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2011-09-03(Sat)

哀しき善人

何故、電話した?
与党の代表選候補に立つよう、(角栄氏の弟子から)頼まれるなど多忙を極める政治家の秘書に。

『娘の嫁いだ田舎は 素晴らしい、広い』と 語る 秘書氏。
(そんなに広いところなら、私の居場所も 見つかるのじゃないかと)

親の知人だ。親の肩を持つ道理。
(でも、本音が聞けて、闇の深さを実感できたのは、よしとしよう)

親、…個人事業主だった。
使用人としての手数料を、私(使いでが悪い)には 1円も払いたくないと思ってる。
(私も、もう使用人でいたくない)

精神を病んだ弟を、追い詰めるような 対応を、何年も続けた親。
当然の如く、事態は悪化し、
因果を理解しない親は、徒らに傷ついた。

(適切な対応を 識ってほしくて 語りかけ続けた)私を うとんじて、私を(黙らせようとして)、色情狂よばわり。

目もあてられない。

(稼ぎがよくなく、嫁にもいかず、孫の顔を見せず、結婚式祭りも催さない、彼等にとって 不孝者の 私が) 何か言うと、
『言葉づかいが 親を愚弄している』とか、
『長男は こんな醜態を演じて、親を傷つけてきた』とか、
『財産目当ての嫁のせいで 云々』と、まくしたてずに いられない様子。(被害妄想)

良い報告しか、聞きたくない親。
何故なら、自分たちは、働きに働いてきたからと、
自力で 家も建て、3人の子どもに 高等教育まで受けさせ、義務を果たしたからと、
子どもは 揃いも揃って、最低な部類だが、親のせいにされてたまるかと。

弟の精神疾患が、親の責任などとは、私は 言っていない。
(思ってもいない)

縁ある人として、救いの手を!
理解を!
…そう願っただけ。

しかし、被害者意識で 心を腫らした親は、
不快な情報を、攻撃と受け取って、荒れ狂う。
これ以上 親に、醜い言葉を吐かせられない。

経済的に破綻しても 構わない。
過労と空腹で、頓死しても良い。

限りを尽くして、理不尽な現実を受け入れ、私を嘲笑する(大嫌いな)人々の さいわいを祈って尚、
孤独であり続ける自分は、私の理解を超えている。

ただ、もう、あの両親の下僕でいては、駄目と思う。

秘書氏も、まったき善意の人。働き者で、有能。
忙しいと言いつつ、細かいことに こだわらず、よく 感謝をする方だった。

しかし、全き善意の人ほど、酷薄だったりする。
自殺防止を謳ったサイトの回答者(の中の 何人か)が、
雨の日や 雪の日に、私を 警察署に走らせた(自殺予告に怯えたり、私自身が 自殺に追い込まれかけた)のと、同じ からくり。…

薄給だが、資産家の議員を 支えるために、よく自腹を切ると言う秘書氏。
(お菓子代、事務用品、チップ等)

…私は、懸命に、私を 裁いた(自分の秤で、他人である 私を はかり、駄目と判定した)人を 認めようと、この文章を 編んでいる。
(その上で、傷ついた自分を許さないと、息が詰まる)

しかし、まったき善人は、
そのような(崖から 這い上がろうとするような)者の、言葉の表層を とらえて、
傲慢とか、批判的とか、後ろ向き などと決めつけ、…
笑ったり、否定したり、
崖下に 突き落とすが如き 振る舞いを、躊躇しない。

拝み屋宮司 心理学博士の看板を立てていた方も、多分 そうだったのだろう。
(今は知らんが)
ネット上の 遣り取りだけだから?
悪意は なかったから?
信者が たくさんいるから?
信者に感謝される仕事をしてるから?
私を 崖下に 突き落としたことを、忘れ果てたのかもしれない。

私も忘れたいよ。踏みつけられて 顔についた、靴の泥を 落としてね。(心象風景)

だけど、這い上がろうとして、いろいろな人に 否定されるたびに、顔につく靴跡(泥)が 増えてゆく。
そんなことの繰り返しで、終わるのか?
這い上がろうとすること(自尊心を持ちたいと思うこと)さえ、私には許されないのか?

