ずっと、やめてほしいと 私は思っていた。
『電気を無駄使いするのは、核廃棄物(極めつけの危険物)を 増やすことだぞ』などと云う 乱暴な言葉で、自分を戒めてもいた。
核廃棄物を ガラスで覆って 地下に埋めると言うCMは、狂気の沙汰に思えた。
そう、私は、核分裂をイメージした ロゴマークの会社(東京電力)と契約しながら、原子力発電を恐れ 否定していた。
ごめんよ、ウラン。
ごめんよ、プルトニウム。
ごめんよ、モックス。
心配してた。安全性を、ずーっと 疑ってた。
不本意であっても、原子力発電の恩恵にあずかりながら、原子力発電所を愛してませんでした。
恩恵にあずかりながら、ときおり「ありがたい」と思うことさえ まれで、…
『ないと困る』と、権利のように 考えがちだった。
原子力発電に対して 私は、
『お前なんか嫌いだ、不吉だ、でも俺のために働け!』
…家庭内暴力男みたいでした 。
すまぬことでした。ごめんなさい。
私が 眠りに落ちたときは、夢の中で 雪女になり、
地震と津波で 傷んだ原子炉を、氷より冷たい 手と息で、ねぎらおう。…
◆ 玉蔵さんの本を読んだのは、1年くらい前だっけ?
ブログも読み、穏やかな疎開先の様子が うらやましかった。
私も、空気が綺麗な(光化学スモッグのない)、大きな自然の懐で 暮らしたいと、ずっと思っていた。
でも、身軽になれず、動けなかった。
昔は ときどき ひとり旅をしたし、
どこででも 暮らせると 思ってたけど、
最近は、旅にも 行けなくなった。
南国(墓参り)にも、10年近く 行かれずじまい。
体力まかせの アルバイトは 出来なくなったし、
保険代理人としては、もう頑張れない。…
(謙虚に 資金を集め、リスクに備え、社会の 不安を減らす。
損害保険って、そう云う産業だった はずなのに、…
10年くらい前から、全然 違ってしまったような 気がする。
情けなくて、辛くて、悲しかった)
引っ越し資金も、旅の資金も、作れなくて、
ここが 終(つい)の棲み家かもしれない。
3月からは、明るいことを書きたいと 考えていた。
此処に(このアパートに)住めて 良かった(楽しかった)ことを、思い出していた。
自分のことを 大切に出来ないまま、これ以上 生きるのは、辛すぎる。
自分を許すことや、大切にすることが 出来なくても、
30年くらいは、何とか耐えられた(ごまかせた)けど、もう無理。
限界です。
だからって、
好きでもない自分を 愛したり、
顔も見たくない自分を、打算で 許せるはずもない。
だからせめて、住んでるところに、感謝を捧げようかと。
「ハナイバナの 小さな小さな花の 美しさに驚いた」こととか、
「タネツケバナの 強さと可憐さ」
「桔梗草の 逞しさと美しさ」
「何も 希望が ないときに、私を励ましてくれた、ナズナの 精緻なロゼット」
「水溜まりにやってきた 空色に光るトンボ」
「追い抜いて行った ヒバリ」
「満月の まわりにかかる 虹を見て 震えたこと」
「尻尾の切れた ヤモリの教訓」
「動く帰化植物、ギナンドロプシスの 地味で妖しい美しさ」
「押し入れに 入り込んでいた 白い仔猫」
「大きいヤモリと 小さいヤモリを 同時に見たときの楽しさ」
「小さな小さな クワガタたち」
「オナガのヒナ」
「金属を 叩きまわる キツツキ(コゲラ)の将来を 心配したら(変わり者 過ぎないかい? 嫁さん見つかるの? などと…大きなお世話でした)、ちゃんと 嫁さん見せてくれた」ことなど、…
心やすい人(人間)と 過ごす、素敵な時間も あったけど。
それは、私にとって、限りなく 夢に近い できごとで、現実と 思えない。…
花火のような お祭り。
1話完結の映画(ドラマ)みたい。
私の日常生活からは、浮いてしまっている。
私の足が、地に着いていないから?
自分を、危険な存在だと 思ってたから、
心やすい人に、危険が及んだら 大変だから、
1日だけ頑張った。
(ボロが出ないように)
長くても 3日が限度。
(獣の心を 眠らせて、やわらかい人間の 真似が できるのは)
許したい。
許せぬ。
…同時には無理だ、
その無理なことに、20年以上 挑んで来たのだ。
アホと云うか、徒労と云うか、…疲れて当然だよ。
誰にも 止められない。
誰の責任でもない。
自分を 産業廃棄物みたいに思い込み、(心理的に)隔離していた。
自分を 守る気になれず、
周囲を守るために、自分を 封じ込めていた。
無理をしても 身軽になれないと云うことは、もう分かった。…
美しいものを 見逃さない程度の 元気くらいは、取り戻したいと思う。
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