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2009-12-17(Thu)

情けない

癒しの技を お持ちの方がいるときいた。
仕事で それを やっている人で、お金は必要となるけど、常識的な料金だし、何より 人柄が素晴らしい との推薦の言葉をきき、…
手を借りたいと、願った私である。

罪悪感にさいなまれ、他者のために 動いているときだけ、許されていると感じる私である。

好きな人を見て「この人は 私が死んでも困らない」と思うと、安心する私である。

旅じたく 死にじたく、それが私の生きる動機である。

はじめから、自分を、社会にあだなす存在である などと思い、終末観念に とらわれていた訳ではない。

繰り返し 繰り返し、多くの人から 存在や心を否定され、(主に国家が認めた治療者と 親から)洗脳されて行ったのである。

洗脳を解き、生きていてもよいと 思えるように なりたかった。

私を、自分と同じ人間とは見ず、ゴミのようにあしらった治療者たちを、忘れ去りたかった。

その、素晴らしい方は、メールに返事をくれた。
親切そうな人 と感じたから、…どう云う 御商売の システムですか?
…と 確かめもせず、お会いしたい と書いたのが、いけなかったらしい。

『対面ですと *****円を申し受けます、それでもよろしいですか』との返信だった。

払えない、私には。…

紹介してくれた人を うらみたくない。
どう考えたらいいのか?

カウンセリングやヒーリングを、只で受けたいとは、言ってない。(経済的に破綻しかけている、とは伝えてあったが)

人として、会っていただけないかしら、…私が書いたのは そう云う意味だった。

けど、先方にとっては、トラブルを抱えた人間(第三者)と かかわることは、すべて仕事なのだろう。…
そして、癒しの技を 維持するために、お金もかかるのだろう。

またかよ、と 思いたくない。

ヒーラーなんて こんなもの、と 思いたくない。

誰も恨みたくない。

でも 悲しい。
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