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2012-08-24(Fri)

夜空の梨

◆ 森にて

3箇所も 蚊に刺された。
滞在時間は わずか8分。
莫迦みたい?

昨年秋から 週1回以上 通ってきたが、
今週は、駄目かもしれないと思った。
(交通費が捻出できるかどうか、あぶなかった)
ギリギリで行けた。

訪ねて行くだけ。
何人もの人に(年老いた様子の人にさえも)追い越され、
トボトボ、ヨタヨタ、フラフラ。…
莫迦かもしれない。

訪ねて行くことは、
思考力が 殆ど働かない私の、せめてもの意思表示。

「参拝」
社殿には たどりつけないけど、
(私には 真の森が必要だ)と、
足を運ぶことで、自分と、森に、示しているのだと思う。

帰り道。
夜空には、櫛形に切った 梨のような月。
美しい。おいしそう。
でも 食べたいとは思わない。
果物は、私には 贅沢品だから。

◆ 断酒会

先週、行ってみた。
約10ヵ月ぶりか?
わずか百円の参加費が、自分にとって軽くないのは、去年と同じ。

愛すべき人たち。
私には、
血族よりも、家族のような親しみを覚える人たち。
(以前、規則違反の『独善的な アドバイス』をしてきた人に対しては、今回も 警戒と 嫌悪を感じてしまったけど)

スリップ(アルコールを【麻薬】として認識し、常軌を逸するようになった体を、断酒によって回復させようとしている人が、再び飲酒した場合)の恐ろしさを 教えられる。
常連だった人の顔が見えないのは、気にかかる。

行って3分くらい 下手な話をして、心が晴れる訳ではない。
聞くことが 圧倒的に多いのは、仕事と同じかもしれない。

けど、足を運ぶことで、
懐かしい人たちの、
【1日断酒】を、応援したかった。
ついでに自分も、許されたい。
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2012-08-17(Fri)

布団で眠れぬ記録 更新中(28日目)

◆ 横田 滋さんの 写真展にて

友『鳥肌が おさまらない。悪いけど もう いられない』
ト、5分位で出口へ。
(それでも、彼女は署名をしてくれた)

めぐみさんは、
生存していると、拝察される。

成人した 彼女の写真を 見たとき、
(周囲から とても大切にされている人だ)と感じた。

拉致直後の 13歳当時の かげりは消え、
地に足をつけ、堂々と生きている人に 見えた。

宝物のように 守り、育ててくれていた親や、
友だちから 引き離され、
見も知らぬ国へ さらわれると云う、
想像を絶する 恐怖を乗り越え、
美しく輝いていた人が、

郷愁に耐えかね、精神を病み、死に至る などと云うことがあろうか?
ありえない気がする。

めぐみさんを含む、すべての 拉致被害者と、
その ご家族の幸福(回復)を祈る 熱帯夜。


◆ パート先にて

場面1

私「もしもし」
私「もしもし…」
私「…」
私「切りますよー」
ト、電話を切る。
先輩X『はぁ!?』
先輩X『お切りします。でしょう』


場面2

先輩Y『何かかえてるの?』
私「クレームです」
ト、書類を渡す。
私「散々 怒鳴って、気が済んだのか、最後は こちらの話を聞いてくれましたが…」
先輩Y『じゃあ いいじゃん』
私「…」
(依頼した業者さんの対応が、臨機応変でなかった結果、
『せめて応急処置をしてほしい、このま苦しんでろと言うのか!』
と、現場の人が 電話で訴えていた)

私「業者さんに 電話がつながらないので、…この書類を 送りつければ いいのかと…」
先輩Z『まあ!』
先輩Z『送る、でしょう』

…X先輩の言葉には、
…(辞めてやらあ)と思い、
…Z先輩の言葉には、
…(私が悪うございました)と思った。

システム改編後、
手間は倍増。
人員は 櫛の歯が欠けるように減り、
コールセンターでありながら、
電話に出たら、先輩に怒られた。
(電話に出ると、山積みになっている依頼書が、片づかないからだ)

