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2015-05-30(Sat)

正論がつらい

家賃の支払いが遅れて、大家さんに迷惑をかけることだけは
何より避けたい嫌なことだった

先代の大家さんはおおらかだったが、
(家賃も手渡しだった)
代替わりしてからは、銀行振り込みになり、日頃 接する機会もなく、
何か困ったことがあって、相談のために電話をすると、
第一声の『何ですか?』が、不快感 丸出しな感じで
(私が、大家さんにとって厄介者であると思わせる印象)
住まいを貸してもらっている感謝の気持ちより、
死にたい気持ちの方が強くなってしまうのだった。

何とか、新しい大家さんとも、穏やかにかかわりたいと願って、十余年、
自分としては、精一杯の対応をしてきた(ベストを尽くしたつもり)
大家さんも結婚したり、人の親になったりと、変わられて、
あからさまに『借家人=嫌なもの』みたいではない反応を返してくれた日もあった。

しかし、生活保護制度では、家賃は当月清算。
次月の家賃の、口座振替を許さない。

残高が残っているときは、保護申請を許さない。
銀行と大家さんと私の契約を、保護認定月の月末には、
必ず『破らせる』仕組みになっている。

保険屋時代の先輩に愚痴った。
「大家さんと揉めたくない、お金より精神的なことで困ってると、
 ケースワーカと婦人相談員に言ったのに、
 無駄に申請を遅らされたけだった気がする。
 だまし討ちに遭ったようだ」

先輩、曰く、
『あなたが確認不足なだけだと思う。
 彼等は契約に従って動いただけ』

それはそうだろうが、
いやしく(苟)も(かりそめにも)、も「福祉課」に奉職している方々が、
困窮者の心(声)を「データ」としか扱わず、
お金の計算を 第一義としているような、

自分たちの 半端な対応で、困窮者が 更に苦しんでも、
責任感のかけらもなさそう(本当は あるのかもしらんが)なのが 私は
悔しいのだ。

そういう態度が、困窮者を追い詰め、自殺のリスクを増やすことに
何故、気づかない?


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2015-05-22(Fri)

黒い波

子どもの頃、『赤い沼』と云う漫画を、友人から借りて読んだ。
鬼子母神の祟りみたいなホラーで、陰惨な場面が印象的だった。

鬼子母神を祀る祠の中には 悪鬼が封じ込められていた
捨て子だった孤独な娘が、
旅人に恋心を抱き、その男のために 祠の扉を開けてしまう。
そして惨劇が始まる……

私は、ホラー小説も スプラッター映画も、どちらかと云うと嫌い。
あの漫画も、好きだった訳では決してない。
でも、何故か忘れられなかった。

そして、何十年も経ってから 思い知るのだ。
あの娘は、殆ど私のようだと。


大津波が東日本の海岸を襲ったときに、
私は、自分の中の怒りが、津波になってしまったような気がした。

暴力・暴行の被害を受けても、かばってくれたり助けてくれる人はなく、
自業自得とか自己責任とか言われ、
優しくされるどころか、あざ笑われたり

それでも、グレたり群れたりする気力はなくて、
1人で何とかしなきゃならなくて、
親に殺される寸前までいったときに、抵抗してしまった自分が許せなくて、
そのときに破綻した心、成長が止まってしまった心を、
心以外のもので必死で補って

ずっと『感謝』を自分に強いたり、
休み方が分からなくなるほど、頑張って働いたり、

何度も『SOS』を、
先生と呼ばれる大人や 成功してて余裕がありそうな人に 出し続けてきたのに、
そういう、本来なら、人を 励ましたり 勇気づける立場に いるはずの人が したことは、

『努力が足りない』とか『気にしすぎ』だとか、
『もっと大変な人がいるのに甘えるな』とかの、薄っぺらい言葉をくれて終わりだったり、

金だけは たくさん奪っていき、ひどい奴は罵声を浴びせ、
休ませてくれた人は いなかった。
(一息つかせてくれたのは、自分も 大変な苦労をしているような人ばかり)

だから、怒りのエネルギーを、私は、極限まで溜め込んでいた。
弱ったものを踏みつけて笑っていられる 人間(日本)社会への怒り

それが、あのような大津波となって あふれ出てしまった気がして
申し訳ないと感じた。
(苦労している優しい人にまで、見境なく襲いかかるなんて)

それは 自意識過剰だろうと、
私に そんな力が あるはずないと、理性は考える。

だけど、
私の思い過ごしでは、なかったのかもしれない。

弱者に社会の矛盾を押しつけて、死ぬより苦しめ続けていたら?
そんな弱者の怨念が、国土を覆うほどに集まったとしたら?
それが 天変地異を引き起こさないと、誰が言える?


