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2015-05-18(Mon)

春の全国交通安全運動週間

いつもなら 4月なのに、どうして今年は 5月の中旬なのかと思ったら、
選挙があったからだそう。

教習所に行ってきた。
警察の人の話を聞いたり、自動車運転の腕をチェックしてもらう日。
自家用車を持たない私にとって、年に2回の貴重な機会。

警察の人の話は、軽車両(自転車)の話が大半で、
自転車がらみの事故が全然減っていないことに、憤慨していたよう。

『自転車に乗ってるとき、皆さん一時停止してないでしょ!』
などと決めつけられたり、……
お説教口調なのは、ちょっと嫌だった。

最近、子どもが青信号で横断歩道を渡っているときに、
左折する大型車に巻き込まれる事故が、重なったとか。
そんなことは、金輪際あってほしくない。

子どもたちには、信号だけじゃなく、
『ドライバーの目を見なさい』と
『ドライバーが、自分の姿を認識しているかどうか、
 確認してから、横断歩道を渡りなさい』と指導しているとのこと。

去年も同じことを聞いて、驚いたような気がする。
(そこまで、子どもに『注意せよ』とは……)
そう指導していても、事故が起きるのは、
子どもにとっては やはり、それが、
無理なく 楽々と出来ることでは ないから?



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2015-05-14(Thu)

トシ先生

トシ先生を 初めて見たのは、
政治家の秘書に連れられて行った イベント会場だったろうか?

私の目当ては 歌手(ミネハハさん?)だった。
でも、機関銃のように講演して去って行く先生を目の当たりにして、
あっけにとられた。

…私と同世代なのに、世界一寿命が短い国に行って病院作ってた?
…元 国境なき医師団?
…すごーい

トシ先生を 初めて間近で見たのは、
ボランティアの集合場所 JR某駅 改札そばの スタンプ台の前だった。

講演では、ペットボトルの問題を話しておられたのに、
コンビニ店に寄って、ボランティア参加者に、ペットボトルの飲料を買ってくれた。

事務所で郵便発送のお手伝いをするという、1日だけのボランティア活動。
私以外の参加者は皆、トシ先生のファンだったような気がする

…私は 某国立大学の心理学の教授に 振りまわされた苦痛や、
…絶対に帰って来ない人を恋しがる心 を 抱えた絶望や、
…自殺防止サイトの回答者として(7つくらいの文体を使い分けて活動し)睡眠不足で、
…無茶苦茶ハイになっていて、
…何でもいいから「良さげ」なことをして、
…脱獄中の死刑囚みたいな 心の憂さを忘れたかった。

(動機が不純だと、自覚してた)
(不純でも楽しんでやれば、ボランティアに参加しても良いみたいなことを、
 以前、永六輔さんが言ってたような気がするので、やっても許されるかと)

無料奉仕のはずだったのに、帰りに高価な写真集を戴いた。
ただ、その本の価値を下げるような
照れ隠しのようなサインをされたことは、ショックだった。


3度目にトシ先生に会ったのは、講演会場だった。
その帰り道、会場に来ていた先生のファン(知らない人)に、私は写真集を譲った。
(持っているのが悲しくなったから)

講演の質疑応答で、私は 怒られた。
質問「素晴らしい笑顔の写真集。子どもたちの名前が分かれば、もっと親しみが持てる」
応答『名前を載せたら、会いに行ってしまう 考えなしがいる。秘密が守れない』

その写真集は、
国境なき医療団が活躍するような外国が舞台で、
難病とともに生きながらも 美しい子や、お嬢さんたちが被写体だった。
写真集の売り上げは、国境なき医療活動の資金になったのかもしれない。

先生は、
難病への偏見が、現地では ひどいことを語り、
平和ボケした日本人の中に、秘匿すべき事情を おしはかることもなく、
『感動した』とか言って、
観光気分で現地に行き、宝探しのように 被写体を訪ねようとする愚か者がいると、
だから、あえて名前を載せていないと言った。

…そんなことも分からない お前もまた、平和ボケの傲慢な愚者
…そんなふうに言われた気がした。


後日、半年間 通った 臨床心理士との面談で 私は、
何度も この件について 確認することになる

…この写真集の意義は何?
…矛盾しているのは、先生の方ではないですか?
…私の無邪気(素朴)な問いは、そんなにも 忌み嫌われるべきものですか?


