時間管理に使う道具で、セルフ・ヒーリングが 出来るとして、
セラピストと云う肩書きで、活動されていた。
私は ついていこうとしたけど、落ちこぼれた。
過去、人さまから 相談を もちかけられたとき、私が やったのは、
悩んでる方の 日常が、地に足ついたものに 戻って、
その方 本来の個性が 光るようにする、お手伝いだった。
でも 私(自分)の生活は、ボロボロだった。
安部浩之先生の言葉は、耳に痛い…
(現実に お会いしたことは ないから、物理的に 耳が痛い訳ではない)
だけど私は、この頁(ページ)を 何度も開く
http://www6.ocn.ne.jp/~aber7/new_page_165.htm
「魔」を「魔」と見る人が いるから、「魔」は存在できる。
「魔除け」の護符や技は、「魔」の養分になる。
「魔」は、寂しい(ヒトに依存していて、安心するときがないから)
「魔」は、強欲(わかちあう歓びを 知らないので)
「魔」は、支配したがる(信じあう よろこびが 分からない)
地球の生きものは、震え、揺れながら、生きてる。
震えずに、うねらずに、曲がりもせず 生きるなど、不可能。
面倒で、厄介で、助けあうことが 前提なの。
うまく行かないのを「魔」のせいにすれば、「魔」は 増殖する。
誰に対しても、無償の愛と、まごころを 惜しまない人、
いつも 心をこめて、「挨拶」や「後始末」や「掃除」をする 優しい人が 近くにいたら、
「魔」は「魔」で いられない。
「魔」と見なされた 子どもだった私には、それが分かる。…
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