(そのようなことは、ありえぬ)

自分の闇と 対峙する勇気のない人が、まったき善人で いようとするから、無理が生じ、
その無理(矛盾)が 暴力となって、弱った者に 向かうのだ。

しいたげられた存在を、(自業自得だと)嘲笑する人は、病んでいる。
虐(しいた)げられた存在を 笑う人は、
虐(しいた)げる側に 与(くみ)しているのに、その自覚がない。

そのことに気づく人が、多数派になったとき、児童虐待も、自殺も、減少に転ずる気がする。…

その秘書は言った。
『先生に あなたのことを話せば、すぐに、何処か 紹介してくれると思うけれど、それはしたくない』
『あなたみたいな 正義感の強い人は、政治の世界は 絶対むりだから』
『私に お金があれば、助けて上げられるのだけど』
『私が元気で、暇もあれば 知恵も出せるけど』

金銭的余裕がなく 多忙だから、他人の支援は無理とほのめかし、
正義感が強い輩は、政治家の周辺に 行くべきでないなどと 勝手に判断し、
広い田舎は、自慢するだけ。

親に 頼れぬ訳を 話したら、
『あなたのお母さんは素晴らしい人』だと、私が 嘘を吐いているかのように言う。
そこで 食い下がった私に、返って来た言葉は、
『そうやって、批判するから 駄目なのよ』

現実を否定し、批判してるのは どちらです?

あなたが 有能さを誇り、人脈を誇り、田舎を誇らなければ、私は 助けを求めませんでした。
誇るだけ誇って、橋渡しは出来ぬと言われ、
「はい そうですか」と 引き下がる奴が、いるでしょうか?
窮鼠 猫を噛む、ことわざにもあります。

あなたの 病める誇りが、私をまどわせ、電話をかけさせた。
耳障りな言葉を、私に言わせたのは、私を 嘘吐き扱いした、あなたです。

先生に尽くすことと、家族・友人を 大切にすること以外、興味がないなら、
誘蛾灯のような真似は、なさらぬがよいでしょう。

しかし、それでは 苦しいのでしょう?
誰かれ構わず、目の前の人と 支えあい、助けあうのが、人にとっては楽なのに、…
それが出来なくて 苦しいのではと、胸中 お察し致します。
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2011-08-18(Thu)

ひとさまのブログに この世の名残と感謝を

末永く ご健勝で あられますように (コメント)
2011-08-17 06:58:22

直近の先祖、父母。しらふでも、暴言・どうかつ・嘘八百の父。夫から身を守るため、娘を盾にした母。

そんなの 超越してやろうと頑張ったけど、脳の回転が遅い。
体が冴えない、鍛える余裕がないうえ、頭までわるかったら(難病や 精神疾患で ない限り)、落伍しちゃう社会制度なのに。

セーフティネットと呼ばれる 生活保護に引っ掛からない。
『時給が安いなら、Wワーク探すとか』
淡々と言う 社会福祉協議会職員。
『とか』に続く言葉をもたないで、人でなく、制度を守ってた。

『うつ病になれば 休めますよ』
アルコール症の兄弟のことで 相談に言ったら、精神科医が言う。

『被害者意識』全開で、アルコール症の夫や息子を コントロールするために、私を盾にして、狂人の返り討ちに遭う、妻と母。

最後の男系血族が 酒に飲まれ、寂しさのあまり、盆帰りの私に 暴言を吐きまくる父。

アルコール症の兄弟の『被害者意識』も 物凄い。
一流企業に所属し、酌婦を伴侶にしたまでは良かった。

男だからと 守られ許された境遇を、当たり前の権利のように享受して酒に溺れ、
『色と芸を売らぬ女はクズ』と、母姉妹(かたぎ)の前で、何年も言い続けた。

結婚してから 狂いがひどくなった。

アルコールの正体を知らず、断酒する気がない当人と その妻。
(優しくない姉妹と、上手に叱ってくれない親の責任だって言う)

アルコール症について 学びもせず、断酒を迫るだけの老親。

狂った身内を『バカで恥だから 野垂れ死ねばいい』と断言し、
『心配する お前がおかしい この男好きの役立たず』と、わめく老親。
(男好きなら 20年も独居していないでしょう)

こんなになってまで、逐電する気力も 自殺する気力もない。

私のような人間には 何を言ってもいいのだと、
祈祷屋・心理学者と その弟子はみなし、安易に誘い、面倒くさくなれば 勝手な言葉を浴びせて 追っ払った。(3年も前のことです)
良かったのです、それは。明治神宮の話をしたのが きっかけで、早々に分離できた。
神宮の神様 ありがとう。

どうせ皆 死んじゃうのだから、生きてる間は 助け合って 楽しく暮らしたい。
精神の病人が出たら、恥と責めるだけじゃなく、治療につながるように 病気のこと識ろうよって 思ったから、駆けずりまわったけど、
自分の暮らしが 苦しくなっただけじゃ…
あ、アルコール症の 自助グループに行けたのは、良かった。
家族だけの 自助グループに行ったときの100万倍、人を肯定できました。