浜松の勇者の言葉は、
ぞっとするほど明解だった。
『表舞台から消えてゆく人だから、青少年への悪影響については、心配いらない』


講演会に行ったのは 冬だった。
写真展に行ったのは 夏の盛りだった。

カンカン照りの日、JRのN駅からバスを乗り継ぎ、
山の奥にある会場を、1人で訪ねた

写真は素晴らしかった。
さすが土門拳賞にノミネートされる腕前。
被写体の笑顔が素晴らしいのは、カメラマンの心が美しいからに違いない。

技術も上等、動機も純粋。
素晴らしい。
…でもそこは、私から遠く隔てられた世界。


私の失敗は、
先生に出会った日に、自分を一段下げてしまい、
講演会の質疑応答のときに、もう一段 自分を下げて、
写真展に行って、更に一段下げて、
どんどん卑屈になってしまったこと。


葉内花の美しさや、
ハクセキレイの優しさや、
タブの木の穏やかさに 出会えたとき、

私に写真の腕があったらと、…
心を癒し、魂をうたた寝から覚ますような、驚くべき自然の姿を、
写真におさめたいと、
トシ先生ほどの腕があったなら 不可能じゃないだろうと、思ってしまうことがある。


ブログに たまに戴く、異国からのコメントも、
トシ先生ほどの言語能力があれば、理解でき、対処でき、
もしかしたら、返事も書ける?
などと思ってしまうことがある。


純粋な心を、養いたい。
そうすればいつか、
純粋な心を培ってきた人に会っても、
仰ぎ見たり、斜に構えたりせず、
友人になれるはず。

トシ先生が表舞台に戻る日があってもなくても、
もし、どこかで会うことがあったら、
ありがとうございますと言いたい。
貴方の思い出のお陰で、
久々にブログを更新できました。

2015-04-04(Sat)

いけにえに サヨナラ

先月までの職場は、耐震性の強い施設だった。
関東大震災の時、首都(東京)を襲ったくらいの揺れには耐えられると聞いた。
勤務中に地震が起きても、施設内では 全然 気づかなかった。

巨大なクッションが、地震の揺れを吸収してくれて、
建物と、財産と、働いている人間を、守るしくみ。
けっこうなことだ。

自宅アパートは、4年前の震災のとき、ひどく揺れた。
(これで、私も、この世とお別れか)と、思ったくらい。

アパートは 幸いにも 潰れなかったけど、
私の精神は、潰れたまま、…
むしろ 傷みが 酷くなった?

なんで、遺書に解説しなきゃいけなかったんだ?
先日のことだ。

自殺を目論んでいた訳じゃないぞ。
もう疲れてて、明日は来ないかもと思った日、
「あなたを信じてました」と、メールの返信に書いて送ったら、

『もう信じていないのは、期待があったからでしょう』という返事がきてしまった。
『私が一所懸命で気負いすぎたのが、まずかったのでしょう』とも。

カーッ!!
期待なんかしてねえつーの!
憧れていただけ。

過去形で書いた=今はもう信じてない?
そんな方程式は無いよ。

お互いに、疲れていることは、分かってる。
どちらかと云えば、こっちの方が傷みが酷いと思うのだが?
遺書の解説のようなメールを、私は一所懸命にPHSから送った。

憧れの君よ、感謝しているよ。
私に力を貸してくれようとした君に、甘えてみたかったなあ。
でも、私があなたに送った最後のメールは、遺書の解説。

なんでですかね?
私が傲慢だからみたいで、
かなしいです。

思えば私は、耐震装置だったよう。
家族のサンドバック、夫婦間の緩衝材、親戚中の笑い者。…

望んでそうなった訳じゃないが、
そういう立場で生き延びた。

そんな在り方は、半分 死んでるようなものだけど、
殴られること、激しく揺さぶられることが、当たり前になっていると、
麻痺してしまうのだ。
(脳のどこかが?)

穏やかな日常に憧れているのに、
穏やかさがうれしいのに、
それが、暴力の嵐の前兆みたいに思えて、
怯えたりして、
自分で自分を殴るみたいなことをしてしまう。
(それが自傷行為のような気がする)

笑った親戚、見て見ぬふりの隣人。
それは、ほんとうに、ひとごとだったのかしらね?

自分たちの憂さ晴らしに、
暴力の生贄に、
あいつなら 遠慮はいらないと、
そんなふうに、
本当に、
一瞬たりとも、思わなかったですか?

2015-04-03(Fri)

お願い申し上げまする

以前、富士樹海の話を読んだとき考えた。
自分だったらどうする?

