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2011-01-28(Fri)

出来てるつもりの 油断が怖い

池谷直士さんのブログの 先日の記事に曰く、

「自然界を見ると、あらゆる生命同士が お互いを 活かし合って 生存している」
損だ得だ、裏切る だます、勝った負けたなどと、騒いでいないと。
お互いを 活かし合って 生きる姿こそ、よしと。

ついていけない…と 思われる方も、
自分の身の内にある 陰の部分…

たとえば、こんな気持ちを 噴き出す心が ないか?
『公共の利益に反しても、思い通りにしたい』とか、
『目の上のたんこぶ、鬱陶しい人を、排除( delete )したい』とか、
『誰かを 苦しめたり、傷つけてでも、願望を叶えたい』とか、
『何かに執着する』とか、
『誰かの幸せを ねたみ、それを、横取りしたくなる』とか

…を見つめる努力は、日々 していただきたく思います汗 と。

それを してないと、
変なものが入り込んで、知らずに操られ、
最後は 生気を奪われて、
ゴミのように 放り出されることに なってしまう。
早く 気づいて…と。
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2011-01-27(Thu)

自分が仇

◆ 池谷直士さんの ブログによると、
「職業と云うものは、自分を表現するツール」で、
「心の在り方を みなさんに お伝えし、本来の あるべき姿に 立ち返って、幸せを感じて 生きていっていただきたい」思いから、今の お仕事を始められたと。

「身体が 不自由で あるが故に、
人と仲良く、助け合って 生きていくには?
社会から、仲間から、干されずに 生きていくには?」と、いつも 考えていたと。

外に 遊びに 行けない。
家の中に ずっといる以上、自分なりの 楽しみを 見出すしかないと。

毎日、病気と向き合い、死の恐怖や 苦痛と向き合い、疑問と向き合う中で、
哲学書を読んだり、自己啓発本を読んだり、音楽を作ったり、文を書いたりして、…
心を 出来る限り 前向きに、積極的にと、試行錯誤を 続ける内に、
「今の道へ、導かれたのだと思います」
「私は ちょっと その道(幸せに生きる道)に 詳しいだけの 協力者であり、被協力者です」とのこと。

実力者に 縁があろうと、どんな仲間が いようと、
「自分を救う、具体的な行動が できるのは、自分だけだよ」と、言って下さってるのだと思う。

◆ SAS総合研究所の 安部浩之先生の言葉は、
虐待され、かつ、感謝を 強要されながら 育った者の心には、しばしば にがい。

わたし と云う人間は、
人の世の 幸福に、慣れていないからか?
(不安に いたたまれないのか?)
罪悪感に とらわれているせいか?

不快なことは、嫌なのに、
幸福からも、遠ざかろう 遠ざかろうと するみたいだ。(無意識に?)

SAS総合研究所の サイトを開くことは、私にとって、
楽しみであり、大きな慰めでも あるけど、
生傷だらけの身を、海水で洗うような 痛みを伴う。

その痛みは、
ことあるごとに、自分を 裁こうとする私が、
まだ 完全には、自分を あきらめてない、「印」のような 気がする。

「理論・理屈が 人を動かすのでは ありません」
「素直・誠実・思いやり」と云った「心」こそが、人の心を 動かすと 書かれている。

その事実は、ひとさまに 見せて戴いた。
だけど 自分の心は、ヒビ割れて、カビだらけになって 死んだかのよう。
見えないし、感触さえ あやふやで、よく分からない。
疲れてることだけは 分かるけど、
何故か 自分に、休息さえも、満足に 与えられない。

『自分を 勘定に入れずに 生きることが、素晴らしい』と、言った人も いたけど、
そう云う人は、知らないのでは?

自分てものを、本当に 頭数に入れないで、長い時間、ひとりで 暮らしてたら、
心が、あらゆる闇を 引き受ける、ブラックホールみたいに なっちゃうことを。

『何でも 自分で やらなきゃ』と、ずっと 思ってたのに。
今、まともに できることと云えば?
靴を揃えること くらい?