Unknown (返信)
2011-08-17 17:18:24

血の系譜というものは なにぶん 自分では選べないものですから、この世にまま そういう厄介な事例もありますね。
何事にも 例外はあるものです。

あなたという枝葉が茂るための前提である 元の根幹そのものが すでに腐り蝕まれている。
このままでは あなた自身までもが枯れてしまう。

そういう時は、接木とか 挿し木という考えができますね。

あなた自身が、元の根や幹を 切り捨てて、自分という若枝を 直接別の場所、地面に 挿してしまうのです。

そこから あなたは 自分で根を生やし、あなた自身が 新しい木の根幹になっていきます。

まあ 何ごとも 程度問題ということはありましてね。

あなたの努力で どうにか出来ることなら、頑張るのは良いことです。
しかし どう考えても、あなたの努力で どうにか出来る程度を超えている。

だから ここで必要なのは、まず優先させるべきは、彼等のために 自分が犠牲になることではなく、彼等を見捨てででも 自分を守り 活かすことです。

なんとなれば、生物の親は 子を活かすために死ぬのが 本来の役目ですから、あなたが生きるために必要なら、彼等を見捨てるほうが、むしろ親たる者の 本望なのですね。

そのために 冷徹になりましょう。
自分を 彼等のために 無意味な犠牲にすることは、金輪際キッパリやめましょう。
彼等は彼等で 天運が残っていれば それなりに 何とか生きて行くでしょう。

あなたには あなたが生きる道がある。なければ見つけていく。

その時、自分の過去の傷跡や 今あるかもしれないハンディキャップのことは 一切忘れるか、そもそも そんなものはないと 超然と無視なさい。

自分が持ちあわせるものが この身一つ この心ひとつ、生まれたまま 無一物の存在であると開き直れるなら、自分は何も持たないけれど、同時に 何の損も 傷も抱えていない、まっ更な存在でもあるのだと 信じられるはずです。

あなたは 真っ更な存在なのだから、誰にも 何にも 引けを感じる必要も 怖気づくこともない。

他人もまた 自分と何処までも対等な 無一物の存在であることを信じ、どこまでも 心一つで ぶつかってご覧なさい。

たぶん幾人かは それを せせら笑い 門前払いするかもしれません。

でも誠心誠意、心ひとつだけを持って 相手の心の扉を どこまでも諦めず 叩き続けるのです。

人の 挫けない 真の思いは、必ず 同じ人の心をもつ相手の、その かたくなに閉じた 心の扉をも こじ開けることができます。

それが 一度でも叶ったことを実感できた瞬間、あなたは 力強く 生まれ変われます。
内面から 自尊心が蘇ってきます。

そしたら、改めてもう一度、縁切りしたご家族に 対峙してみるのもいいでしょう。

2011-08-17(Wed)

ひとの日記

> お盆と墓参りにおける諸見解
> 2011-08-14 09:54:52 Weblog

>> 『墓参りって何のためにするの?』ネット住民が激論

>> 『お盆のお墓参り』が先祖を思う気持ちから 毎年恒例になっている人も多いだろう。 
>> そんななか、先日2ちゃんねるに『墓参りって 誰が得するイベントなんだよ』というスレッドが登場
>> 『そもそも 墓参りは 何のために行うのだろうか?』について 激論を戦わせている。
>> はっきり『無駄だ』という意見も現れたが、
>> 『墓参りすると ご先祖様に 駄目人間ですみませんって反省する自分がいる』
>> 『自分が墓に入る年齢に近づかないと わからないだろうな』
>> と、墓参りという行為に 何らかの意味を見いだす人は多く、なかには
>> 『墓参り自体が目的なんじゃない。往復の道中で、普段会話がない家族や 親戚と話をするのが大事』
>> という イベントとして重要という指摘も 登場した。
>> ちなみに、墓参りの意味について、ホームページなどで語っている その道のプロは、
>> 『一般的な回答としては、ご先祖様に 結婚や出産などの 家族の出来事を報告するためとか、亡くなった方の ご冥福を祈るためであるとか 言われています。
>> (中略)それ以上に 大切なことがあると考えています。
>> それは、お墓参りをすることによって、冷静に 自分自身を見つめなおすことができるということです』
>> (お墓参り代行サービス)
>> と説明しており、結局のところ どう感じるかは その人の心もち次第といったところ。