4月の上旬に、NOPの方に付き添われて役所に行き、
生活保護の申請をして、受理された。

数日後、家に調査に来た ケースワーカーと 婦人相談員に 私は、
「経済的に困窮しているが、もっと困っているのは、
 自分の心身と頭、判断力が低下していること」と言った。

恥を忍んで
被虐待の後遺症で、頑張り過ぎても、休めないことや、
自傷行為・希死念慮に苦しんでいることも告げた。

アパートの家賃が、5万3千円という生活保護の基準額を超えているので、
転居を勧められた。
『転居費用は支給される、でも、冷蔵庫や 洗濯機を買う お金は 出ません』
と言われた。

休める環境に、早く移りたかった。
25年も住んでいるアパートは、入居した当時から(!)床板が弱っていた。
床だけじゃなく、トイレも 風呂も 窓も傷んでて、安息には程遠い。
畳の部屋も 板の間も、書類や資料の山になっていて、
布団を敷くのにも 障害物が多くて、遭難しそうになる。

『洗濯機や 冷蔵庫が欲しいなら、保険の解約返戻金で買えばいい』
そのように、ケースワーカーと 婦人相談員に助言されたので、
私は それに従い、申請を保留にした。
しかし、保留というのは、実は『取り消し』だった。

結局、転居先も決まらず(基準額が、相場より安すぎるから)、
解約返戻金は、
約2ヵ月間の生活費と メガネの修理代で消えてしまった。
(洗濯機も 冷蔵庫も 買えぬまま)

その間、ケースワーカーは何も(新たな申請書類を用意することさえ)せず、
婦人相談員は、不動産屋を 何件か まわっただけ。

こちらから電話しても、
出張中ですとか、電話中ですとかで、行き違い。

なぜ、対応が遅い(再申請の手続きが、全然 進まない)のですか?
電話で ケースワーカーに問うたら、
『申請の意思が確認できなければ、進めることはできませんから』ですと。

保護を保留(便宜上 取り下げ)にしたのは、
ケースワーカーである あなた達のアドバイスで、
「洗濯機と冷蔵庫を買うため」だったでしょう?

いつ それが、
『申請の意思が不明』に(あなたの脳内で)すり替わったのですか?

「あなた方2人に騙されて、資産を無駄にしてしまった気がする」
そう言った私に、

ケースワーカーは、嫌悪感を隠せないと云った 怒気を含んだ声で、
『明日 連絡します』と言った。

どれだけ忙しいのか知らないが、客観的に見て、
私に対する あなたの仕事は、手抜きだったのでは?

このような、
信頼関係も築けなかった ケースワーカーや 婦人相談員に、
世話になるしかないのかと思うと、暗澹としてくる。

私に 演技力があればいい。
こんなひどい現実は、芝居とでも思わねば 凌げない。



2015-05-20(Wed)

排毒できるかな

「世界一痛い」と云う謳い文句の、プラスチック製の足もみ台に
毎日10分くらい乗っている。
ときどきは、ジャンプもしてみる。
終わったら、30分以内に 白湯を500cc飲む。

痛いのが好きな訳じゃない。
足裏に溜まって、固まっている汚れを流して、
内臓をきれいにして、
元気になって 飛びまわりたいから。

木の棒を使って、手で40分くらいかけて
足裏から膝下までのツボを 押したり擦ったりした方が、効果はあるのだけど、
それはそれで根気が要るし、疲れるから、
最近はプラスチックの踏板に頼っている。

原発の事故以降、放射能漏れは続いているし、
その他の大気汚染(MP2.5 など)もあるせいか、
いったんは、柔らかくなった足裏が、
また(前よりも?)硬くなってきた。

気管支や肺や甲状腺のツボに、タコがたくさん出来ちゃったよ。
そして、ときどき 心臓から気管にかけて、嫌な痛みを感じる。

だから、先週末から、
チョコレートと、納豆のタレと、フッ素入りの歯磨き剤を止めている。

チョコレートには、砂糖が入っている。
放射能を浴びた身体は、砂糖を喜ばない。

納豆のタレには、【果糖ぶどう糖液糖】が使われている。
その原料は、かなりの確率で 遺伝子組み換えトウモロコシ(発がん物質)で、
腎臓をくたびれさせる。

焼け石に水かもしれないが、
元気になって 跳ねまわりたい。

2015-05-18(Mon)

春の全国交通安全運動週間

いつもなら 4月なのに、どうして今年は 5月の中旬なのかと思ったら、
選挙があったからだそう。

教習所に行ってきた。
警察の人の話を聞いたり、自動車運転の腕をチェックしてもらう日。
自家用車を持たない私にとって、年に2回の貴重な機会。

警察の人の話は、軽車両(自転車)の話が大半で、
自転車がらみの事故が全然減っていないことに、憤慨していたよう。

『自転車に乗ってるとき、皆さん一時停止してないでしょ!』
などと決めつけられたり、……
お説教口調なのは、ちょっと嫌だった。

最近、子どもが青信号で横断歩道を渡っているときに、
左折する大型車に巻き込まれる事故が、重なったとか。
そんなことは、金輪際あってほしくない。

子どもたちには、信号だけじゃなく、
『ドライバーの目を見なさい』と
『ドライバーが、自分の姿を認識しているかどうか、
 確認してから、横断歩道を渡りなさい』と指導しているとのこと。

去年も同じことを聞いて、驚いたような気がする。
(そこまで、子どもに『注意せよ』とは……)
そう指導していても、事故が起きるのは、
子どもにとっては やはり、それが、
無理なく 楽々と出来ることでは ないから?



