このブログの開設には、
時間貸しのパソコンを使った。
その頃は、PHSから記事やコメントが投稿できたけど、
「忍者ツールズ」さんのサービスが複雑になるにつれ‥‥
(TwitterやFacebookとの連携、他)
仕方がないので、(ブログを維持するために)タブレットPCを買った。
このブログを作る原因となった掲示板には、
命を落とさぬために 投稿した。
「STOP ●●」 という言葉に縋って。
多くの時間を費やし、思いがけず 有り難いご縁を戴いた。
(リアルで会えた シータさんなど)
その一方で、
私のことを 『掲示板の空気を乱す害虫』のように感じた人たちから、
たくさんの『害虫駆除薬』的な、
侮蔑や嫌悪を帯びた『言葉』を 頂戴する結果となった。
私は意地になり、
たとえ自分が手遅れだとしても
(地獄行きを免れないくらい、腐っていたとしても)
「生まれてきたことを恨んで 自ら命を断つ人を出して なるものか!」
‥‥と、思った。
私にとっては 希望:絶望 の割合が、
2:8 くらいの掲示板だったと思う。
カード占いの経験をもとに、
(他の投稿者のスレッドに)応援の言葉を書き込むようになっていった。
(そのサイトを、ご自分の承認欲求を満たす場として利用している 疑いがあった、『牢名主』みたいな回答者が活躍中のスレッドからは、距離を置きつつ‥‥)
それは 心の疲れた人を対象としたサイトだった。
あの時点では、
明らかに救済の対象であったはずの自分が そこで、
幾人もの人から『害虫』扱いされ、死に追い込まれそうになった。
その悔しさが、私に 新たな掲示板を作らせ、
掲示板サービスの終了に伴い、このブログが誕生した。
「悔しさ」という、闇を背負ってのスタートだったから、
協力者を得られなかったのかも‥‥しれない。
そして、
憧れの作家さん(安部譲二先生)から頂戴したコメントを、
非公開にせざる得ない不運に見舞われたのも、
私の闇が 濃過ぎたせい だろう。
安部先生、
その節は ありがとうございました。
鳩ノ巣渓谷に最初に行ったときは、
公衆トイレで痴漢に遭遇しました。
それが1年半前のことです。
今夜は、
帰りの列車が緊急停止しました。
(鹿と接触したそうです。鹿、助かっていてほしい)
まだまだ私の闇は深いようですが、
もっとずっと暗かった時に、光を分けて下さった御恩は
忘れません。
鳩ノ巣渓谷から帰る途上にて
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ハンムラビ王の治世
「ハンムラビ法典とその現代的意義」という講演会が、
11月2日に中近東文化センターであった。
講師は中田 一郎(なかた いちろう)先生
武蔵野市民の為の講座なので、本来であれば私は対象外だったが、
たまたま先月、中近東文化センターに行ったとき告知を見て、
「席が残っているので、市民でなくてもどうぞ」と言われ、
費用も500円で何とかなったので、参加させて戴いた。
インターネット上には、同じタイトルのレポートが既にあった。
(2015年の夢研究所さんの記事)
2015年10月27日(火)19:00~21:00
(中田先生の肩書は、現在は中近東文化センター理事)
現代人が見習いたい
(福祉をなす)王のシステム?
弱った人間に対して、
『縁なき衆生は 度し難し』と見下して切り捨てることや、
『自業自得』と笑って傍観することを、
宗教家や社会的地位の高い人が平然とできる…そんな文化圏で、
笑われ、斬り捨てられ、
腹黒くなった私に何ができる?
どうすれば生かせる?
古代人の知恵を、私の暮らしに。
それは、
疲れ果てた 今の私の頭では 分からない。
でもきっと ハンムラビ王が現代の政治家だったら、
カネミ油症の被害者が 50年も自責の念に苦しんだりはしていない
…と思う。
体内に入ってしまった有害物質を排出する方法は、無くはないのに。
その恩恵にあずかれるのは、今のところ「大金を払える人」だけ。
だけど ハンムラビ王なら、自治体に命じただろう。
「傷ついた人を救済し、すみやかに彼の尊厳を回復させよ」と。
11月2日に中近東文化センターであった。
講師は中田 一郎(なかた いちろう)先生
武蔵野市民の為の講座なので、本来であれば私は対象外だったが、
たまたま先月、中近東文化センターに行ったとき告知を見て、
「席が残っているので、市民でなくてもどうぞ」と言われ、
費用も500円で何とかなったので、参加させて戴いた。
インターネット上には、同じタイトルのレポートが既にあった。
(2015年の夢研究所さんの記事)
2015年10月27日(火)19:00~21:00
(中田先生の肩書は、現在は中近東文化センター理事)
現代人が見習いたい
(福祉をなす)王のシステム?