> こういう問題は いろいろ解釈出来ると思う。
> 基本的には、自分が 家庭や子供を持った時、子供たちに 自分たちのルーツが どこにあるかを伝え教え、一族の名誉に連なるものとしての 自覚をもたせる。
> そのための習俗だと思う。
> そういう自覚によってこそ 人は 良き 社会の一員ともなれる。
> そういう具合に、個人を 社会から疎外せぬように、自然に 社会の一員として 取り込んでいく 良くできた 社会統治システムの一つ なのでは あろうと思う。
> その上に、様々な 宗教的意義などが乗っかって、システムそのものを カモフラージュし、露骨に見えないようにしている。
> それは メカニズムが露骨にさらけ出されていると、人はそれを 理屈で解釈し 無意味と判断しがちだが、宗教的意味合いや 神秘でカモフラージュされていると、それに対する 理性的追求そのものが 留保されてしまうからでもある。
> そのほうが、無駄に不必要な議論を 巻き起こさないで済む、結果 人々が 自然に習俗として行うように 仕向けることができ、自動的に 人心に 落ち着きを与え、社会そのものをも 安定に導くことができる。

> まあ 根幹がしっかりあると信じられるからこそ、枝葉は 安心して 栄えられるということはあるものだ。
> あるいは 大地が不動であると信じるからこそ、そこに足をつけている自分自身 安心して暮らしていける。
> しかして 実際には もはや根幹は はるか昔に無くなってしまって 今はここにないものだし、不動だと信じる この大地は、宇宙にぽつんと浮かび 激流に流されるように 凄まじい速度で 動き続けている。
> 真実においては、私たちは 空に向かって投じられ 瞬間 宙に浮かんでこそいるが、いつ落ちるかもしれないボール、断崖絶壁の間に渡された 一本の細い綱の上を歩く 曲芸師ほども、孤独で 危うい存在だとも言える。
> そういう真実を ありのあまに見れば、多くの人は たちまち不安に苛まれ、そこから 一歩も前に進めなくなる。
> だから 仮初の方便として、自分たちを しっかり支えてくれている根幹や 不動なる大地の存在を 信じる必要がある。

> まあ、わかったような、わからないような話だが、とりあえず そんなところでは なかろうか?
> というわけで、お盆である。

> 行ける人は、できるだけ行ってあげて 花の一本、線香の一本、茶碗一杯の水なりとも供養し、行けない人は 心のなかで 誠意を込めて詫びつつ、どうか 安らかに眠りたまえと 手を合わせていれば良い。
> それだけのことで、先祖との心のつながりは 途絶えないし、自分に気持ちも 無意識なレベルで落ち着く。
> 習俗なのだから あんまりややこしく考えないでもいい。
> できること、やるべきことだけでも 誠心誠意 きちんとやっているなら、あの世の先祖も 基本 ややこしく 文句は言うまい。
> そう思う。

2011-08-08(Mon)

美しい惑星

夜更けの帰り道。
書店に寄ったら、照明に照らされて、カマキリが 光り輝いていた。
(私の 半袖シャツの 左袖の上で)

重い鞄を 肩にかけていた(私)。
ズリ落ちてくる鞄を、(無意識に)持ちかえていたら、…
潰していたかもしれない、2センチくらいの 幼虫だった。

店を出て 右手に乗せたら、カマキリは、こちらを向いた。
小さな顔を かしげて、私を見た。
その顔は、この春、列車で 席を譲ってくれた 青年の顔に 似ていた。
なんと 優しい姿であることか。
若葉色の生き物よ。

苦しい、…
きつい、…
寝ていても 息苦しい。
歯ブラシさえ 重い。
どうして こんなになってまで、ひとりで 耐えなきゃ ならないのだ(私)…
休めないで、…
駆けずりまわらなきゃ いけないのか(私)…
いと おかし。

この世で 休めないのなら、迎えが きてもいいよね。

だって、…
やれることは やったのだから。
八つ裂きにしてやりたい とさえ思った、ネット上の加虐者たち、
(暴言を 投げつけたり、嘘を吐いて 振りまわした、…苦しんでいた私に、むごい ことをして、謝りも しなかった人たち)
(すべての責任は、傷ついた 私に あると云う 態度を示した人たち)
(正義の味方の ふりをして、私を ストレス解消の はけ口にした人たち)の幸せさえ、祈り続けたもの。…

