繰り返し 巻き返し、自分に語りかける必要がある。
根を刈られ続けた 草のように、虐げられ、孤独に 追い遣られた 私の生命が、
あのカラスや 椎の木と同じように、
本来は、愛すべきものだったことを、思い出すために。
繰り返し 巻き返し、やわらかな言葉を 与えることなしに、
たった ひとりで 暮らし、
恐怖の記憶に さいなまれている人間が、
脱皮するのは 難しい。
他者の かなしみに 疎い人は、
繰り返し 巻き返し、自分を あやすようにして、おのが心を 癒そうとする者を、あざ笑う。
オテラ・ネットなる サイトの人生相談・掲示板で 私は、
そう云う、『遅い 歩みの 愚者を 許せない人たち』から、言葉の暴力を 受け続けた。
同時に 私は、あの掲示板で、すべての投稿(相談者)に 向きあい、
・回答者が 現われない難問や、奇問、
・最初は 回答者が いても、膠着状態に 陥ってしまったような方に、言葉を 送り続けた。
(少なくとも1年以上)
・得意分野にだけ 回答するとか、
・同情できる人だけに コメントするとか、
・人を選んで 励ますなどと云う、片手間では なかった。
選択肢に『自死』を入れてる人間も いたのに、
あの掲示板の 管理人は、『保身のため(自分の名誉を守る為)に、相談者を傷つけること(投稿の抹殺)を 平気でやった』ので、私は 義憤を感じていた。
・地獄的な願望に、とらわれた方がいた。
・家族や恋人の価値観に、強引に 自分を合わせて、苦しんでいる方がいた。
私には 理解できない悩みを持つ方も、一所懸命であることを識って、
幸せに生きる道が、必ず あると信じて、
その方の 心に寄り添う(PHSを介して、真心の言葉を捧げる)ことは、
伊達や酔狂だけでは、1年も続かない。
辛くて投稿した人が、(私のように)更なる苦しみを 背負うことが ないように、願った。
(回答者を 務めることで、管理人を 利することになり、片腹痛かったけど、
人の命には、代えられないと思った)
穏やかな 優しい言葉を、自分に 与え続けられる オアシスを求め、そこで、
自分を 全否定する【呪い(親の洗脳)を 解きたくて】投稿した私は、挫折した。
思い遣りのある言葉を 下さる方も、確かに存在したけど、それ以上に、…
『慰められたいだけだろう』と 決めつけてくる、心の傷に 塩を塗る人や、
『くどい』、『自業自得』、『縁なき衆生は 度し難い』などと、評論家 気取りで 否定する人、
『相談者(私)を 利用して、自己主張する』人が、多過ぎた。
(ダメージを 与えるだけ与え、後日、自分の書き込みを 消して逃げる『あらし』も、少なくなかった。
弱っていても 哀れみを乞わない、可愛げのない私を 懲らしめることが、…悪を滅ぼす 正義の行為に 思えた?)
だけど、自分以外の…悩める人の心に、春が来ることを祈り、言葉を綴る過程で、
安部浩之先生と、池谷直士さんに ご縁を戴けたのは、幸運だった。
先の掲示板には、書き込まれずとも、祈り、読み続けて下さった方が いたことも、幸運(感謝)だった。
私にとっては 迷惑千万な、『死にたさ』を 増すだけだった、
『お説教』や『指図』や『将来の予測』だけど、
書いた人に とっては、『正義だった』と思う。
私を、『苦しみが足らない 不遜な人間』と見て、
苦しみを与えることで、謙虚な人間にして 救ってやろうと云う、善意(独りよがりで、逆効果になりがちな 独善)だったと、理解している。