『体調不良で 休みたい』と云う 同僚の電話さえ、
つながらないこともあった。

その会社の パートタイマーの多くは、
元気な人が多くて、…

もっと効率が良い、
自分の能力を 高く買ってくれる場所があれば、
軽々と 移動できると云う感じの、…
自信に満ちた人(技術的にも 知的にも 人間的にも)が、少なくない。
(良いことだ)

社員は、倒れる人が出て、
夜勤の人員が少なくて、
大変だろうと、私は思うが。…

『高い給料をもらってる 社員の手抜きのせいで、パートが苦労している』
『この依頼者、頭が悪い』
そんな言葉が、デスクの上を 飛び交うのは、
時給が安いから?

そう云う言葉は、許しあっている先輩が、
音声が聞こえない 誰か分からない電話の相手に、
敬語を遣わなかった私のことは、糾弾なさる。

悪いけれど、這うようにして やっとこ通ってます。

生きて 息して、
7時間、コンピュータ+電話に合体した システムの部品として、
目と ノドと 耳と 手と、
ときどき、足を使うだけで 精一杯。
脳は、ほとんど 遣えてません。
(疲れと 空腹と、過度の緊張のために)

お客さんと 取引先にも、敬意を抱いてますが、
完全無欠な敬語を 遣う技量も、学ぶ余裕も ありません。

耳障りなら 申し訳ございませんが、
ひとときのことです。
儚い命の おたがいさまです。

欠点をつついて、気力を下げるより、
できるなら、得手に帆をあげ 追い風を受け、気持ち良く行きましょうや。


◆ 森にて

『カナ カナ カナ カナ…』
『オーシー ツクツク』
『ミーン ミンミンミンミーン』
『カァーカァー』

2012-08-12(Sun)

しますえ よしおさんの「百万本のバラ」 朝吹 タツヤさんの「水に流して」

夏の夜の まぼろし?
立秋を過ぎた日の、四谷 蟻ん子。

数十年ぶりに 足を運んだファンも いらしたそうで、いつも以上に 華やいでいた。
真昼みたいに眩しかった。
私は 借りてきた猫のように、静かに聞き入った。

しますえさんの歌「ラ・ボエーム」の 歌詞の一節(スイタ腹ヲ カカエナガラ)だけが、
…実感を伴って感じられるから、笑ってしまう。

松山善三さん訳詞の、
しますえさんの「百万本のバラ」を 聞いていたら、
私の魂が、制約の多い 身体を脱け出して、
踊っているような 錯覚に陥った。

勝手気ままな、見えない そのダンサーは、
歌の中で、1番 素敵な(と 私が思っている)ところ、…

旅回りの 汽車の中で、踊り子は、
見知らぬ誰か(バラの贈り主)の 想いの深さ(純粋さ)に、
きっと 気づいてくれる と云うような、
希望が うたわれているところを、

当然のように あっさり飲み干し、
『ええ、知ってるわ、私と あなたは、本当は ひとつながりの存在よ』
と 言い放ち、踊り続ける。
(自由過ぎると、情緒的には 無味乾燥になってしまうものかもしれない)

松山善三さんで思い出す、一本の鉛筆。(広島の歌)
美空ひばりさんが歌っていた。

しますえさんの「津軽のふるさと」は、それはそれは 素晴らしく、
見えない観客(美空ひばり その人)も、満面の笑みをたたえ、私の肩に乗って 聴いていた、
…みたいな 気がした。

ピアノ、壊れてしまわない?
と思うくらい、激しい一幕もあった。
(私以外にも、そんな感想をもらした人がいた)
(そこまで、激しく弾ける楽器だったのですね。雄太さん)