2015-05-14(Thu)

トシ先生

トシ先生を 初めて見たのは、
政治家の秘書に連れられて行った イベント会場だったろうか?

私の目当ては 歌手(ミネハハさん?)だった。
でも、機関銃のように講演して去って行く先生を目の当たりにして、
あっけにとられた。

…私と同世代なのに、世界一寿命が短い国に行って病院作ってた?
…元 国境なき医師団?
…すごーい

トシ先生を 初めて間近で見たのは、
ボランティアの集合場所 JR某駅 改札そばの スタンプ台の前だった。

講演では、ペットボトルの問題を話しておられたのに、
コンビニ店に寄って、ボランティア参加者に、ペットボトルの飲料を買ってくれた。

事務所で郵便発送のお手伝いをするという、1日だけのボランティア活動。
私以外の参加者は皆、トシ先生のファンだったような気がする

…私は 某国立大学の心理学の教授に 振りまわされた苦痛や、
…絶対に帰って来ない人を恋しがる心 を 抱えた絶望や、
…自殺防止サイトの回答者として(7つくらいの文体を使い分けて活動し)睡眠不足で、
…無茶苦茶ハイになっていて、
…何でもいいから「良さげ」なことをして、
…脱獄中の死刑囚みたいな 心の憂さを忘れたかった。

(動機が不純だと、自覚してた)
(不純でも楽しんでやれば、ボランティアに参加しても良いみたいなことを、
 以前、永六輔さんが言ってたような気がするので、やっても許されるかと)

無料奉仕のはずだったのに、帰りに高価な写真集を戴いた。
ただ、その本の価値を下げるような
照れ隠しのようなサインをされたことは、ショックだった。


3度目にトシ先生に会ったのは、講演会場だった。
その帰り道、会場に来ていた先生のファン(知らない人)に、私は写真集を譲った。
(持っているのが悲しくなったから)

講演の質疑応答で、私は 怒られた。
質問「素晴らしい笑顔の写真集。子どもたちの名前が分かれば、もっと親しみが持てる」
応答『名前を載せたら、会いに行ってしまう 考えなしがいる。秘密が守れない』

その写真集は、
国境なき医療団が活躍するような外国が舞台で、
難病とともに生きながらも 美しい子や、お嬢さんたちが被写体だった。
写真集の売り上げは、国境なき医療活動の資金になったのかもしれない。

先生は、
難病への偏見が、現地では ひどいことを語り、
平和ボケした日本人の中に、秘匿すべき事情を おしはかることもなく、
『感動した』とか言って、
観光気分で現地に行き、宝探しのように 被写体を訪ねようとする愚か者がいると、
だから、あえて名前を載せていないと言った。

…そんなことも分からない お前もまた、平和ボケの傲慢な愚者
…そんなふうに言われた気がした。


後日、半年間 通った 臨床心理士との面談で 私は、
何度も この件について 確認することになる

…この写真集の意義は何?
…矛盾しているのは、先生の方ではないですか?
…私の無邪気(素朴)な問いは、そんなにも 忌み嫌われるべきものですか?


浜松の勇者の言葉は、
ぞっとするほど明解だった。
『表舞台から消えてゆく人だから、青少年への悪影響については、心配いらない』


講演会に行ったのは 冬だった。
写真展に行ったのは 夏の盛りだった。

カンカン照りの日、JRのN駅からバスを乗り継ぎ、
山の奥にある会場を、1人で訪ねた

写真は素晴らしかった。
さすが土門拳賞にノミネートされる腕前。
被写体の笑顔が素晴らしいのは、カメラマンの心が美しいからに違いない。

技術も上等、動機も純粋。
素晴らしい。
…でもそこは、私から遠く隔てられた世界。


私の失敗は、
先生に出会った日に、自分を一段下げてしまい、
講演会の質疑応答のときに、もう一段 自分を下げて、
写真展に行って、更に一段下げて、
どんどん卑屈になってしまったこと。


葉内花の美しさや、
ハクセキレイの優しさや、
タブの木の穏やかさに 出会えたとき、

私に写真の腕があったらと、…
心を癒し、魂をうたた寝から覚ますような、驚くべき自然の姿を、
写真におさめたいと、
トシ先生ほどの腕があったなら 不可能じゃないだろうと、思ってしまうことがある。


ブログに たまに戴く、異国からのコメントも、
トシ先生ほどの言語能力があれば、理解でき、対処でき、
もしかしたら、返事も書ける?
などと思ってしまうことがある。


純粋な心を、養いたい。
そうすればいつか、
純粋な心を培ってきた人に会っても、
仰ぎ見たり、斜に構えたりせず、
友人になれるはず。

トシ先生が表舞台に戻る日があってもなくても、
もし、どこかで会うことがあったら、
ありがとうございますと言いたい。
貴方の思い出のお陰で、
久々にブログを更新できました。