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2015-02-28(Sat)

実感した面従腹背

半分あきらめて生きる


『週1日の日勤だけでも出てくれたら、助かる』
上司に そう言われ、
2ヵ月の期限つきで、警備会社に残った。

本当に、あの現場に残って、
『週1の日勤で済む』訳がない。

…そんなことは、頭では分かっていた。

他部隊から応援者(複数)が来ることになったが、
絶対的に人数が足りない。
特に夜勤者が。

だから、身体が壊れかけてたのに、
頭のネジも焼き切れかかっているのに、
「週1の夜勤と、週2の日勤」を申し出た。

週3日だけ?
『楽ですね』と思うかもしれないが、…

16時間拘束される夜勤は、実質2日の勤務に等しく、
他所(コールセンター)でも私は、週2日働いている。
まともな睡眠がとれる環境にもなかった。

ほとんど自殺行為。
役に立てるギリギリのところで、申告したのだが。

週1回の夜勤で済んだのは、1月中旬だけ。
笑っていたけど、疲れ果てた。

どこかで、死ねればいいと思っていたのかもしれない。
この世で休めないなら、
限界を超えれば、あの世にわたれるのじゃないか?
この世にいるから、休めないのじゃないか?

親に殺されそうになった 子どものとき、
抵抗したのが間違っていたのじゃないか?
こんなにキツイのは、そのせいか?
そんなことを考えた。

上司は、物凄い無茶なシフトで動いてた。
『俺の方が、連勤できつい』
と言われれば、もう何も言えない。

けど、
(部下を充分に休ませないで、完璧を求めていれば、何かが起きる)

(他部隊で、若い隊員が急死した)
(なぜ、秘密になった?)

(うちの部隊とくらべられ『まだましな勤務だ』と、決めつけられていたそうだ)
(気の毒なことだ、代わってやりたい)
(うらやましい)
(彼はもう、解放された。むなしい徒労から)

2月中旬、後輩と2人で、夜勤明け、
脳が殆ど仮死状態で、
始末書もののミスを起こしてしまった。

上司に、
『俺がこんなミスを起こしたことがあるか?』
『1度もない!』
と言われたときには、

(そりゃそうだろう)
(あなたは 殆ど中央統制室にいて、細かい検品作業など、滅多になさらないのだから)
(部下の報告書を、チェックするだけの立場では、ミスのしようがないわね)
と、思う私がいた。

そのミスのおかげで、私の評価は地に落ち、用無しになったらしい。
これでもう、引き留められずに済む。
3月中旬には、解放される。



※※※※※  以下は、いたく感動した、内田 樹さんの ブロブの引用  ※※※※※

【「半分あきらめて生きる」という不思議なお題を頂いた。】
【「あるがままの自己を肯定し、受け入れるためには、上手にあきらめることも必要なのでは。閉塞感漂う現代社会で どう生きていけばいいのか」という寄稿依頼の趣旨が付されていた。】

【『児童心理』という媒体からのご依頼であるから、不適切な(過大な)自己評価をしている子供たちの自己評価を 下方修正させることの効用と、そのための実践的な手順についての お訊ねなのであろうと思った。】

【なぜ私に そのような原稿発注があったかというと、ずいぶん前に 学校教育について論じた中で、】
【「教師のたいせつな仕事のひとつは 子供たちの過大な自己評価を 適正なレベルにまで下方修正することにある」と書いたことがあるからである。】

【これはたしかにほんとうの話で、「宇宙飛行士になる」とか「アイドルになる」とか「サッカー選手になる」とかいうことを「将来の夢」として 小学生が卒業文集に書く分には可憐だが、二十歳過ぎて仕事もしないで家でごろごろしている人間が語ると 少しもかわいげがない。】

【そういう人はどこかで「進路修正」のタイミングを失したのである。】
【むろん、そういう人の中にも10万人にひとりくらいの割合で、それからほんとうにNASAに就職したり、グラミー賞を受賞したり、セリエAにスカウトされたりする人も出てくることがあるので、あまり断定的には言えないが、】

【そういう「起死回生の逆転劇」を演じられるような大ぶりな若者は 年寄りの説教など端から耳を貸さないので、】
【こちらが がみがみ言ったくらいで「大輪と咲くはずだった才能が 開花せずに終わった」というような悲劇は起きないから、いささかも懸念するには及ばないのである。】
【というようなことを 書いたかに記憶している。その意見は 今も変わらない。】

【才能というのは まわりの人間が その開花を妨害しようとすればつぶせるような やわなものではない。】
【むしろ「自分をつぶしにかかっている」という現実そのものを滋養にして 開花するのである。】
【説教くさい一般論で すぐにつぶれてしまうような才能は「才能」とは呼ばれない。】

【真にイノベーティブな才能は、その人の出現によって、】
【それまで「旧いシステム」に寄食していた何千人か何万人かの面目を丸つぶれにしたり、失業に追いやってしまうものなのであるから、】
【その出現が「既得権益者」によって 妨害されて当然なのである。】
【万人が その出現を 諸手を挙げて歓迎する才能などというものは この世に存在しない。】

【かつて 白川静は 孔子を評してこう書いたことがある。
【「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語は すべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早くに孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せた この偉大な哲人を生み出したのであろう。
思想は富貴の身分から生まれるものではない」(白川静、『孔子伝』、中公文庫、2003年、26頁)】