朝吹さんの歌が、いつもに増して 情熱的だった。
「水に流して」は、
噂に名高い 映画(風と共に去りぬ)の ラストシーンは、かくやと思った。
(その映画を見る機会は、私には まだない。人から 話に聞いていて、想像ばかりしている)

ベースの音を 聞き分けたいと思ったけれど、
…素人の哀しさ。
(この音が無かったら、響きが薄くなる?)
などと云う、ぼけたことしか 感じられなかった。

若い人たちには、たしかに 独特の 華がある。
(海児さんは、蟻ん子の開店より後に、誕生されたとのこと。
頭の右側に、ツノ(触角?)のように 突き出ていた1束の黒髪さえも、光り輝いて見えた)

2012-08-09(Thu)

正義を語る ヒトゴロシの群れに さようなら

駅への道を、自転車で急いでいた 一昨日。
公園の横を 通りながら、
(数年前、ここで雨宿りした…)と 思い出した。

そこから100mほど進んだところで、
見慣れない自然現象に 出遭った。

前方100mくらいの 光輝く(明るい)空と 地面の間を、
斜線(右上から左下への 透明な破線)が、埋めつくしていた。

「?」

急いで公園まで引き返し、木陰にたどり着いたときに、
「ザー」
結構な量の 雨が降ってきた。
木の下で、鞄を頭に被って、
なんとか ズブ濡れにならずに済んだ。

『今日は 夕立などは降りません』と、
天気予報(ラジオ)が断言していたのを 鵜呑みにして、傘を置いてきた。
10分くらい 雨宿りしている間に、たくさん 蚊に刺された。

人の良心を 信じたいのはいいが、
情報(マスコミが発信する 大雑把な情報)を盲信し、直感を鈍らせると、
不愉快な目に 遭うのだ。
わかった?

森の中は セミの大合唱。
(ツクツクでない、ミンミンでもなく、ジージーでもない音)
カラスの声が 小さく聞こえるほど。

閉門時間は、午後6時になっていた。
これから 冬至までは、20分単位(?)で 閉門時間が早くなり、
最終的には、午後4時になる?

生霊と云うものが、もしも 存在するならば、
それは 多分、私に似ているだろう。

【しあわせ】は、他人の人生に 起こるものだと思い込み、
自分の人生に 許されているのは、暴力、罪悪感、贖罪、飢え、孤独、孤立、闇、流血、痛み、絶望、…
そんなものだと 信じきっているくせに、あまり自覚がない。
良い行いをしたとしても、贖罪のひとつに過ぎないと 自分を責め、
心が晴れたとしても、嵐の前の 静けさではないかと、おびえてしまう。

…愚痴や 人の悪口は、言わないようにしている。
…それは、反面教師が身近にいて、
…そう云うことを 言う人たちの顔色が、よろしくない(灰色に見えることがある)のを、目撃してきたからだ。

…だからと云って、
…感情を押し殺したり、むやみやたらと我慢すれば、
…それもまた 毒になる。

現実世界で、粗雑(不当)に 扱われることに 慣れていた私でも、
今年は 不快に思った。
母の誕生日のこと。

『たまには顔を見せろ』そう言う親父に、
「母の誕生日には 実家に行く」と告げた。

その数時間後、母から電話があった。
『その日に、●●●(弟)が来ると 電話があったから、あんたは 別の日にした方がいいんじゃない?』

先に約束した 私を退け、
アルコール依存症の長男を、当たり前のように 優先する。
私を気遣うフリをして、私を傷つけ、
依存症者を甘やかし、底つき体験や 感謝からも 遠ざけている。…

『o(^-^)o』さんが、無神経なことを書き込み、
天狗ども(自分が正しいと信じ、弱った人間の痛みを想像できず、場にふさわしい言葉を選ぶこともできないほど病んでいる人たち)の 遊び場になってしまった『自殺防止サイト』の 私のスレッドに、
『思い上がりも甚(はなは)だしい』と、書いた人がいた。

言葉の上っ面だけを見て、
自殺志願者(弱者)らしくないとか、
素直じゃないとか、
謙虚じゃないとか。

貴方のなさったことは、
言葉による虐待、殺人に等しい行為でした。
おわかり?

