんか?


雑踏の振動で発電する技術や、
手巻きの充電ラジオなどが 実用化されているのですから、

熱を外に捨てない(もの言わぬ生き物に、害を及ぼさない)冷房だって、
つくれないとは限らないでしょう?














2017-06-29(Thu)

飲み過ぎ注意


長年、酢を調理に使わない食生活だったけど、
(マクロビオティックや、ナチュラル・ハイジーン:果物と野菜中心、など)

この春から、髪のために黒酢を飲んでいる。

最近は、大匙1杯の黒酢に、
大匙1杯の砂糖大根のシロップ(てんさいオリゴ糖)を加えたものを、
ゴボウ茶か、ホウジ茶で割って(200ミリリットル弱にして)飲んでいる。

刺激的な匂いと味がして、
空腹の(好きなものが欲しいだけ食べられない)哀しさを、束の間 忘れる。

匂いがきついこともあり、
始めた頃は、1日1杯で充分だったが、
最近は、2杯~3杯飲んでしまう。
(-_-;)

黒酢もオリゴ糖も、貴重品なので(私の暮らしでは)
なるべく、1日1杯にしたいのだが。…











2017-05-31(Wed)

物換星移

その宗教は、団体としては、
昭和20年代に、兵庫県 西宮市でスタートしたという。

神通力を持った発明家(超能力者)が、伴侶の懇願に負けて開教したという。
神通力を使えた発明家と言えば、 政木和三氏を思い出す…

政木和三氏とは私にとって、「釣り名人」であり、
彼の発明品(高額)を購入して、
その品が不良品かもしれない件で 問い合わせをした私(寄る辺ない)に対し、
罵詈雑言を浴びせて電話を叩き切った人…でもある。

過ちを犯さない 完全無欠な性格の人間というのは、存在しない気がするから、
私に対する言動が乱暴だったからと云って、批判にはあたらないだろう。
でも、私の中では、
神通力を持ちながら、弱い者から お金を奪うシステムに加担していた人であり、
人の道を説きながら、弱った者に冷淡な暴君だった。
(ここまで書くのに3日もかかった 私の迷走は…)
(この愛すべき発明家から、激しく傷つけられた事とは無関係…とも 言い切れない)

神通力があるからといって、
釈迦・キリストは『私を崇拝しろ』とは言ってない。
政木氏もそうだった。
でも その宗教では、開祖さまを崇拝することが大切だという。

そして、開祖さまの言葉は絶対なので、
『悪いニュースが頭に積み重なり刻まれると、それが悪因縁となってゆく』
『悪いものは なるべく見たり聞いたりしないようにして』
『正しいきれいな心を保つようにすることが大切』
という生き方を墨守されている。

川原泉先生の「笑うミカエル」の舞台となった「セント・ミカエル学園」のよう。
その物語の冒頭には、
『見苦しい俗世間から遠ざかり 社会の不正・不合理なども直視せず』
『良妻賢母となるために』
『大天使ミカエル様の白き翼のもとに…』
『清らかで和やかで品がよろしくて滅多に道を踏み外すこともないので』
お嬢様方は 大天使の乙女達と呼ばれ、その学園は「綺羅の空間」だったとある。

先日、私は知人の紹介で、その団体のイベント会場に参上した。
幾つかの質問をしたためた原稿用紙を持参して、

ベテランの信者の方に、
その用紙(形式に則ってはいないが、一種の手紙)を手渡し、
膝を付き合わせて対話に応じて戴いた。その誠意には感謝している。

入信すれば、確信が得られるという結論で、私の心はモヤモヤしたままだった。
そこに、お茶と 焼き菓子が 運ばれてきた。
ありがたく お茶を飲んで、閉会時間がきたとき、
ベテラン信者の方は、お菓子をポケットに入れて 立ち去って行かれた。
(私の手紙を 机上に置き去りにして)

私という人間の心 そのものである手紙は(悪因縁の素だから?)机上に遺棄され、
美しい包装の(でも食品添加物が沢山入った 薬品カクテル状の)お菓子は懐中へ…
嗚呼。

昨年、知人との ご縁により
教会に赴き、信者さんの横に立ち、御礼参りをする機会があった。
入信する気にはなれなかったが、事務の方に話をして戴いたことは感謝に値する。

そのときの 信者さんの祈り言葉が、
王勃(おうぼつ)の詩 滕王閣 から引用され、
四字熟語となった「ブッカン セイイ」の語尾に「輝:キ」を加えたようだった。

「ブッ」で 風が吹くのを感じ、
「カン」で 物が出会うの(衝突)を感じ、
「セイ」で すがしい空を感じ、
「イキ」で 輝く光を感じる…

その宗教の信者の方々にとっては、私の解釈は邪道かもしれず、
そもそも 正しく聞き取れていないかもしれないが、

風と 出会いと 空と 光を感じる その 短い祈り言葉は、
一種の詩であり、真言というか…
それを無心に唱えることで、変性意識状態になることは想像に難くない。














2017-04-16(Sun)

