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2011-10-05(Wed)

生きるために ③

私が以前、出会った 蛾(ガ)は、…
弱っていたが 産卵し、光沢のある白い卵に、自分の羽根を すりつけていた。
羽根から 鱗粉をはがして、卵に つけていた。
淡い茶色の鱗粉で、卵を隠すように。(保護するように)

虫でさえ、…
母親は、わが身(わが命)を削るようにして、子を産み、守ろうとする。

自分の子どもに「いっそ殺された方が ましでした」と 言わせる親でも、
(DNAに操られてか、若気のいたりかは 知らないが)
伊達や酔狂で、子どもを産んではいない。

腹を痛めて産んでくれた人への 配慮ゼロの自殺論。
自殺率が高い アルコール依存症者や、貧困者のことは、まったく かえりみられていない医師の自殺肯定論。

ブログだから、ファンだけを想定して書かれたのでしょうか?

私の心には 散弾銃のように刺さった。
私は【読むな】とされた側の人間に見えるかもしれないけど、
悩みに押し潰されっぱなしではないし、死神とも距離を置いている。
だから、読んでもいいと思った。

心に刺さった無数の銃弾を、丁寧に取り除かねばならない。
これは事故。

『自殺者を可哀想と思う必要はない』とか、
『誇りをもって 旅立った 自殺者の可能性もある』とか、
『人の死に方に、他人(あなた)が 口出しする権利はない』みたいな文章を、
医師が書く 不思議な国、日本。

『子どもは読むな』と書けば、子どもは むしろ読む。
やわらかい子どもの心が、私的な自殺肯定論に染まらないことを 願う。

かの医師の世界には、私のような、厄介なカタツムリは存在しないのでしょうか?
だから無邪気に、正論を展開できるのでしょうか?

(ドクターXの、自殺肯定論への反論の続き)

> 子どもの受ける『倫理・道徳教育』に、
> 『人の物を盗んではいけません』とか、
> 『人を殺してはいけません』というのがある。

> こうした教育(洗脳)により、
> そうした行為(一般的な悪)を、減らす試みが なされている。

> 『殺しあったり、盗みあったりしていては、穏やかな生活ができない』
> 『そうした行為を取り締まる法律』が ある。
> 社会が不安だと、おちおち『金儲け』にも 専念できないので、
> 『人々が仕事に専念できるよう、社会を安定化させる方向に、国民を教育(洗脳)しようとする方針』がある。

> 【個人のため】かつ【経済の発展】あるいは【国家の安定(治安維持)のため】に、
> そうした洗脳が行われる。
> その洗脳は、個人や、集団、組織の都合によるもので、
> 『ものごとの本質とは、関係がない』
> 『真実を追求する哲学(あるいは科学)する者には、どうでもいいことである』

> 『人生の意義とは?』
> 『何のために、自分は生きてるの?』
> 『本当に正しいことって何?』
> などと、あなたが『本気』で考え、
> その答えを見出すことが、自分にとって(何よりも)価値があると考えた場合は、
> 子どもの頃から教わってきた『社会通念』を、ぶち壊す必要がでてくる。
> 誰かが作った前提によらず、最初の一歩から 自分で考えてゆくために。

>『人に迷惑をかけてはいけない』
>『人を殺してはいけない』
>『人の物を盗んではいけない』という概念がある。

> 比較的、純粋な子どもだった私は、それを素直に信じた。
>『人に迷惑かけちゃいけないんだ』
>『お互いに、相手に迷惑かけないようにすれば、自分も他人も、両方 幸福かも』
>『それは、素晴らしいことだ』
> わりと素直に、そう思っていた。