現実社会で、譲って譲って、
頭を低くして、
なるべく 卑屈にならぬよう踏ん張って、
出来る限りの感謝をして、
でも しいたげられて、
言いたいことも 言えないで、
だから、インターネットの『自殺防止サイト』で 訴えていた。

それを『傲慢』とか『思い上がり』と決めつけて 黙らせようとは、どう云うことか?
自殺防止ではない。
自殺へ向かわせる言葉の暴力、精神的虐待そのもの。

私は、既に 心が死んでいたので、
改めて 自殺せずに済んだけど、
私の中で 溜りに溜った負の念は、
今頃になって、噴火しかかっている。

自分の しあわせと云うものを 肯定しないと、
もう もたないと感じている。

あのサイトに かかわり、
私を冷笑したり、利用したり、見下した人には、
自分のした『残虐行為』を、自覚して戴きたい。
口先だけの謝罪などは いらないから、
同じような 偽善に基づく行為を、誰かに対して繰り返すのは 止めた方がいい。

2012-07-27(Fri)

古い(10年前の) 南国(なんこく)市の地図には、
「そうやま」と印刷されているが、
路線バスのアナウンスは「そやま」と言った。

いつも(10年以上前のことだが)、
その辺りで、バスに酔った。
硬い 針金入りのブラジャーを 外したいと思う、
…でも外せない。
(胸だけLLサイズ超で、おさえつけていないと、日本の里山の風景に そぐわない。人目が憚られる)

自分の体型(ムダに大きい胸)を 恨み、
「あと少し、あと少しで 目的地だから…」と、自分に 言い聞かせ、
目的地で バスを降りたときには、ヘロヘロ。

でも そんなことは、
いつも きれいさっぱり忘れてしまう。
そして、半年後とか1年後に、
また同じように、強行スケジュールで 空港からバスに乗り、
左右山を通過する辺りで、いつも 新鮮に苦しむのだった。

今年は、1ヵ月前から 鍼治療に(週1回)通っている。
(厳しい環境下でも 涼しい顔で過ごしたい?)

体質改善を はかっている途中で、
(鍼の先生からは、効果が出るのは 3ヵ月先と言われている)
今回も また、同じ苦痛を味わった。

南国(なんこく)の夏を、なめてた訳じゃない。
これまで、春や秋にしか、先祖の墓地を 訪れたことがなかった。

墓じたいは 山の中腹にあり、雑木林に囲まれているけど、…
空港発のバスを 降りてからの、
道と云う道が(山道さえも)、すべて アスファルトで(舗装された車のための道になっており)、
木陰がない。

秋口でも、残暑の照り返しは 凄まじかった。
真夏に行けば どうなるか、少し考えれば 分かることだが、…
考える余裕がなかった。

暑さ対策(熱中症予防)を何もせず、
高知空港発のバスに乗ってから、飲み水がない(掃除用の水もない)ことに気づき、
あわててバスの運転手さんに ことわってバスを降り、
自動販売機で500ミリリットルの水を買った。

事前に用意した物は、
現地では(時間に追われ、頼る人もなく、バスと自分の足だけが頼りの 墓参りでは)用意が大変な「花」と、
トゲのある雑草を切るための「植木バサミ」と「綿手袋」、
「1リットルの空のペットボトル」、
「プラスチックのカップ」くらい。

買ったはずの虫よけは なくした。
梅肉エキスの粒(去年、猛暑で危なかったとき 救われた)は 買いそこねた。

パート業務でクタクタ、徹夜で一睡もしていない状態で、
帽子も塩も、濡らせば冷えるタオルも持たず、
南国行きの飛行機に 飛び乗った。
隙あらば、死にたかったのだと思う。

