誰も、私を 見ないでほしい(村下孝蔵さんの「春雨」のような)心境。
でも 心の毒は、溜めると 危険。
(小出しに した方が 被害が少ない)
いつか 忘れてしまう自分に宛てて、
…どうしょうも ないことを、書いてみる。
昔、
(中国拳法の体験講座で出会った)行きずりの お姐さんと、喫茶店で話した。
「受け身を習い、氣を転ずる術を 身につけて、流されるままの暮らしを 解消したい」お互いに、そう思っていた。
『訴え仏』に される。
電話で まくしたてられて、話を 保留にできず、トイレに行けなくて 失禁したことがあると、その人は 苦笑した。(綺麗な人だった)
間一髪だったことは、私にもある。
固定電話に 繋がれながら、うずくまったり 足踏みしたり、…尊厳を保とうとして 悶絶しかけたことを、私も話して、笑いあった。
物理的に 困窮している【身近な人】から 目を背け、…
精神的に 行き詰まっている【身近な人】の声に 耳を塞ぐ、…
そう云う人が、身近な人に 無理を重ねさせ、孤独に追いやる。
孤独に追いやられ、寂しさを募らせた人は、愚痴を繰り返す『妖怪』のようになる。
そんな 妖怪みたいな人との 接し方ついて、精神科医に相談したら、
『君は その役目(ひたすら傾聴)を 続けるべきだ』
『愚痴る相手がいる人は、深刻な精神疾患の発病を 免れる』
『僕だって 愚痴を言うことがある。だから 健康でいられるのだ』と 言われたことがある。
あの医師が、健康だったか否かは 兎も角、
…手探りで、私は 進むしか なかった。
『尽くしても 感謝されない』とか、
『理不尽に あしらわれている』と、嘆く ご本人が、
独善的だったり、暴力的だったり、間が悪かったりして、問題の種を 蒔いていながら、自覚がなくて、迷子状態…なんてこともある。
大切なのは、本人(当人)に、気づいて戴くこと。
「はっ」と気づける 強い人は、…そんなには、多くない。
「少しづつなら、受け止められる、気づいてもいい」と云うような、心の筋肉の 硬い人が、日本には 多い気がした。
努力や自立を重んじて 自らを律する人は、立派と思うが、
あなたの秤(はかり)で、他の人まで はかっては、危ないと思う。
誰かれ構わず、時・場所を選ばず、感謝や笑顔を 説いたり、…
動けないのは、人の懐や 働きをあてにした、甘えた人だなどと、斬って捨てるのが、…天に喜ばれる こと?
力や 知恵(強さ)を 幾ら集めても、
思い遣りや 謙虚さ(優しさ)を 忘れた集団は、脆い気がする。
(弱った人は、明日の自分かもしれないから)
笑顔も、感謝も、責任も、内から発現したときだけ、力になると思う。