忍者ブログ

2012-07-03(Tue)

けものごころを誰が知る

先月下旬、θ(シータ)さんのブログを訪ねたら、
『アドレスが存在しない』と 表示された。
…削除されたのか?

感傷的になり、ネットを彷徨してたら、見たくもないものに 行き着いた。
o(^-^)o のブログ。…吐きそう。

o(^-^)o と云う、ちゃらけたハンドルネームで、
自殺防止サイトに、回答者を気取って (私のスレッドに)登場した あんたは、

(家族の横暴に泣き、苦しい現実を生きてた、死神にとりつかれながら、何とかこの世にとどまろうと、あがき苦しんでいた私に)
『もうここは卒業して、ブログを始めたらいかが?』などと 書いてきた。

(誰かさんと違って)
友達が欲しくて 投稿した訳じゃーねーんだよ!
こちとら!
味噌も糞も 一緒くたにしやがって!

平気で嘘を吐き、約束したことさえ 忘れ果てる奴を、偽善者と言う。
あんたは知るまいが。

自分の欲望(褒めちぎられたい)を 満たすために、
自殺志願者を利用した、あんた。
気づいてさえいまい?
他人を利用することを、恥と思ってないだろ?
他人を利用することを、息を吸うくらい、無意識に やっちまうんだろ?
あんたは。

血にまみれた現実を生きている 私のスレッドに、
o(^-^)o と云う、人を食ったような ハンドルネームで 登場してきたときから、
あんたの狂い(無神経かつ、ものごとの表面しか見ず、パーソナリティの発達に 大きな障害があるだろうこと)は 察していたよ。
常識人を装いながら、自分の欲望(注目を浴び、褒めれたい)に 忠実なあんたは、
ある意味 清々しい。
『邪魔もの(者)は 棄てる』のが、あんたのやりかた。
その姿は、
理不尽な現実に苦しみながら、捨てられない今を抱えた人の目には、魅力的に映らなくもない。

あんたは 中毒者だろ?
(心理的に、何かに寄生するように 生きてきただろう?)

あんたの側には、いつも誰かが いただろう?
たとえて言うなら、
薬物中毒者を つけあがらせ、より深刻な依存症者にしてしまうような 相棒( enabler )が。
讚美者か、執事か、下僕のような、夢見る夢男(女)君が。

微妙に バランスを保っていた 私のトピック(自殺を思いとどまるため、私の悩みを解決するために作った場)は、
あんたの登場を境にして、
(私と云う)愚者を利用し、自己主張したい(正しさを誇りたい、寂しさを紛らわせたい)第3者が、
好き勝手なことを書き込む掲示板に、変わってしまった。

まともな管理者も、専属の回答者も いなかった。
いったん荒れて、妙な方向に流れたら、目もあてられないことになった。

純粋に、私を励まして下さった回答者もいた。
そう云う方々には、今も感謝しているが、
あの仮想空間は、私にとって 大きな苦痛だった。

救われる思い、嬉しさ、楽しみを感じることも、3日〜5日に1度くらいあったが、
怒り、哀しみ、打ちのめされるのは、毎日だった。

あんたの振る舞いは、ある心理学者(祈りが 何とか 云う本を 書いていた)に、よく似てた。
宗教家でもあった その学者は、
『邪魔ものは 祓う(棄てる)主義』らしく、言う(書く)ことは カッコ良かった。
あのように誘われたら、素人(しかも 心身喪失に近い状態の莫迦)は、断われません。

(紳士淑女の勉強会? 場違いだ)
(ありえねえだろ、手負いの獣が)
と思って、断わったのに、それでもと 誘われたのですから。
獣が人間に憧れ、近づいてみたくもなりますわ。

けど、入ってみたら、会の看板娘は(心情的に)、その学者の 妻か恋人みたいな人で、
言い掛かりをつけて、私を追い出しにかかった。
(先生の本を読んでいないような、知的に劣る人とは 会話が楽しめないとか、
異分子が紛れ込んでいると、精神の健康が保てないから、出てけとか)

何が、彼女を そうさせたのか?
公私共に 先生のパートナーになるつもりで、不安材料は排除したかった、
…そんなとこだろう。

飢えた 手負いの獣を、誘い、傷つけ、追い払って、
ただで済むと思いますか?

洞察力と 責任感を備えた大人なら、不用意に誘わない。
もし相手を傷つけたら、フォローするだろう。

しかし 件の学者は、フォローせず逃げた。
それでいて ブログでは、幸せ自慢や 正義を語り続けていた。

半年後に1度だけ、私は その学者先生のブログに噛みついた。
(怒りのコメントをした。非公開希望で)

数日後、そのブログに記されたのは、母恋物語だった。
(それはそれで 美しかったが)

『自分は 厳しい世界で生きてきた』云々、…
【邪魔ものは 祓えばよい】と云う、
排除の理論で生きてる ご自分を、麗しく正当化する文章だった。

自分は苦労している、辛い思いをしたから、他者(私など)を傷つけても 許されるとでも?
幸せな学者さんだぜ。
『宗教を修めた自分は 素人ではない。素人を判断したり、選別できる立場になった』おつもり?