弱った人間に対して、
『縁なき衆生は 度し難し』と見下して切り捨てることや、
『自業自得』と笑って傍観することを、
宗教家や社会的地位の高い人が平然とできる…そんな文化圏で、
笑われ、斬り捨てられ、
腹黒くなった私に何ができる?
どうすれば生かせる?
古代人の知恵を、私の暮らしに。
それは、
疲れ果てた 今の私の頭では 分からない。
でもきっと ハンムラビ王が現代の政治家だったら、
カネミ油症の被害者が 50年も自責の念に苦しんだりはしていない
…と思う。
体内に入ってしまった有害物質を排出する方法は、無くはないのに。
その恩恵にあずかれるのは、今のところ「大金を払える人」だけ。
だけど ハンムラビ王なら、自治体に命じただろう。
「傷ついた人を救済し、すみやかに彼の尊厳を回復させよ」と。
2年前の写真
上手く撮れておらず、改めて撮り直したいと思っていたが、
今年は『常設展示コーナー以外は撮影不可』と言われてしまった。
(中近東文化文化センターにて)
仕方がない。下手な写真で妥協しよう。
(左端が消えちゃっているけど、 クリックすると拡大されます)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三笠宮(崇仁)殿下の
古代オリエント史入門者への 提言十ヶ条(抄)
1.古代オリエント史学に入る各種の門
・・・・古代史も「生きんがための人間同士の血みどろな争いの足跡」の上に組み立てられています。・・・
2.古代史はこれからつくられる
・・・・文献学的資料も考古学的資料も、新しいものがどんどん発見されています。古代史はこれからつくられるのです。
3.月日の経つスピード感のちがい
4.現代は分化社会、古代は未分化社会
・・・・古代社会では政治も経済も、宗教も芸術も、渾然一体となっていました。したがってその中の一つだけを取り出すのではなく、総合的に観察することが非常に大事です。
5.普遍性と個別性
文化にせよ、文明にせよ、その内容には普遍的なものと個別的なものとが必ず含まれています。
・・・・共通点は目につきやすいのですが、相違点は見落とし易い傾向があります。
6.史料の出所が偏っていることに注意
文書にしても、遺物にしても、われわれの目に入る史料はほとんどが支配層に属していたものです。
・・・・古代史研究者はそれらの偏った史料の中から、眼光紙背に徹する気持ちで、被支配者層の苦しみの叫び声を聞き出すことに努力しましょう。
7.シンボリズムの重要性
・・・・(古代には)99%の人が文字が読めなかったとみてよいでしょう。王でさえも。・・・・一般の人たちにとっては、記号とかシンボルとかがきわめて重要な役割を果たしたに違いありません。
8.古代の神と現代の神
(古代には)王といえども・・・・神の意向を伺いました。・・・・その場合、神と王との間には神官とか巫女とかが介在しています。・・・・古代史において神官の研究が・・・重要なことを認識しておいて下さい。
9.術語の一人歩き
・・・・古代では・・・・王にも祭司的な立場があり、近世ヨーロッパの絶対王政とはまた異なった雰囲気が古代オリエントには存在していたと考えます。
10.欧米の学者と日本の学者
・・・・欧米学者の説は正しいという先入観を持たないで、彼らとは異なった角度から古代オリエント史を眺められるわれわれの幸福感を十分に味わって下さい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中近東文化センターには、
三笠宮殿下愛用のヘブライ語のタイプライターが展示されていた。
私が連想したのは、それと対をなす博物館。
未来のどこかにある光景。
そこは1万年を超える平和を築いた縄文文化の研究の拠点で、
その一角に、
ヤマトの古代文字のタイプライターが置かれているという・・・
※ 日本という国には かつて、
10000年以上 戦闘のない平和な時代があったそうで、
中近東文化センターのある東京都三鷹市内からも、
その時代の土器(縄文土器)が発掘されている。
今年は『常設展示コーナー以外は撮影不可』と言われてしまった。
(中近東文化文化センターにて)
仕方がない。下手な写真で妥協しよう。
(左端が消えちゃっているけど、 クリックすると拡大されます)
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三笠宮(崇仁)殿下の
古代オリエント史入門者への 提言十ヶ条(抄)
1.古代オリエント史学に入る各種の門
・・・・古代史も「生きんがための人間同士の血みどろな争いの足跡」の上に組み立てられています。・・・
2.古代史はこれからつくられる
・・・・文献学的資料も考古学的資料も、新しいものがどんどん発見されています。古代史はこれからつくられるのです。
3.月日の経つスピード感のちがい