> しかし、幾つかのことに気づき、その『理想社会の概念』は崩壊した。

> ① 受験(競争社会)
> 高校入学の時などに受験があり、
> 頭のいい奴が、いい高校に入り、
> 頭の悪い奴が、悪い高校に入る、という制度があった。

…あなたの目には そう見えたかもしれないけど、
…そんな制度はありません。

偏差値の高い学校 イコール、
良い先生がいて、設備が整っていて、上等な教育が受けられるとは、
(必ずしも)決まっていません。

> 本当かどうかは別にして、
> いい高校に入ると いい大学に入れて、将来 いい会社に入れて、
> 金持ちになれると教えられた。
> だから、勉強しなさいと。

…ピノコなら、こう言うでしょう。
「勉強好きなら、頭のいい人が集まる学校に行けて、将来、難しい仕事を頼まれる人に なるかもしれないわのよ」
「そえで、高いお給料もらったり、褒められるかもしえない」
「でも、勘違いしないでちょうらい」
「地位が高いほど、多くの人に支えられていることを 知りなしゃい」
「いい会社に入れたり、いい家に住めたら、そえは、あなたが、いい仕事して、不完全な社会を補って、人の幸せに貢献するために、与えられた資源と思って、気を引き締めるのよさ!」
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2011-10-04(Tue)

生きるために ②

【この記事は 毒入りですから】
【やわな子は 読まないように】

先週末の午後、時計の短針が 6と7の間に あったとき、
(私が よく利用した)駅で 自殺した人がいた。

亡くなった人の心が、もう苦しまず 迷わず、還るべきところへ 還ることを祈っている。

駅に止まらない(高速で走行中の)急行列車に 体当たりする死に方は、
たくさんの人に 苦しみや 恐怖を与え、最悪の場合 巻き添え殺人が 起きる。
切断され バラバラになった頭部や手足は、爆発物のように飛び散る。
人に当たるかもしれない。(打ち処が悪ければ 死ぬかもしれない)

肉片に ぶち当たらなくても、血しぶきを浴びる人や、
恐ろしい現場を見て 精神に暗い影を負う人が いるかもしれない。
現場を片づける人の 心理的負担も、想像を絶する。

列車が緊急停止したことで、多くの人の予定が狂い、その結果、
取り返しのつかないダメージを被る人が 出るかもしれない。

遺体の一部が、車輪の裏などに こびりつき、数日後に発見されることも あると聞く。
(車両点検の人は、肝を冷やすだろう)

ナイフのように 光るレールも、
鯨か象みたいに 大きな列車も、
人の幸福のために 作られたもの。…

「無機物」と、人は言うけど、
物質=無感覚とは、決まってない。
人形だって、血の涙を流したり、髪を伸ばすことがある。
人の想い(念)に、道具(物)は感応する。

ブレーキが 間に合わなかった【運転手さん】だけじゃなく、
(飛び込んだ人の)絶望を 引き受けた【列車とレール】も、恐ろしかったことだろう。

(ドクターXの自殺肯定論への反論の続き)

> 誰に読んで欲しくて こんなことを書くかというと、
> ・自殺など考えたこともない方
> ・自殺は悪いことと思っている方
> ・自殺について考えることを(無意識に)避けている方
> ・自殺する人を哀れ、可哀想と思う方

> 以上の人に、一般的な自殺の概念とは、別の考え方を知って頂くことは、
> もしかすると、なんらかの形で、
> (多様な意見が混在する)この世界に 有益かもしれない、と思うから

…いくら丁寧な言葉を使い、繊細な心を 震わせながら書いた文章でも、
…はい そうですか、とは行かない。

この人は、
『自殺など考えたことがない人の 心の更地に、偏った 自殺肯定論を 書き込もうとしている』訳で、
それだけでは終わらず、
『自殺は良くないと思っている人の信念を、打ち崩したい』とも思っているし、
『自殺への関心を(動物的勘で)回避している人を、あわよくば 自殺肯定論者にしたい』とも思っている。

ドクターXが 望まなくても、
『自殺者を悼まず、自殺者に同情しない』人は 既にいる。
マスコミ報道を 少し見れば、
国会議員や大企業(たとえば東京電力)経営者の 言動を見れば、
ドクターXの 願い通りに(生命を 自分の判断で 裁くことを、賢いと思う人が 多い世の中に)、既に なっていることを、思い知る。

そんな世の中だから、
株取引ディーラーだった 玉蔵さんが、株の予想をやめて、
【地震】だとか【疎開】だとか、
【キチガイシステムの終焉】だとか【否定は止めろ】と 叫んでいるのです。…

2011-10-03(Mon)

生きるために ①

ブラック・ジャック亡き後、ドクター・キリコが『立派な自殺肯定論』を発表したら、
ピノコはどうする?

