その樹冠に1粒だけ ドングリが出来ていた
思わず触れたら、私の手の中に落ちてきた
親の木と同じ目には、遭わせたくないものだ
私が里親を見つけられなかったために、親木は倒された
…可哀想なことをした
…ホントに そうかな?
強い若木よ!
お前、長生きしたいなら
私を足に使って、好きな所へ行くといい
私が この世にいる間に
可愛い苗木で いるうちに
2009年12月1日から
水や風は まだ冷たいが、窓辺のハーブが蕾をつけた。
北向きの台所の窓辺に置いた、ホーリーバジルのポット苗。
適当なところで、大きめの鉢に移植してやろうと思いつつ、
まだまだ小さいからと、狭い容器で越冬させてしまった。
7月に種をもらい、2粒だけ蒔いた。(2鉢)
まだ1度も陽の目を見てない(直射日光に当たったことない)のに。
咲こうというのか?
…なんて強いのだろう。
窓の外では、雀の一家が にぎやか。
目と鼻の先に 巣があるよう。
(階段の踊り場の 裏の隙間から、出入りしてる)
底無しに幸福そうに 鳴き交わし、飛び跳ねている。
ヒトノコ(私)は、
とりあえず ブロッコリーが食べられれば うれしい。
千葉県産、香川県産、徳島県産、…
ブロッコリー1束 買えること、茹でること自体が、うれしい。
風の季節(春)らしく、最近のブロッコリーは、
砂を含んでいたりする。
小さな鍋で 1束分を茹でると、
小さく切り分けていても、砂が残ってしまい、
口の中で「ジャリ」と なることもある。
それでも ブロッコリーは、私を幸福な気分にしてくれる。
昨夜、盲導犬の募金箱がある スーパー・マーケットに行った。
(自分が役立たずに思えて、居たたまれない)
そんな気持ちに 呑み込まれて悶々とするよりは、動こうと。
盲導犬 育成の 募金や、
水色の羽根募金(漁船海難遺児 育英資金)は、私の価値観では、
この日本では 絶対に必要なもので、絶対の正義。
育英会は、貧乏では 協力が困難だけど、
盲導犬への協力は、1円からできる。
1円なら、私でも 捻出できないことはない。
昨夜、買うべき物は無かったが、24時間営業のスーパーに出かけ、
犬の人形がついた箱に、アルミニウム硬貨1枚を納めた。
スーパーの壁には、従業員募集の張り紙があった。
もし、それだけで生計をたてようとしたら、
深夜手当込みでも、生活保護と大差ないくらい
人として最低限度の生活が、やっとおくれる程度の賃金。
外食などの遊興や、遠距離の墓参り、貯金などは、
諦めざるをえないような、安い時給。
レジに並んでいたのは、若い人たちばかり。
学生さんだろうか?
駐輪場に ずらりと並んだ自転車の大半が、
カゴが錆びていたり、あちこちに傷みが目立った。
(私のも、ピカピカに磨き上げてる訳じゃない…)
自分を乗せてくれる大切な乗り物だから、
出来るなら、いつも手をかけ 綺麗にしてやりたい。
それに、手入れや 点検を怠ると 危険だ。
(でも、今の自分には、余裕が殆どなく、日々 ヒヤヒヤしている)
あの駐輪場に並んでいた自転車、
30台くらいのうち、8~9割が疲弊していた。
手入れや、修理をする余裕がないのだと思う。
そう云うことに気づかない人が、先生と呼ばれる地位について、
権力をほしいままにしていては、危険なのでは?
私が子どもだった頃より、生活苦の人の割合は増えてる気がする。
私が子どもだった頃、火災の原因の第1位は、放火ではなかった。
(煙草だったと思う)
人の心が健康であれば、死に直結する放火など、出来る訳がない。
あってはならない人災の割合が増したのは、人心が荒廃した証拠だ。
(何の根拠もない、暴論だけどさ)
今が どん底であってほしい。
これからは、良くなってほしい。