4.現代は分化社会、古代は未分化社会
・・・・古代社会では政治も経済も、宗教も芸術も、渾然一体となっていました。したがってその中の一つだけを取り出すのではなく、総合的に観察することが非常に大事です。
5.普遍性と個別性
文化にせよ、文明にせよ、その内容には普遍的なものと個別的なものとが必ず含まれています。
・・・・共通点は目につきやすいのですが、相違点は見落とし易い傾向があります。
6.史料の出所が偏っていることに注意
文書にしても、遺物にしても、われわれの目に入る史料はほとんどが支配層に属していたものです。
・・・・古代史研究者はそれらの偏った史料の中から、眼光紙背に徹する気持ちで、被支配者層の苦しみの叫び声を聞き出すことに努力しましょう。
7.シンボリズムの重要性
・・・・(古代には)99%の人が文字が読めなかったとみてよいでしょう。王でさえも。・・・・一般の人たちにとっては、記号とかシンボルとかがきわめて重要な役割を果たしたに違いありません。
8.古代の神と現代の神
(古代には)王といえども・・・・神の意向を伺いました。・・・・その場合、神と王との間には神官とか巫女とかが介在しています。・・・・古代史において神官の研究が・・・重要なことを認識しておいて下さい。
9.術語の一人歩き
・・・・古代では・・・・王にも祭司的な立場があり、近世ヨーロッパの絶対王政とはまた異なった雰囲気が古代オリエントには存在していたと考えます。
10.欧米の学者と日本の学者
・・・・欧米学者の説は正しいという先入観を持たないで、彼らとは異なった角度から古代オリエント史を眺められるわれわれの幸福感を十分に味わって下さい。
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中近東文化センターには、
三笠宮殿下愛用のヘブライ語のタイプライターが展示されていた。
私が連想したのは、それと対をなす博物館。
未来のどこかにある光景。
そこは1万年を超える平和を築いた縄文文化の研究の拠点で、
その一角に、
ヤマトの古代文字のタイプライターが置かれているという・・・
※ 日本という国には かつて、
10000年以上 戦闘のない平和な時代があったそうで、
中近東文化センターのある東京都三鷹市内からも、
その時代の土器(縄文土器)が発掘されている。
義人「余武伝」~ 旧約聖書 超意訳
心が 岩清水のように清く、
天の神(大自然)を敬い、
愛(義)に生きる者が 地上に おりました。
天の神が誇らしく思う その男は、【余武】と呼ばれていました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
堕天使は、
天の神の寵愛が 人の子に向けられていることが、悔しくてたまりません。
「苦痛を たくさん与えれば、かの者も 愛に生きる道から 外れてしまうのでは?」
「財産と家族と健康を奪っても、天の神への信頼が 彼の心に残るでしょうか?」
「彼が、どんな目に遭っても、
天の神(大自然)を敬い 畏れる心を失わず、愛に生きる姿に戻れたときは、
天の神の誇るものを認めますので、
試してもよろしいですか?」
そう言う 堕天使に、天の神は、
「試してみよ」と おっしゃいました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
天の神の許しを得て、
堕天使は【余武】の家族の命や 財産を奪い、
【余武】の身には、その姿を見た者の 心を挫くほどの むごい病を与えました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【余武】は、義侠心に厚く、醜い振る舞いとは無縁な男で、
神の心に沿って生きようと、心の耳を澄まし「聞こうとする人」でしたが、
突然の 降って湧いた不幸に 動転してしまい、
天の神を「問いつめる者」に なってしまいました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
見舞いに来た 友人たち【袁:えん】、【段:だん】、【蔡:さい】の心は、
善意でいっぱいでしたが、
面変わりして、呪詛の言葉を吐く 【余武】の姿を目にしたとき、
まず、年嵩(としかさ)の【袁】の心が、挫けました。
誇らしかった友の 変わり果てた姿に、耐えられなくなり、励まそうとします。
「しっかりしろ」
「蒔かない種が、実を結ぶことは ないはずだ」
「お前は一体 どんな過ちを犯したのか?」
「あるいは、お前は 為すべき何を怠ったのか?」
友を慰めようとして訪れた【袁】でしたが、
【余武】の気持ちを 思い遣る心は、どこかに飛んでしまいました。
謙虚さも忘れ、愛の心からも遠い 説諭を語り、しかも それは 矛盾していました。
人の蒔いた植物だけが、この世に育つのですか?