今日は、…
職業訓練校の、金属片(天井の塗装)が 剥げ落ち 降り注ぐ 机の上に、
雑巾がわりに『使った塵紙』を、放置したまま 帰宅した。
捨てようと思いながら、椅子から立ち上がったのに、…
めまいがしてた。鞄(テキスト入り)は重く、疲れてもいたけど、…
恥ずかしいやら、情けないやら。

PHSから ブログ更新できなくなったのは、
「目玉を休めろ」と云う、天の配剤か。
(今は、借りたパソコンから 書いている。既に 2時間半が経過)

2011-01-26(Wed)

カッコ悪ッ

セルフ サービスの ガソリン スタンドから 出て行った、
マナーの悪い 自動車の群れに、
今日の私の 怒りが、おさまらない。

ガソリン スタンドと、車道の間には、歩道(歩行者優先の道)が あった。
歩行者が いたら、自動車は、待つのが ルール。

(車は 急に 止まれない)

信号のない 横断歩道を、歩行者が 渡ろうとしてたら、
自動車は、止まるのが 原則だけど、…

自分の前後にも 車が走ってて、流れに乗ってたら、止まれない。
(車間距離が不充分なのに、急に減速して 止まろうとすれば、追突事故を招く)

申し訳ないことに、車が途切れるまで、
歩行者(交通弱者)に、待ってもらわなきゃ しょうがない。

自動車は、歩行者に、その【借り】を、…
どこかで 返さないと、恥ずかしい。

一時停止の 義務がある場所で、徐行しているときに、
気持ちよく 止まり、歩行者に 道を譲らないで、…
いつ、【借り】を、返すつもりだろう?
 
 
 
 
 

2011-01-24(Mon)

借りた端末から打つ日記(1時間 5百円也)

存在を 否定するようなことを(死んだ方がいいとか:救いようがないとか:ろくでもない奴などと)言われても、

罵詈雑言を浴びても(口で言っても分からない 牛馬なみのバカだから 殴らなきゃしょうがないとか:何の取り柄もないとか:苦しみ足りないから 傲慢なのだろうとか:このような、謙虚さや 素直さのない者に かかずらわっていたら、救える見込みのある人が 救えない、などと言われても)

その言語を、理解できず、
自分に 後ろめたいことが なければ、…聞き流すだけ。

悪意に満ちた 言葉でも、私が 同意しなければ、
私の心に 刺さることはない。

耳や目から 取り込んだ言葉を、
脳で 解読して、

「これは 相手の八つ当たり」
「負の情念に 振りまわされた人の 言葉だから、割り引いて考えよう」
「この人の 窮状は、私の性格や 言動が原因? 本当に?」
「確かに 私の失策だ。改めよう」
…などと、冷静に 対処して、

後は、なすべきことに 専念すれば、
傷つく必要も、自信をなくす必要もない。

人の 言葉には(本来)、私を 傷つける力は ない。

見た私、聞いた私が、唯唯諾諾(いい だくだく)と、それに合意したときだけ、
誰かの 暗い言葉が、私の心に 入り込み、
ぐさぐさと、突き刺さる。

たとえ 幼くて、
判断力が 足りなかったにせよ、
未熟だった親の、腹立ちまぎれの(暴力でしかない)言葉を 信じ込み、
自分を がんじ がらめにしたのは、この私。…
(誰も、責められない)

2011-01-22(Sat)

フォトジェニック

葉っぱビジネスで 高齢者が 活躍している 四国の会社と、
内閣府が 組んで行っている、
「地域密着型インターンシップ研修」の 説明会にて、

四万十(しまんと)川の写真と、
会津の 宿の写真と、
伊賀の、美しい「小牛」や「山羊」、
「葉っぱを手にして、光り輝いている婦人」の 写真を見た。

株式会社「いろどり」の代表で、葉っぱビジネスを 始めた、
横石知二さんの本、
「生涯現役社会のつくり方」を、戴いて帰宅して、1週間。

体力に 不安がなければ、
30日間の、仕事体験に、飛びつきたかった。

◆ PHSから、ブログ更新できない日が、20日も続いてる。
この程度のことで、くじけそうって、どーゆーこと?
(もともと、自分の幸せに、抵抗があって、勇気が くじけ易かったから)

…子どもの頃、私が楽しんでいると、ゴジラか 大魔人のような親に、楽しみを 踏み潰されるのが、ほぼ お決まりだった。
…楽しみを 他者に潰されるなら、それより早く、自分で消したくなる、これが虐待の後遺症、自分でかけた呪いだ。

安易に、体に刺さった凶器(くさび)を抜くと、出血多量で 死ぬこともあるとか。

心の傷も、直接 消そうとするのは、
自分の過去(選択)を、否定することだから、危険なのだろう。