命を放棄しようと、
死地へ赴こうとする人と出会ったら。

その人は『末期ガンで余命わずか。苦痛が絶えない』と云う。
自分の死を嘆く身内もないと云う。
引き止めようとしたが、
『行かせてくれ』と懇願された。

止めることが、まるで傲慢な暴力のように思えるとき。
…私ならどうする?

…私は、
…疲れて、
…判断力が怪しいが、

…懇願し返そう。
…どうか、生きて、
…誰かを助ける可能性があるその命を、
…最後まで棄てないで、と。

…命をまっとうする あなたの存在は、
…何かが足りずに 崩れ落ちそうな、誰かを、
…救うかもしれない。

…あなたの眼差しが、
…あなたの声が、
…あなたの体温が、
…誰かを励ますかもしれない。

理屈では説明できない。
善か悪か、わからない。
単なる好き嫌い(私のエゴ)かもしれない。

でも、あなたが生きている事実は、
誰かの心の滋養になる。
だから、生き抜いて下さい、

お願いします。

2015-03-24(Tue)

自殺対策強化月間(3月)だから、遠慮しない。

心理学校で出会った、優等生。…
(右斜め前の席で、貧乏ゆすりをして、私を苛々させた人では ない方、
 卒業後、学校の職員になった人では、ない方の 優等生の)

貴方が、私に 力を貸してくれようとしたこと。…
うれしかった。 
夢みたいだった。

キャリア・カウンセラー(熟練レベル)と、
産業カウンセラー?
メンタルヘルス・マネジメントⅠ種??

ひとつでも 大変な資格を、昨年、
『同時に獲りに行く』と、言った貴方。

貴方の優秀さは 認めていたけれど、
尋常じゃないと、私は思った。

…家庭人としての責任も 重い方なのだから、
…身体を壊しかねないと。

『先生方が、無償の愛で応援してくれるので、応えたい』
貴方は そう言ったけど、

教え子が、難関試験に合格すれば、
それは 先生の手柄にも なるのですよ。
無償の愛とは、到底 思えませんでした、私には。

それにね、
彼等(心理学校の先生方)が、
真に、愛に生きる人たちでしたら、劣等生だった私に対しても、
一貫性のある言動を したのでは?

『カウンセリングの現場に、
 病んだ人が来たり、
 自分の手に負えない クライアントが来たら、
 
 相手をしてはいけない。
 適切な専門家に【 refer:リファー】せよ』

口を揃えて、そう教えていた先生方。
私は 1ヵ月は、黙って耐えていた。

1ヵ月を過ぎた頃、苦しさに耐えかねた私は、
「その、リファーってやつを、お願いしたい」と、言い出した。

5人以上の先生に そうお願いしたけど、
使えるアドバイスは 戴けなかった。

結局 私は、恥を晒しただけ。
(授業を妨害する アホでしかなかった)

私が質問を始めると、
『教科書とは無関係な話題で、不快だから』と 誇示するかのように、
連れ立って、教室を出ていく生徒等もいた。

心理学の授業では、心理的に負担がかかることを考慮し、
中途退席が認められていた。

脱線せずに、教科書の内容を きっちり学びたかった方々には、
えらい迷惑かけてしまった。

だけど、他でもない、カウンセリングを学ぶ場、
人の心に寄り添い、勇気づけ、問題解決の支援を、学ぶ場だったはず。

目の前に、自殺を考えている人間がいても、
そんな奴は 居なかったことにして、
箔をつけるための 試験勉強に励むことの方が、
ほんとうに 大事だったのですか?

…そんな荒んだ気持ちを 抱えながら、何とか卒業した私に、メールをくれた人。
…貴方は、心理学の世界の、良心だと、私には思えた。

でも、多忙な貴方から、お説教されるに至り、
夢から醒めました。

貴方は『説教じゃない』と言ったけど、
『良くなってほしいから厳しいことも言うのです。我が子に対しても同じです』とも言った。

友だちと言いながら、私のことを 子ども扱い。
 
それって、見下してたってことだよね、私を。

悩んでいる奴と、
知恵や時間(命)を注いで、人を助けたいと願うヒト。

エネルギーの強弱は 隠しようがないが、
上下関係は 見せつけない方がいい。
強調するほど野暮ですわ。

なにがしかの自負だけが、
悩める者を、
この世に繋ぎとめている 命綱かもしれないのに、
…その綱を断って どうする?

私は貴方が好きでした。

貴方が、
本物の(クライアントや その家族から、信頼され、感謝される)
心の問題解決のプロとして 活躍されることを、
祈っています。