おそらく、理路整然とした反論は出来ない。
だけど、反対だって言うはず。

自殺と云うのは、
(ドクター・キリコが扱う、延命拒否の安楽死などは、ここでは考えない)

自殺と云うのは、
『愛せなくなった自分』や、
『気に入らない環境』や、
『面倒くさい現実』を、
『排除』して、ものごとを解決(リセット)しようとする、哀しい手段。
(30年以上 自殺を考えてきた 私の結論)

ピノコは、笑って済まさない。…

私が 噛み千切ろうとしてるのは、某ブログの 昨年の記事。
この記事を書いたドクターが、
現実には どれほど多くの人を 苦痛から解放し、感謝されているか、私は知らない。

ただ、彼の自殺論は、その公開の仕方からして 排他的だから、
ピノコ基準では【認められない】

ブラック・ジャックの世界(漫画の中)では、
2人の黒い医師(キリコと ブラック・ジャック)が協力して、人命救助に奔走したこともあった。
(現実で、もし出会ってしまい、それが非常時なら、ピノコも ドクターXに 協力するでしょう)

ネットの隅で 勝手に引用したり 反論することを、悪く思わないで下さい ドクターX。
貴方の説を肯定したら、私は 生きていられないから、
ひっそりと(命懸けで)反論します。

このブログは 5千字が限界。
ドクターXの自殺論は 6千字超。
何分割すれば、最後まで たどりつけるのか、見当もつかない。
だけど 反論する。(私が回復するために、必要な道程だと 感じるから)

> これから書くことは、
> 人格形成に悪影響を及ぼす可能性があるので、
> 以下の方は、読まないで下さい。
> ・20歳未満
> ・自殺する可能性がある方
> ・精神的に思い悩んでいる方

…悩んでいる人間は、救いを求めて 何でも読む。
…悩んで 悩んで 混乱し、危険な状態にある(自らの死を切望する)者の【心理と傾向】が、ここでは まったく考慮されてない。
殆ど 除外されている。

2011-10-01(Sat)

風前の灯

自分の凶暴さに 早くから気づいていた
それを昇華したいと 願っていたが
その願いは なかなか叶わない

人から 冷たい目で見られたり 邪険にされたり 笑われるたびに
その願いと 自分の存在を
共に 否定されている気がした
思い出の中にさえ 帰る家がない 裸のヤドカリみたいな 心細さ

こんな人間に 叱咤激励や説教することが 如何に乱暴(危険)なことか
何故 分からない?
狂気に触れて 死にたかった?
(天狗たちよ)

自助グループの帰りに、私に 説教した人。
危険人物と感じてた。彼の話は いつも、嘘くさく 異様だったから。
『依存症に興味はない。いろんな人の話を聞くのが有り難い』
『酒は、必要ないと思って以降、飲んでいない。死んだ家族が 止めてくれたみたい』
『生活保護で充実した人生。アルコールで入院したことはない』
『昔とった杵柄で、芸能関係者から助っ人を頼まれる。皆さんの話が役に立つ』

何を話してもいい会だけど、
【人の話に 意見や助言するのは禁止】
【よそで 内容をバラすのも禁止】

貴方は、解散直後に(心が ゆるんで、無防備な状態の)私を つかまえて、
私が話した内容に関して、役に立たない有害な(私の生き方を否定する)アドバイスを 押しつけてきました。
悪質 極まりないです。

死にたくなりました。
(以後3週間、私は会合に出ていない)
だから遺書がわりに、禁を犯して ここに書くのです。

『皆さんに聞いた話が役立つ』
『いろんな人の話が有り難い』と 言いつつ、
『依存症に興味はない』
『精神科に入院したことはない』と語る心には 何がある?

【自分は軽症で済んだ】と云う安堵。
それは良いでしょう。しかし、
【何度も入院したり スリップ(再飲酒)する人とは違う】と云う優越感が ありはしないか?