私を 見下す人にも、誠意をつくしました。
余裕など なくても、
この人に会うのは、今日 限りかもしれない と思えばこそ、…
しかめ面に、微笑みを 返しもした。
荒れ狂う、その 水面下に おわします 和魂に、ご挨拶 申し上げ奉り候。

カマキリよ、クワガタよ、ヤモリよ、トンボよ、テフテフよ、ヒヨドリよ、オナガよ、スズメよ、コゲラよ、セキレイよ、シジュウカラよ、カラスよ、ひそやかに咲く花よ、
汝らのお陰で 豊かであったぞ。この身は、無秩序な暮らしの中に 埋もれようとも、心は。
…いと おかし。

ブログの会社が、ツイッターや フェイス ブック、その他 もろもろ、加えだして以降、…
PHSでは、ログオンしただけで、容量不足になってしまう。
キャッシュ・メモリーと、Cookieファイルを削除したりして、何とか 管理画面に たどり着く。
数分かかって たどり着いても、
動きが遅くて、記事を保存するのに 数十分かかり、
それも、正常終了するとは 限らない。
2時間以上かかって、投稿できない日もある。

ブログって、…
苦労してまで、やる義務 ないよね。…

神社で戴いた ドングリを育てて、ポット苗を作って、…
何人もの人から『邪魔』だの『莫迦』だの 言われたよ。

宮脇先生の本を 配りまくったけど、身近には、理解者は 現われなかった。
此処は何処で、私は誰?
海の底ですか?
異星人ですか?

『本』が 難しいなら、…
「会話」なら 分かるかと、ラジオを 文字起こししてみた。
あれなら、分かってもらえるのじゃないかと。

あの記事で、この ブログの役目は、終わったかも しれない。

2人…
毎日、読んでくれた人。
カウンターが 物語った、このブログの 読者の数(少ない日)。

読者がいたから、書けた。
その2人が いたから、…
このブログが 今、存在しているのです。
その2人が 書かせてくれたのです。今日まで。
…ありがとう。

「ホイ」
掛け声と 共に、
カマキリを、植え込みに 放った。
…ありがとう。

2011-08-06(Sat)

うなずく後ろ姿

断酒会で、喋り過ぎてしまうことを、私は恐れた。

ひとり当たりの 時間配分は、3〜4分。(参加人数による)
進行係は、順番を決めて、
「どうぞ」とか「お願いします」とか「ありがとうございました」は 言うが、…
長い話を(10分近く 話す人がいても)、止めたりしない。

『誰かに言われて』行動を改めたのでは、ダメなのだろう(治療に 役立たないのだと思う)。

(話したいことが たくさんあっても、譲り合わないと、皆の時間が なくなる)とか、
(話したいことが たくさんあるのは、自分だけじゃない)と、気づいて、
人を「思い遣る」気持ちが 発動するごとに、
(酒のない人生など、無味乾燥だ)とか、
(飲んでいるときだけ 緊張が解ける、唯一の安らぎが 飲酒なのに)とか、
(アルコールで リラックスできない人生など、恐怖以外の何ものでもない)と 思い込んだ、かたくなな心が、やわらかくなるのかも しれない。

正直かつ 真面目な、断酒中の アルコール依存症者の 集会に、参加させて戴き(精神状態の不安定な人が、少なからず いる中)、
家族にも感じたことがない、好意と 共感を覚えてしまった。

際限なく 口が軽くなりそう。
(これまで 聞き役が多かった反動が出そう?)

だけど いくら好きになった場所でも、野放図に ペラペラ喋る訳にはいかない。
(私の話は、精神治療の プロの精神さえ、壊してきた実績があるのだから…)

断酒中の皆さん(会員さん)を、ドン引かせることは 言いたくない。
けど言いそう。…
(困った)

だから、私は、2回目の参加の前に、アルコール依存症の治療施設がある病院を、受診した。

保険は きかない。(5千円かかった)
弟の名前を書かされた。
アルコール依存症の弟が、そこにいなくても、患者様として 尊重される。
そう云う システムだった。

2時間待ちで、ケースワーカーの面接が15分、医師との面談が30分。

そこで 医師に言われた ショッキングなことを、断酒会で愚痴った。
私が話したときに、目の前に坐っている人が、大きく頷いていた。
医師の助言のうち、アルコール依存症者の心情を 代弁していると思われた言葉を、選んで話したのは私だ。
それでも、そんなに はっきり、大きく頷く 後ろ姿を見たら、心に刺さるものがあった。

アルコール依存症に 陥った人の神経は、そんなにも 繊細だったのかと。
加害者としての自分を、思い知らされたようで。