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2011-01-14(Fri)

Symbolic Analyst Society 総合研究所から 学ぶこと

先の職業訓練で、時間管理を 教えて下さった先生は、
時間管理に使う道具で、セルフ・ヒーリングが 出来るとして、
セラピストと云う肩書きで、活動されていた。
私は ついていこうとしたけど、落ちこぼれた。

過去、人さまから 相談を もちかけられたとき、私が やったのは、
悩んでる方の 日常が、地に足ついたものに 戻って、
その方 本来の個性が 光るようにする、お手伝いだった。
でも 私(自分)の生活は、ボロボロだった。

安部浩之先生の言葉は、耳に痛い…
(現実に お会いしたことは ないから、物理的に 耳が痛い訳ではない)
だけど私は、この頁(ページ)を 何度も開く
http://www6.ocn.ne.jp/~aber7/new_page_165.htm

「魔」を「魔」と見る人が いるから、「魔」は存在できる。
「魔除け」の護符や技は、「魔」の養分になる。

「魔」は、寂しい(ヒトに依存していて、安心するときがないから)
「魔」は、強欲(わかちあう歓びを 知らないので)
「魔」は、支配したがる(信じあう よろこびが 分からない)

地球の生きものは、震え、揺れながら、生きてる。
震えずに、うねらずに、曲がりもせず 生きるなど、不可能。
面倒で、厄介で、助けあうことが 前提なの。
うまく行かないのを「魔」のせいにすれば、「魔」は 増殖する。

誰に対しても、無償の愛と、まごころを 惜しまない人、
いつも 心をこめて、「挨拶」や「後始末」や「掃除」をする 優しい人が 近くにいたら、
「魔」は「魔」で いられない。

「魔」と見なされた 子どもだった私には、それが分かる。…
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