罵詈雑言を浴びても(口で言っても分からない 牛馬なみのバカだから 殴らなきゃしょうがないとか:何の取り柄もないとか:苦しみ足りないから 傲慢なのだろうとか:このような、謙虚さや 素直さのない者に かかずらわっていたら、救える見込みのある人が 救えない、などと言われても)
その言語を、理解できず、
自分に 後ろめたいことが なければ、…聞き流すだけ。
悪意に満ちた 言葉でも、私が 同意しなければ、
私の心に 刺さることはない。
耳や目から 取り込んだ言葉を、
脳で 解読して、
「これは 相手の八つ当たり」
「負の情念に 振りまわされた人の 言葉だから、割り引いて考えよう」
「この人の 窮状は、私の性格や 言動が原因? 本当に?」
「確かに 私の失策だ。改めよう」
…などと、冷静に 対処して、
後は、なすべきことに 専念すれば、
傷つく必要も、自信をなくす必要もない。
人の 言葉には(本来)、私を 傷つける力は ない。
見た私、聞いた私が、唯唯諾諾(いい だくだく)と、それに合意したときだけ、
誰かの 暗い言葉が、私の心に 入り込み、
ぐさぐさと、突き刺さる。
たとえ 幼くて、
判断力が 足りなかったにせよ、
未熟だった親の、腹立ちまぎれの(暴力でしかない)言葉を 信じ込み、
自分を がんじ がらめにしたのは、この私。…
(誰も、責められない)
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