いいえ。
自生する草・木は 数多(あまた)あり、蒔かれずとも生え、 結実します。
【袁】の言葉は 苦しむ【余武】の力には なりませんでした。
【余武】は 反発します。
それは 当然のことでしたが、
その激しさによって、【余武】の心から 素直さと明るさが消えてしまいました。
堕天使は、勝利に近づいた と思いました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
知恵者であるはずの【段】は、【袁】と同じ轍を 踏んでしまいます。
【段】は 天の神を信じながら、「義人の受難」を 知らなかったので、
友の理解者に なれず、友を叱ります。
「お前の言葉は、乱暴で くどい」
「罪を認め、悔い改めろ」
励まそうとして訪れた【段】でしたが、
「ありもしない罪を認め、反省せよ」と 助言するのは、
奴隷になれ と 言うに等しい愚かなことで、堕天使を よろこばせました。
親しかった友人たちから、見当違いの言葉で 責められて、
病める【余武】は、いよいよ荒れ狂ってしまいます。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【蔡】は、天の神を かたく信じる人でしたが、
「義人の苦しみ」については 【段】と同じく 知らなかったので、
苦難 =天罰 と 思い込みます。
乱暴な言葉を 吐き続ける【余武】が、善人に見えなくなってきました。
自分の大切な神が、【余武】に 侮辱されているように 思えてきたのです。
思い遣りを 忘れた【蔡】は、とりなしの祈りもせず【余武】に言います。
「身の程を知れ、全知全能の神に逆らうな」
「神には ただ、信じて 従えばいいのだ」
それは 偶像崇拝のような 愚かな考え方です。
堕天使は、うれしくて たまりません。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【余武】と 友人たちの会話は、水掛け論に なってしまいました。
そこに【英】という人物が現われ、
自分の正しさを言い募る【余武】と、それを 止められない友人たちを 一喝します。
「天罰(因果応報)以外の苦難もある」
「天が警鐘として与える苦しみもある」
「鍛え上げようとして、天が与える苦難もある」
【英】の 言葉に、矛盾はありません。
【英】の 動機(義憤)も、もっともでした。
【英】を『教師の理想』だと、言う方が いるようです。
けれど 【英】の心に、
【余武】を いたわり、ねぎらう気持ちは あったでしょうか?