義人「余武伝」~ 旧約聖書 超意訳

心が 岩清水のように清く、
天の神(大自然)を敬い、
愛(義)に生きる者が 地上に おりました。
天の神が誇らしく思う その男は、【余武】と呼ばれていました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

堕天使は、
天の神の寵愛が 人の子に向けられていることが、悔しくてたまりません。

「苦痛を たくさん与えれば、かの者も 愛に生きる道から 外れてしまうのでは?」
「財産と家族と健康を奪っても、天の神への信頼が 彼の心に残るでしょうか?」

「彼が、どんな目に遭っても、
天の神(大自然)を敬い 畏れる心を失わず、愛に生きる姿に戻れたときは、
天の神の誇るものを認めますので、
試してもよろしいですか?」

そう言う 堕天使に、天の神は、
「試してみよ」と おっしゃいました。
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

天の神の許しを得て、
堕天使は【余武】の家族の命や 財産を奪い、
【余武】の身には、その姿を見た者の 心を挫くほどの むごい病を与えました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

【余武】は、義侠心に厚く、醜い振る舞いとは無縁な男で、
神の心に沿って生きようと、心の耳を澄まし「聞こうとする人」でしたが、
突然の 降って湧いた不幸に 動転してしまい、
天の神を「問いつめる者」に なってしまいました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

見舞いに来た 友人たち【袁:えん】、【段:だん】、【蔡:さい】の心は、
善意でいっぱいでしたが、

面変わりして、呪詛の言葉を吐く 【余武】の姿を目にしたとき、
まず、年嵩(としかさ)の【袁】の心が、挫けました。
誇らしかった友の 変わり果てた姿に、耐えられなくなり、励まそうとします。

「しっかりしろ」
「蒔かない種が、実を結ぶことは ないはずだ」
「お前は一体 どんな過ちを犯したのか?」
「あるいは、お前は 為すべき何を怠ったのか?」

友を慰めようとして訪れた【袁】でしたが、
【余武】の気持ちを 思い遣る心は、どこかに飛んでしまいました。
謙虚さも忘れ、愛の心からも遠い 説諭を語り、しかも それは 矛盾していました。

人の蒔いた植物だけが、この世に育つのですか?
いいえ。
自生する草・木は 数多(あまた)あり、蒔かれずとも生え、 結実します。

【袁】の言葉は 苦しむ【余武】の力には なりませんでした。
【余武】は 反発します。

それは 当然のことでしたが、
その激しさによって、【余武】の心から 素直さと明るさが消えてしまいました。
堕天使は、勝利に近づいた と思いました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

知恵者であるはずの【段】は、【袁】と同じ轍を 踏んでしまいます。
【段】は 天の神を信じながら、「義人の受難」を 知らなかったので、
友の理解者に なれず、友を叱ります。

「お前の言葉は、乱暴で くどい」
「罪を認め、悔い改めろ」

励まそうとして訪れた【段】でしたが、
「ありもしない罪を認め、反省せよ」と 助言するのは、
奴隷になれ と 言うに等しい愚かなことで、堕天使を よろこばせました。

親しかった友人たちから、見当違いの言葉で 責められて、
病める【余武】は、いよいよ荒れ狂ってしまいます。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

【蔡】は、天の神を かたく信じる人でしたが、
「義人の苦しみ」については 【段】と同じく 知らなかったので、
苦難 =天罰 と 思い込みます。

乱暴な言葉を 吐き続ける【余武】が、善人に見えなくなってきました。
自分の大切な神が、【余武】に 侮辱されているように 思えてきたのです。

思い遣りを 忘れた【蔡】は、とりなしの祈りもせず【余武】に言います。
「身の程を知れ、全知全能の神に逆らうな」
「神には ただ、信じて 従えばいいのだ」

それは 偶像崇拝のような 愚かな考え方です。
堕天使は、うれしくて たまりません。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

【余武】と 友人たちの会話は、水掛け論に なってしまいました。
そこに【英】という人物が現われ、
自分の正しさを言い募る【余武】と、それを 止められない友人たちを 一喝します。

「天罰(因果応報)以外の苦難もある」
「天が警鐘として与える苦しみもある」
「鍛え上げようとして、天が与える苦難もある」

【英】の 言葉に、矛盾はありません。
【英】の 動機(義憤)も、もっともでした。

【英】を『教師の理想』だと、言う方が いるようです。
けれど 【英】の心に、
【余武】を いたわり、ねぎらう気持ちは あったでしょうか?

静かに病者に 寄り添い、
その心を あたためたいとか 支えたいと願う心が、【英】に あったなら、
天の神の 誇りに思う者は、地上に2人となったのですが、
そうは なりませんでした。
 
【英】は【余武】を見下し、愛の心が欠けていたので、正論は語れても、
【余武】の 心の嵐を 止めることは できませんでした。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

【余武】の心身は、
天の神との 対面を果たすことによって、回復しました。

堕天使の目論見は、
完全に失敗しました。

気づかぬうちに 堕天使に加担し、天の神に 呆れられた 3人の友は、
【余武】の祈りで 救われました。