◆ 徹夜明けに たどりついた森には、
白い茸? エビネ?
(遠くてよく分からないものが生えていた)
鳥の会話と、緑の生命体の いぶきがあった。

林檎を剥くのに、ナイフを動かすのではなくて、
林檎を動かしていくように、
…生きていきたい。
(そうできるのが、大人のような気がする)

私(エゴ)が 森に行くのじゃなくて、
森に招かれ、森に抱かれて生きていく。
…そう云う生き方が身につけば、

『他人の傷口に 塩をぬってはならない』と書きながら、
私の傷に 塩を塗った学者や、
その学者と 似たようなことをした、
O寺ネットの住人たち(一部の方々は除く)を、許せるだろう。

しあわせは 祈っております。
きちがいは、何をしても いいらしい 浮き世ゆえ。
きちがいが、貧しかったり、苦しかったり、寂しかったら、周囲を害するおそれが ありますゆえ。

だから 祈っているのです。
八ツ裂きにしても飽きたらないほど、憎いやつらの幸福を。
でも、今は まだ(心の奥では) 許せなくても、仕方ないでしょう。

好きな人がいても、(添わせて…)とは、願えない。
愛すればこそ、
相手を守るために、遠くに離れたがる、
…それが、今の私だから。
PR

2012-06-21(Thu)

悪かったな

俺は先日、兄として お前を叱った。
お前は、たくさんのものに 愛されて(隣人愛とか、友情と云うものに 包まれて)生きられる。
豊かに 健やかに 生きられるのに、
それを叩き壊すような(偏った 親の価値観を なぞるような)
、真似をしたから。

弱った者(疲れ果て、希死念慮に苦しむ俺)に、
不用意に甘えたからだ。

疲弊し、
早く動けない、
無器用な、
知恵も足らぬ、
努力では越えられぬ壁に激突し、倒れ、
心的外傷に苦しむ人間、
…そのような相手に、不寛容でいながら、
『好きなものだけとつきあって、平穏無事に暮らしたい』と思っても、難しい。

親や兄を見てて、分からないかい?
いい加減、気づけや…と言いたかった。

けど、ダメだった(伝わらなかった)ようだ。
俺の言葉(どうでもいい言葉尻)で、
お前は、憎悪を剥き出して 怒った。
よほど 傷ついたのだと察する。

俺に、悪意は なかった。
お前を 批判した訳でもない。
あれは、俺の悲鳴だった。

でも、傷つけたのなら、あやまるべきなのだろう。
あやまりたいが、言葉が見つからず、1ヵ月以上 経ったような気がする。

お前より、9年も長く生きながら、
兄(姉)らしきことの出来ない自分を、情けなく思う。

俺には、餓死がふさわしい。
生活保護は、俺には敷居が高すぎる。
けど、もしかしたら 申請するかもしれない。
(その場合は、身内に 問い合わせが行く。
そのときは、浮き世の義理と思って、事務的に答えてくれ)

お前と、もう少し話したり、
致命的じゃない喧嘩でじゃれて、情緒を育んでみたかった 気がする。

お前も 俺も、
身体機能や 知能は、一人前に 授かっていた。
だが、大自然から離れ 自然への畏れを忘れた、人工的な環境下で、
子どものような両親のもとで 育ったから、
情緒が未発育だ。

心がタフじゃないのに、
(人を 自殺に追い込んで、ほくそ笑んでいられるような性格じゃないだろう? お前は)
死を願わない日は ない程 苦しんでいる俺に、
乱暴な言葉を 投げつけられる人は、
心が幼く 無邪気だと、俺には思える。
俺の両親、弟、妹、…

精神的な専門家に、俺は(過去)いろいろ言われた。
『多重人格障害』、『境界性人格障害』、『適応障害』とか。
(無責任に、言いたい放題 言われたものよ)
俺自身は、過剰適応に過ぎなかったと、今は思っている。

女の子であることを、否定され続けたから、
男としての価値観を養った。

『お前のせいで家が暗い』
『お前は将来、おそろしい人間になる』
『社会のために、お母さんが責任をとって殺してやる』
…などと決めつけられたので、心を殺した。
(10代の はじめに)

お袋は、後年、
『自分が死にたかった、悪かった』と謝ってくれたが、
…謝ったから、もう済んだと思っている。
(児童虐待とか、心的外傷などに関して、ほとんど無知な人だ)