静かに病者に 寄り添い、
その心を あたためたいとか 支えたいと願う心が、【英】に あったなら、
天の神の 誇りに思う者は、地上に2人となったのですが、
そうは なりませんでした。
【英】は【余武】を見下し、愛の心が欠けていたので、正論は語れても、
【余武】の 心の嵐を 止めることは できませんでした。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【余武】の心身は、
天の神との 対面を果たすことによって、回復しました。
堕天使の目論見は、
完全に失敗しました。
気づかぬうちに 堕天使に加担し、天の神に 呆れられた 3人の友は、
【余武】の祈りで 救われました。
天の神(大自然)を敬い、
愛(義)に生きる者が 地上に おりました。
天の神が誇らしく思う その男は、【余武】と呼ばれていました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
堕天使は、
天の神の寵愛が 人の子に向けられていることが、悔しくてたまりません。
「苦痛を たくさん与えれば、かの者も 愛に生きる道から 外れてしまうのでは?」
「財産と家族と健康を奪っても、天の神への信頼が 彼の心に残るでしょうか?」
「彼が、どんな目に遭っても、
天の神(大自然)を敬い 畏れる心を失わず、愛に生きる姿に戻れたときは、
天の神の誇るものを認めますので、
試してもよろしいですか?」
そう言う 堕天使に、天の神は、
「試してみよ」と おっしゃいました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
天の神の許しを得て、
堕天使は【余武】の家族の命や 財産を奪い、
【余武】の身には、その姿を見た者の 心を挫くほどの むごい病を与えました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【余武】は、義侠心に厚く、醜い振る舞いとは無縁な男で、
神の心に沿って生きようと、心の耳を澄まし「聞こうとする人」でしたが、
突然の 降って湧いた不幸に 動転してしまい、
天の神を「問いつめる者」に なってしまいました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
見舞いに来た 友人たち【袁:えん】、【段:だん】、【蔡:さい】の心は、
善意でいっぱいでしたが、
面変わりして、呪詛の言葉を吐く 【余武】の姿を目にしたとき、
まず、年嵩(としかさ)の【袁】の心が、挫けました。
誇らしかった友の 変わり果てた姿に、耐えられなくなり、励まそうとします。
「しっかりしろ」
「蒔かない種が、実を結ぶことは ないはずだ」
「お前は一体 どんな過ちを犯したのか?」
「あるいは、お前は 為すべき何を怠ったのか?」
友を慰めようとして訪れた【袁】でしたが、
【余武】の気持ちを 思い遣る心は、どこかに飛んでしまいました。
謙虚さも忘れ、愛の心からも遠い 説諭を語り、しかも それは 矛盾していました。
人の蒔いた植物だけが、この世に育つのですか?
いいえ。
自生する草・木は 数多(あまた)あり、蒔かれずとも生え、 結実します。
【袁】の言葉は 苦しむ【余武】の力には なりませんでした。
【余武】は 反発します。
それは 当然のことでしたが、
その激しさによって、【余武】の心から 素直さと明るさが消えてしまいました。
堕天使は、勝利に近づいた と思いました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
知恵者であるはずの【段】は、【袁】と同じ轍を 踏んでしまいます。
【段】は 天の神を信じながら、「義人の受難」を 知らなかったので、
友の理解者に なれず、友を叱ります。
「お前の言葉は、乱暴で くどい」
「罪を認め、悔い改めろ」
励まそうとして訪れた【段】でしたが、
「ありもしない罪を認め、反省せよ」と 助言するのは、
奴隷になれ と 言うに等しい愚かなことで、堕天使を よろこばせました。
親しかった友人たちから、見当違いの言葉で 責められて、
病める【余武】は、いよいよ荒れ狂ってしまいます。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【蔡】は、天の神を かたく信じる人でしたが、
「義人の苦しみ」については 【段】と同じく 知らなかったので、
苦難 =天罰 と 思い込みます。
乱暴な言葉を 吐き続ける【余武】が、善人に見えなくなってきました。
自分の大切な神が、【余武】に 侮辱されているように 思えてきたのです。
思い遣りを 忘れた【蔡】は、とりなしの祈りもせず【余武】に言います。
「身の程を知れ、全知全能の神に逆らうな」
「神には ただ、信じて 従えばいいのだ」
それは 偶像崇拝のような 愚かな考え方です。
堕天使は、うれしくて たまりません。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【余武】と 友人たちの会話は、水掛け論に なってしまいました。
そこに【英】という人物が現われ、
自分の正しさを言い募る【余武】と、それを 止められない友人たちを 一喝します。
「天罰(因果応報)以外の苦難もある」
「天が警鐘として与える苦しみもある」
「鍛え上げようとして、天が与える苦難もある」
【英】の 言葉に、矛盾はありません。
【英】の 動機(義憤)も、もっともでした。
【英】を『教師の理想』だと、言う方が いるようです。
けれど 【英】の心に、
【余武】を いたわり、ねぎらう気持ちは あったでしょうか?