依存症者の回復のための会で【依存症なんかに興味がない】と言うのは、失礼千万です。

『死んだ家族が 酒を止めてくれた』
それは良いでしょう。
だけど、貴方以外の 大半の参加者は、
アルコールに狂う【依存症】に 苦しんでいます。
【依存の恐ろしさ】や【依存ゆえの苦しみ】について語り、分かちあう 自助グループですよ。

『生活保護を受け、病気治療も順調』
『舞台に呼ばれている』
良かったですね。
だからって調子に乗り、思い遣りを忘れていいの?
威張った天狗は醜いです。

私を裁いた人たち…
何故 貴方がたは、私を裁けたのですか?
私を見て、
【強欲】だとか【陰湿】だとか【言い訳ばかり】とか【執着】だとか【傲慢】などと評価(判断)したとき、
貴方が 見たのは、私と云う【揺らぐ鏡】に映った【貴方の姿】かもしれないことを、想像しなかったのですか?

ご自分のブログで、虐待について、時折 語っていた人。
憚りながら私は、当事者として コメントさせて戴きました。

悪を排除して、世を浄化することを標榜(ひょうぼう)していた貴方。
玉蔵さんが云う処の、獣道を行く貴方。
でも私は、貴方から引き出してみたかった。
【排除せずに生きる知恵】を。

貴方が 虐待について取り上げるのは、
本当に 犠牲者を減らしたいから?
観念の お遊戯?
知りたくもありました。

貴方が、真剣に考えて コメントを返して下さったことは 分かりました。
有り難うございました。感謝申し上げます。

しかし貴方は どうしても、異物を排除したいのですね。
ドラマの可憐な主人公に対しては、純粋な労りと同情、励ましを示した貴方が、
現実の虐待の被害者に対しては、精神論に終始し、あまつさえ裁いてみせた。

【精神面の不安】以上に【身体的不安】や【経済的不安】そして【周囲の無理解】により、追い詰められている。そのような状況に長くいると書いてるのに、
『欲張らなければ、分相応の幸福が与えられます』みたいな言葉を 繰り返す。
(見下してるだろ?)
(この野獣を)

哲学、宗教、ずいぶんと学ばれた様子。
凝った文章を 編まれますね。
中学校の作文で 挫折した、私とは 大違い。面白いです。

だけど、残念ながら、肝心な処で【外して】おられます。
それは貴方が、弱った者の救済より、ご自分の理想に、価値をおいているからでしょうか?

私を評して『過ぎ去ったこと、形のないものに執着しすぎです。記憶が良すぎるのでしょうね』と書かれましたが。…
逆ですよ、現実は。

私くらい 忘却力の強い健常者に、私は会ったことがない。
一緒に仕事をしてたとき(ボスだった)親父は、信じられないと よくわめきました。(私の記憶力の脆弱さを)

『忘れることは許す愛することよりも、生きる上で大切な方便です』
『それにはコツがあるのです』
『心のなかに浮かび上がってくる思いや感情に、いちいち真面目にとり合わない、冗談ではぐらかす』
『真面目な性根に生まれついた人にはなかなか難しいことですし、そもそもそういう事でいいのかと思われるかもしれませんが、良いのです』
『本当に大切な事なら、何度でも心のなかに浮かび上がってきます』
『無視されれば様々な幻影に形を変えてでも、関心を引こうとします』
『それでもあなたが気にとめなければ、やがて消えるか、真実だけを端的にあなたに向かって示すでしょう』

やってきたのです。そのように。
裸のヤドカリみたいな、貝のない カタツムリみたいな私は、
25年以上の歳月をそうやって。…

だけど、人の世から拒否されているようで、いたたまれず、
勇気が挫けて 前に進めなくなったり、…
向かい風が強くて、前を向いていられなくなったり、…

それでも 腹這いになったりしながら、この世に 命を つなぎとめてきた。

それを【過去や見えざるものへの執着】と云う貴方。

目が、疲れて かすんでいるか、曇っているか、…
自分が理解できないもの(私)を 排除(拒否・否定)せずにいられない、貴方の闇ではありませんか?

