裁判長は、実母であった。
判決が下ってから、約40年が経過した。
それ以前から、他の家族からも 冷酷かつ 乱暴な扱いを受けており、その判決を 受け入れて育った。
子どもらしく、無邪気に 小川や田んぼ(休み中の)で遊ぶこともあった(レンゲの花は好きだった)が、家に帰れば、おそろしいのだった。
実家があった土地の、因縁話には事欠かない。
・明治時代まで、首斬り場(刑場)があった。
そのときの(刀が 風と人を切る)音を 思い出すから、
洗濯物を干す時に、勢いよく布を振って 鳴らすのは 止めるよう、
姑に言われたと、昭和(戦前)の花嫁は語った。
・被差別部落があった。狭い範囲に、寺院や 教会が 多数あった。
・お寺に 疎開で 来ていた子どもが、空襲で なくなった。
・怪談の舞台(未解決殺人事件の現場)が、複数ある。
・現在は、過激な新興宗教(排他的 攻撃的で、異教徒を『人間として 恥ずかしい人種』と見なす。彼等の願いは、世界の人間の 4割を信者にし、3割をシンパにし、3割を攻撃対象に することらしい)の 施設と、信者の住まいが やけに多い。
その新興宗教では、異教徒の不幸(横死や 精神異常)を 素朴に信じ、真理の如く 語り伝え、…つまり願っている。
それは ほとんど 呪いのような 信念で、健全とは 思われない。
そう云う人々の 信念(情念?)に 馴染んだ土地は、因縁が浄化されるどころか、横死、未解決凶悪犯罪が 絶えない。
もう止めてくれ!
(かなしみを 繰り返すのは)
(誰だって 自分の適性を活かして 幸せに生きる権利は あるだろう。
でも それは、…
母たる自然を 必要以上に浸蝕せず、
思想信条を 異にする人々とも 助けあい、
存在を認め 尊敬しあい、
時には 譲りあったりすることで、
実現できるのでは なかろうか?)
元恋人は その信者だった。
その信仰の方々(同僚・近隣住人・親戚)から、暴言、罵り、呪いの言葉を たくさん頂戴してきた私は、
その宗教と かかわりたくなくて、男友だちができると、
『あの宗教は嫌いだ、いいことを 教えてるのかもしれないが、私は嫌いだ』と、意思表示していた。
しかし敵は、結婚しようと云う話になるまで、信者であることを、おくびにも出さなかった。
最悪だ。
彼は、教祖に魂(心)を捧げているからか、(?)
心がないと言った。
私に向ける心は、ないのだと。…
だけど、異教徒の不幸を 願うような宗教(教祖)に 心を捧げて、
幸せ(健康)な人生など 有り得ようか?
有り得まい。
…そうして悩んで、私の心の大方は、彼に盗まれたような 状態である。
彼が、利用価値のない 私(彼の未来に 利益をもたらさないと 判明した)に 近づくことは、もうあるまい。
もう結婚し、孫までいるかもしれない。
彼が せっかく 私の人生から 出て行ってくれたのに、
私も、彼の人生を 彼に返した(干渉しないと決め、別の相手を 見つけたく思う)のに、
心が、過去にとらわれ、生きる気力が湧かない。(自然には)
幼いときに 思い込んだ、自分に かけた呪い、
『自分は 世に仇なす 悪い奴であり、早く死ぬべき 化け物である』を、
祓い清めたくて、
目が潰れそうに疲れるまで 書物を読んだり、
いいと言われる人を 訪ね歩いたりしたものである。
にもかかわらず、その暗い思い込みを、祓い清めるどころか、
ますます深める展開に、最近までなっていた。
そんな私に、『自分は、精神世界の 裏と表を 知っている』と思わせて誘った、心理学者の 振る舞いは、
(回復の希望を持たせ、混乱が増した状態で、放り出してくれた)
冗談や 笑い話では すまない。
冤罪の死刑囚に、希望を持たせ、
トラブルが起きたら 逃げ出すような弁護士が、人道的に 許されないように。
私が 愚かだったと思い、
期待した 愚かな私を許し、
あの人物に関する記憶は、完全に 消し去り、
幸せでありたく思う。
だが、まだ許せない。
同じ誤ちを、繰り返す 恐れを 感じてか?
許せぬ。
これは、心理学者との問題では、もはやない。
その学者先生に 悪意は なかった、
ただ 土壇場で、困っている他人より、自分が可愛くなった、…
正直な人だったと思う。
自己責任と云う、便利な言葉も 流行っているし、
縁がなかった ことにすれば、
心の問題で 責めを負う世でもない。
『自分には 神仏の加護があり、その言葉を伝える 霊媒もいる』
間違いや 失敗の絶えぬ 愚かな人間を相手にする 下らない人生よりも、
『高次元の世界に存在する 神仏相手の、
清浄で誤りのない 覚者の人生を 選んだ』つもりの人に、
…何を言っても 通じまい。
そんな徒労感がまた、昔の恋を 思い出させる。
どうせ自分は 死刑囚、助からない。
せめて、かかわった人には、幸せであって欲しいと、強く願っている。
大きな絶望に根ざした、それはそれは 強い願望である。
心理療法で、
積年の怒りと、深い深い絶望と、恋の執着が、
祓い清められることを願う。
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