静かに病者に 寄り添い、
その心を あたためたいとか 支えたいと願う心が、【英】に あったなら、
天の神の 誇りに思う者は、地上に2人となったのですが、
そうは なりませんでした。
【英】は【余武】を見下し、愛の心が欠けていたので、正論は語れても、
【余武】の 心の嵐を 止めることは できませんでした。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
【余武】の心身は、
天の神との 対面を果たすことによって、回復しました。
堕天使の目論見は、
完全に失敗しました。
気づかぬうちに 堕天使に加担し、天の神に 呆れられた 3人の友は、
【余武】の祈りで 救われました。
歴史の先生
先日、久々に 中近東文化センターを見学したので、
そのことを書きたかったけど、先日 薨去(こうきょ)された
(その施設を作った)
三笠宮 崇仁(たかひと)親王殿下に 感謝を込めて、今日は書く。
私は昔、どちらかといえば 皇室の人たちに好意が持てなかった。
国民の税金で、贅沢で安全な暮らしをしているらしいのが、
憲法に反してて、ずるい感じがすると、単純に思ってた。
皇子さまの伴侶になる人の口から、
『殿下の幸福に貢献したい』みたいな言葉が発せられるのを聞いたときなど、
この世の終わりのように暗澹たる気持ちになった。
祈りの王の妃、国母となられる方に、
公共の場で、何てことを言わせるんじゃ!
側近は寝てるのか?
教育係はおらんのか?
危機管理がなってないぞ!
税金で暮らす一族が、庶民に嫌われたら どう責任とるつもりじゃ!
生涯 外国旅行とか、晩餐会とか、そんなものに縁がなく、
テレビでスポーツ観戦する余裕もない、
そんな納税者から、夢を奪ってどうするんじゃ!
でも、あるとき、昭和天皇の弟殿下が ラジオに出演した。
大人として尊敬できる皇位継承者がいると分かって、私はうれしくなった。
CDにもなってる
3回の放送の中で、特に印象に残ったのは、
関東大震災後の混乱の中でおきた、虐殺に対する反省。
人種差別への反省。
同じ間違いを繰り返しては、歴史を学んだ意味がない。
歴史の軽視が、沖縄の犠牲にも繋がっている気がする。
基地問題についての動画
沖縄タイムス 10月21日の記事
沖縄タイムス 作家へのインタビュー
人種差別に関するインタビュー1
人種差別に関するインタビュー2
人種差別に関するインタビュー3
人種差別に関するインタビュー4
人種差別に関するインタビュー5
人種差別に関するインタビュー6
人種差別に関するインタビュー7
人種差別に関するインタビュー8
そのことを書きたかったけど、先日 薨去(こうきょ)された
(その施設を作った)
三笠宮 崇仁(たかひと)親王殿下に 感謝を込めて、今日は書く。
私は昔、どちらかといえば 皇室の人たちに好意が持てなかった。
国民の税金で、贅沢で安全な暮らしをしているらしいのが、
憲法に反してて、ずるい感じがすると、単純に思ってた。
皇子さまの伴侶になる人の口から、
『殿下の幸福に貢献したい』みたいな言葉が発せられるのを聞いたときなど、
この世の終わりのように暗澹たる気持ちになった。
祈りの王の妃、国母となられる方に、
公共の場で、何てことを言わせるんじゃ!
側近は寝てるのか?
教育係はおらんのか?
危機管理がなってないぞ!
税金で暮らす一族が、庶民に嫌われたら どう責任とるつもりじゃ!
生涯 外国旅行とか、晩餐会とか、そんなものに縁がなく、
テレビでスポーツ観戦する余裕もない、
そんな納税者から、夢を奪ってどうするんじゃ!
でも、あるとき、昭和天皇の弟殿下が ラジオに出演した。
大人として尊敬できる皇位継承者がいると分かって、私はうれしくなった。
CDにもなってる
3回の放送の中で、特に印象に残ったのは、
関東大震災後の混乱の中でおきた、虐殺に対する反省。
人種差別への反省。
同じ間違いを繰り返しては、歴史を学んだ意味がない。
歴史の軽視が、沖縄の犠牲にも繋がっている気がする。
基地問題についての動画
沖縄タイムス 10月21日の記事
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人種差別に関するインタビュー1
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