バスを降りたのが10時17分、
墓地に着いたのが10時33分。

いつも携帯している 折りたたみ傘を 日除けにして、
20分足らず 歩いただけなのに、
炎天下の山登りと云うのは、人体に負担がかかるものらしい。
1時間くらい、殆ど動けなかった。

寒くもないのに ワナワナ震え(痙攣?)、
気が遠くなってしまい、
へたりこむことしかできない。

2メートル先は崖だ。
下手に動けば、
…転落、行き倒れ、
…数日後には、腐乱死体の出来上がり?

鳥の声が のどかで、
黒い羽根に 白い丸印の(喪服みたいな)蝶が、舞っていた。

墓地は 草に覆われていて、
私が1〜2時間 どうにかしたくらいでは、
(焼け石に水だ)と思った。

1時間半くらい除草していると、
巨大な、蛇みたいなミミズ(シーボルトミミズ?)が現われ、
それを 拝んで帰るのが 恒例(楽しみ)だったけど、
今回は、あきらめざるを得ない。

何故だか 分からないが、…
高峰三枝子さんの「おやすみ坊や」を、唄いたくなった。

唄ってみたが、
最初は 嗚咽になってしまい、歌にならない。

心理学者(特に女の)が 聴いたら、
執着とか、依存と云う言葉で、片づけられそうな 子守唄だけど、
(私の偏見か?)
そんな学術用語(?)だけでは、はかれない大切なものが、多分ある。

水しか 摂取するものがなく、
唄うくらいしか (自分を鼓舞する方法も)なくて、
ずっと唄っていた。

帰りのバスを 途中下車し(道の駅の トイレに寄るため)、
約1時間半後に 次のバスに乗ろうと、
5分前に バス停(左右山)に着いた。

雨傘の日よけでは、耐えられないくらい暑い。
(アスファルトの照り返しと、強い日射し)
とてもじゃないが、3分も 立って居られない。

100メートル離れた場所にある 建物の陰に避難してたら、
バスが通過して行った。…

(次のバスは、1時間半待ち?)
(タクシー? 選択肢にない)
(財布には、市電とバス賃と、夕飯代と、帰りの旅費のみ)

お遍路さんすら 歩いていない遍路道(真夏の炎天下)を、1時間歩いた。
(帰って地図を見たら 直線距離で4キロだった)

赤とんぼと、銀ヤンマと、空色のトンボに送られ、
子守唄を唄いながら。
(ブラウスを帽子がわりに)

ペットボトルの水は、鞄の中で お湯になっていたが、
私の体温は、そんなには上昇していない。
人体の自律神経の働きには、恐れ入った。

路面電車の駅に近い場所に来ると、
ジャムおじさんの石像があった。


路面電車で向かったのは 次の目的地、朝倉神社。
(本物の森があると云う)

社殿の奥に 山があった。
森の主木(ハナガガシ?)を、間近で見ることは 叶わなかったけど、
本物の森(赤鬼山)の自然は、
その神社があることで、人間の破壊を免(まぬが)れ、保たれてきた。
…と云うことは 分かった。

宿に着いて、1時間休み、
夕飯の買い出しに1時間かかり(市街地から遠い)、
その日 最初の御飯(パンとサラダ)を戴き、
替えの下着を忘れたので洗濯し、バスタオルにはさみ、力を入れてしぼって乾燥させ、
鞄の中を整理し終えたら、日付が変わっていた。

翌朝は 6時前のバスに乗り、空港に向かった。
飛行機は、往路ほど揺れず、無事に到着してくれた。
手荷物を受け取り(ハサミが機内に持ち込めないため 預けていた)、
モノレール、列車を乗り継ぎ、
自転車置き場に 近い駅で 下車。

約4分歩き、たどり着いた精算機に 番号を入力すると、5百円だった。(6時間百円)
財布には、10数円が残った。