その上、彼女は思ってる。
『戦中・戦後の 飢えに苦しんだこともない奴が、苦しいなんてふざけんな』とか、
『稼がない奴は、怠け者、ダメな奴』とか、
『自分は、親として 尊敬されないとおかしい』と。

だから彼女は、私を うすら笑うのさ。

彼女は、(夫からの)DVの被害者であり、DVのイネーブラーでもある。
共依存者。心が健康では ない人だった。
(治療が必要なレベル)
(治療が施されなかったので、子どもが悲惨な目に遭った)

俺の心(人の心)は、11歳くらいで死んでいる。
人間以外のもの(虫や草木や鳥や爬虫類)が、慰め、愛し、この世に つなぎとめてくれたけど、
俺の心には空洞がある。
うつろな心は、乗っ取られやすい。

殺しても飽き足らないほど憎んでた 親父の仕事(しかも 俺の苦手な業種・職種)を継ごうとしたのは、
(早死した父方の)祖母に、意識を乗っ取られたからとしか思えない。
(俺の妄想だが)

俺は、自分を否定しきっているのに、
自分にかかわる人を全肯定しようと、努めてきた。

俺を嫌う人や、
俺を利用した人や、
俺をゴミ扱いする人に、
…別れた恋人に臨むような態度で(プラトニックな愛情をもって)接した。

(俺は いまだに、過激な法華経信者だった(マザコン)鼻毛王子(バカボンのパパに似てた)に 惚れているのさ。
楽しかった思い出は、1度だけ バスに並んで坐ったことと、1度だけ 誕生日を祝ってもらったことと、1度だけ 手をつないで、線路脇の道を歩いたこと くらいだけど)

大嫌いな奴に、最大限 優しくするなんて 偽善だと、
お前は言うかもしれない。
でも、俺には 他の選択肢が なかったのだよ。

『赤子より 役立たず』と、決めつけられて育った。
故なき暴力を、浴びて育った。
救いも 逃げ場もなく、感謝を強要されて育った。
変態に(性的におかしく)なったり、死神にとり憑かれて、当たり前なんだよ。

でも、俺はしあわせな男さ。
最高に高揚した記憶が、
武道の見学に来た 男の子を、肩車したことなのだから。
(丹波哲郎も言ってたけど、性的な悦楽なんかに時間を浪費するのは、ガキだ)

胸がでかくて 悪かったな。
単なる隔世遺伝の結果(母方の祖母の)だけどな。
これに泣いたことは数えきれないが、得したことは1度もない。
(恋人に よろこばれたこともなかった)
俺は 心臓に畸型があるから、それを覆う外側も 畸型(規格外)なんだろう。
肉体的欠陥だと 俺は思っている。
(ギブスのような下着をつけなきゃ、仕事場に行けねえんだからな)

そう云うことを、相手を攻撃するネタにすると、実に効果的だ。
排除の理論で生きて行きたいなら、これからも そうするといい。
俺とは あいいれない厳しい生き方だが、お望みなら止めはしない。

1度、断酒会に お前を連れて生きたかった。
断酒会にしろ、アラノン(アルコール依存症者の家族会)にしろ、
構成する会員さんの傾向によっては、自分に合わないこともあるけど、
俺が参加できた 当事者の会は、
DVの被害者に必要な、
寛容さや、加害者からの謝罪などが、間接的に与えられたのだ。
でも、1人では 危険なこともあるからさ。

2012-06-02(Sat)

しますえ よしおさんの「生きる」 朝吹 タツヤさんの「五月のバラ」

五月のバラ(思い出のバラ)が、ききたいと思っていた。
(オリジナルが 誰かも知らない。ラジオで耳にして、断片的に覚えていた歌)

先月、四谷 蟻ん子に行ったら、
朝吹さんが 1番最初に、その歌をうたって下さった。

とてもうれしくて、その曲と、
しますえさんの1曲目で、
(もう最高!)って、その日は思った。

平素 下手な計算ばかりしている脳を 休めたくて、
歌を聞きに行ったのだから、

目を閉じて(ぼーっと)聞いてても、
(熟睡したり イビキをかいたりせず)
良い! と感じたときに、拍手などの反応を示せれば、
(あの麗しい時空に 自分が存在しても)いいと思うのだけど、

タイトルを覚えきれないのが、ちょっと悔しい。
(また聴きたいと思っても 手がかりがないと、困るではないか)

しますえさんが15曲、朝吹さんが9曲、計24曲も(!)うたって下さったのだから、
タイトルを 覚えきれない おのれの頭を悔やむより、
楽しい時を過ごせた幸運を、感謝しよう。

百円玉を、毎日 積み立てると、
交通費を含めて、2〜3ヵ月に1回は、四谷 蟻ん子に行ける。(計算上は)