もしも 後者なら、
貴方が罵倒した 祈祷心理学者と似てますね。
自分を守るために、弱った者を傷つけて その隙に逃げる、病める心を 抱えた人みたい。
(ならば お気の毒です)

2011-09-22(Thu)

できるなら

ウチダ・タツルさんが、
権力者の『暴言』や『威張った態度』に、警鐘を鳴らし続けているように、…

私も 語るのを止められない。
「虐待された側の人間を、批判したり あざ笑う人は、病んでいる。健やかなれ!」とか、

「自殺を肯定したり、助長しかねない『権威者の発言』は、絶対に容認しない。死んでも許さん」とか。
(私に憑いてる死神が、自殺は迷惑だと言うのさ)

情理を尽くして 書き続けよう。
死んだ方が まし なくらい、疲れてても、…
ひもじくても、…
孤独でも、…

私が今、放射能汚染からの 疎開どころか、
唄うことさえ 許されない(ノドが痛い、自由に騒げる場所に 行けない)現実を 生きているのは、…
努力が 実を結ばないのは、…
罪悪感を 背負い続けているのは、…

『虐待された人間を、責めたり 笑う』人々(家族や知人)に、
打ちのめされて いるからで、…
そのような『瘴気』を 作り出している源泉は、
権威者の、『虐待』や『自殺』についての 認知の歪みと思われるから、…
看過できない。

罪悪感に苦しみ 腐り、社会から 消えた方が良い存在(ゾンビ)のように 扱われ続ける、私のような人間は、私だけで たくさんだ。

反骨の、病める貧者に向かって、
『傲慢きわまりない』とか『何様だ』とか『下らないポエムもどきの垂れ流し』とか『死ね』とか『縁なき衆生』とか『苦しみ足りない』と 言えた人たちは、…
「反骨精神」と『傲慢』の違いも識らず、
瘴気の中で、正義感に燃えて、私を叩いた。
私を叩くことで、虐待者に与(くみ)し、自殺者を増やす方向へ 舵を切ったとは、気づかずに。

私の意見は、心ある人に 届けたかった。
でも、無理だろうとも思ってた。

絶望と 怒りが 強かったから、文体は、【丁寧】じゃなく、【穏やか】でもなかった。
ヤケクソだったから、『うかつ』に『断定的』だったりもした。

1秒でも長く、自分の文章を 読んでもらわねば、…と云う熱意はなかった。

すがりつき、かきくどき、
「兎に角 読んでくれ」と請い願い、しばし「耳目を貸してもらう」
そのような綴り手に、(どうせ書くなら)なりたいものだ。

現実の私は、穏やかに語ることを 心掛けている。
『威圧的』な言葉や、『断定的』な言葉、『冷笑を含んだ』言葉が、
如何に人を不快にし、傷つけ、気力を失わせるかは、
嫌というほど 味わった(受け取ってきた)私は、よく知っている。

でも 文章については、…
「私の文章を読んで、支持してくれる人は稀少だ」
「どうか消え去らないで下らない」と、思えずにいた。

しかし、
私の文章が まずくて、誰にも読まれなくなったら、【私が言いたいこと】を、私に代わって 書く人はない。
私の意見(虐待と自殺を防止する知恵を、皆が持つ未来への提言)は、雲散霧消してしまう。

だから 私は、現実の 語り口調と 同じように、
綴り方を、なるべく論理的にし、検証を怠らず、情理を尽くそう。

私に代わって 論理的に語ってくれる人が 出てくるだろう、
私に代わって 検証してくれる人が 出てくるだろう、
私に代わって 読み手への気遣いを 果たしてくれる人が出てくれれば、…
(そう云う人たちに、誘導されて 出来たブログなのだから)
と思っていたけど、そんな人は、出てこない。…

ハンドルネーム 「o(^-^)o」さんは、その場しのぎの 嘘吐きだった。
ハンドルネーム 「凡夫」さんは、オテラ・ネットと、3Qさんを 支持してた。
ハンドルネーム 「T」さんは、Qさんの 熱烈なファンだった。

私が信じた 仮想の人たちは、私以外のものを 大切にしていた。
あの仮想寺院で、一瞬だけ 心が通じた(気がした)けど。…

あの人たちには、このブログは必要ないし、不愉快なのだ。

どうせ読まれてない、…
そんな気持ちから、自分を冷笑していた。
あきらめたくて、断定的になった。
あきらめ切れない自分に怒り、(いっそ死んでしまえと)自分を威圧していた。

「私と意見を同じくする 稀少な人」の心に、配慮する余裕が なかった。