生活保護を受けている知人より、厳しい暮らしであっても、
それくらいの楽しみは あっていい。

『楽しむことは 罪悪である』かのように、思ってしまってる私は、
(誰か、友人を よろこばせるため)と云った、免罪符のようなものがないと、
ものすごく不安になる。
(被虐待の後遺症)

先月は 友人2人に誘いをかけたが、
時間がないとのことで、1人で行かざるをえなかった。

とても楽しみにしていたのに、抵抗があった。
(龍宮城に2ヵ月連続で行くような感じ?)
多分、心理療法の治療抵抗みたいなものだ。

ピアノ、…素晴らしかった。(爽快だった)
ベース、…「ふ」と、心を持っていかれそうになるのは 何故?

しますえさんの「愛燦々」や「小さな木の実」や「月の沙漠」が聴けて、うれしかった。

「生きる」の歌詞、
(天国も地獄も 私は信じない)が好き。
それを聞いて、私は 現実に戻った。

2012-05-31(Thu)

残った生命

ペーパードライバーに なり果てるの防ぐため、半年に1度 通っている教習所で、DVDを見せられた。
「奪われた夢」という題名だった。

独立(個人タクシー開業)を 目前にしていた人が、
交通事故に遭い、社会復帰が絶望的になってしまった。

夜間、注意力が散漫な(疲労)状態で 自動車を運転していた人が、
バイクに気づかず、接触した 結果だと云う。

被害者は、奥さんの運転で、リハビリに通っている。
すれ違う車を 熱心に見るので、奥さんが 訳を尋ねたら、
「かっこいい」からとのこと。

住所の記憶も奪われ、
運転技能も失われ、
感情をコントロールする力も、なくしてしまわれたのに、

「車、運転が好き」と云う、
その人の個性、本質は、失われていない。

奥さんが運転する 車に搭乗し、
行きあう自動車(運転者)を「かっこいい」と思う被害者は、
スマート・ドライバーでは なくなってしまわれたけど、…

「初心 忘れるべからず」と、私に 教えて下さる (間接的な)教官だ。




2012-05-22(Tue)

ヤモリに見下ろされて しばし安らぐ

約3ヵ月ぶりに、バッチ・フラワー・レメディ(イギリスのハーブと水)を 飲んでいる。

山林檎、柳、柊(ひいらぎ)、ラーチ(落葉松)、オリーブ、レスキュー( スター・オブ・ベツレヘム(大甘菜) + ロック・ローズ(半日花) + インパーチェンス(鳳仙花) + チェリープラム(紅葉李) + クレマチス(仙人草) )、岩清水

専門家に手伝ってもらって 選んだのに、飲むまで1週間かかった。
原液(数滴)に、ブランデー(酸化防止用)と 天然水を加え、
(量を増やして)半月分の分量にするのに 手間どったのと、
「自分は、こんなに たくさんの 草花の生命(波動とか云う、精魂と云うか、子守唄と云うか…)を受け取るに あたいする人間か?」
と 自分に問えば、そうは 思えなかったから(躊躇したから)だ。

「分析なさるのは けっこうですが、100%正解とは 限らない その分析結果(判断)を、クライアントの心より 大事にして…」
「一切の例外を認めず、押しつけて、クライアントの気力を 喪失させる」
「そんなセッションになっては、意味ないですよね」
などと、カウンセラーに釘を刺す クライアントは、不遜かもしれないが、
クライアントは 疲れ果てているのだ。

精神安定剤代わり(過去と現在の ギャップを埋めるため、かつ、怒りを他者に向けないため)の自傷行為と罪悪感で、心身ともに疲弊している。
いつになったら 不安なく休めるのか、見当もつかない。
(こっちは必死だ)

カウンセラー側は、
『クライアント=困っている輩=
本人の責任=
当人の 考え方や 習慣を、世の中の 主流に合わせることが使命』
…のように 思っているかもしれないが。
「ちょっと待たれよ」

家庭的、頭脳的、身体的、経済的に恵まれながら、
暴力で 問題を片づけようとしたり、
弱い者に 面倒事を押しつけたり、
脳の働きが 時々遅くなる人間(私)の愚かさを、悪と見なして 断罪する(憎み 責める)ような人が、少なくなかった。
(私の 過去に於いては)

そう云う人たちこそ、より深く病んでないか?
そう云うリーダーが 統率する生物集団は、地球から愛されるのか?
(嫌われるのじゃない?)

人が 自然界に見捨てられないための ブレーキ(安全装置)となるように、
(私のような)歩みののろい者が、産み出されるのでは なかろうか?

それを、狂っている 世の中に『合わせようとする』ような指導(治療)は、
決して 実を結ばないと思う。