【思想は富貴の身分から生まれるものではないというのは 白川静が実存を賭けて書いた一行である。】
【「富貴の身分」というのはこの世の中の仕組みに スマート適応して、しかるべき権力や財貨や威信や人望を得て、】
【今あるままの世界の中で 愉快に暮らしていける「才能」のことである。】

【「富貴の人」は この世界の仕組みについて 根源的な考察をする必要を感じない(健康な人間が 自分の循環器系や 内分泌系の仕組みに 興味を持たないのと 同じである)。】
【「人間いかに生きるべきか」というような問いを 自分に向けることもない(彼ら自身がすでに成功者であるのに、どこに 自己陶冶のロールモデルを探す必要があるだろう)。】

【富貴の人は根源的になることがない。そのやり方を知らないし、その必要もない。】
【そういう人間から思想が生まれることはないと 白川静は言ったのである。】

【同じようなことを 鈴木大拙も書いていた。『日本的霊性』において、平安時代に宗教はなく、それは鎌倉時代に 人が「大地の霊」に触れたときに始まったという理説を 基礎づける中で 大拙はこう書いている。】
【「享楽主義が 現実に肯定される世界には、宗教はない。万葉時代は、まだ 幼稚な原始性のままだから、宗教は育たぬ。平安時代に入りては、日本人も いくらか考えてよさそうなものであったが、都の文化教育者は あまりに現世的であった。外からの刺激がないから、反省の機会はない。(・・・)
宗教は 現世利益の祈りからは生まれぬ」(鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972年、41-42頁)】

【白川静が「思想」と呼んでいるものと、鈴木大拙が「宗教」と呼んでいるものは、呼び方は違うが 中身は変わらない。】
【世界のありようを根源的にとらえ、人間たちに生き方を指南し、さらに ひとりひとりの生きる力を賦活する、そのような言葉を語りうることである。】
【思想であれ 宗教であれ、あるいは学術であれ 芸術であれ、語るに足るものは「富貴の身分」や「享楽主義」や「現世利益」からは生まれない。二人の老賢人はそう教えている。】

【これが話の前提である。私が問題にしているのは「真の才能」である。】
【なぜ、私が「自己評価の下方修正」についての原稿をまず「真の才能とは何か?」という問いから始めたかというと、】
【「真の才能」を一方の極に措定しておかないと、「才能」についての話は始まらないからである。】

【というのは、私たちがふだん 日常生活の中でうるさく論じ、その成功や失敗について 気に病んでいるのは、はっきり言って「どうでもいい才能」のことだからである。】
【 「富貴」をもたらし、「享楽主義」や「現世利益」とも相性がよいのは「どうでもいい才能」である。】
【それは思想とも 宗教とも関係がない。そんなものは「あっても、なくても、どうでもいい」と私は思う。】

【ところが現代人は、まさにその「あっても、なくても、どうでもいい才能」の多寡をあげつらい、格付けに勤しみ、優劣勝敗巧拙をうるさく言挙げする。】

【今の世の中で「才能」と呼ばれているものは、一言で言ってしまえば「この世界のシステムを熟知し、それを巧みに活用することで 自己利益を増大させる能力」のことである。】
【「才能ある人」たちは この世の中の仕組みを理解し、その知識を利用して、「いい思い」をしている。】

【彼らは、何故この世の中は このような構造になっているのか、どのような予見によって この構造は形づくられ、どのような条件が失われたときに 瓦解するのかといったことには 知的資源を用いない。】
【この世の中の 今の仕組みが崩れるというのは、「富貴の人」にとっては「最も考えたくないこと」だからである。】

【考えたくないことは、考えない。】
【フランス革命の前の王侯たちはそうだったし、ソ連崩壊前の「ノーメンクラトゥーラ」もそうだった。】
【そして、「考えたくないことは考えない」でいるうちに、しばしば「最も考えたくないこと」が起き、】
【それについて 何の備えもしていなかった人たちは 大伽藍の瓦礫とともに、大地の裂け目に呑み込まれて行った。】

【この世のシステムは いずれ崩壊する。これは約束してもいい。】
【いつ、どういうかたちで崩壊するのかは わからない。】
【でも、必ず崩壊する。】
【歴史を振り返る限り、これに例外はない。】
【250年間続いた徳川幕府も崩壊したし、世界の五大国に列した 大日本帝国も崩壊した。】
【戦後日本の政体も いずれ崩壊する。】
【それがいつ、どういうかたちで起きるのかは 予測できないが。】

【私たちが「真の才能」を重んじるのは、】
【それだけが「そういうとき」に備えているからである。】
【「真の才能」だけが「そういうとき」に、】
【どこに踏みとどまればいいのか、何にしがみつけばいいのか、どこに向かって走ればいいのか、それを指示できる。】
【「真の才能」はつねに世界のありようを 根源的なところから とらえる訓練をしてきたからだ。】

【問題は「すべてが崩れる」ことではない。】
【すべてが崩れるように見えるカオス的状況においても、局所的には秩序が残ることである。】
【「真の才能」はそれを感知できる。】

【カオスにおいても 秩序は均質的には崩れない。】
【激しく崩れる部分と、部分的秩序が生き延びる場が 混在するのがカオスなのである。】

【どれほど世の中が崩れても、崩れずに残るものがある。】
【それなしでは 人間が集団的に生きてゆくことができない制度は どんな場合でも残るか、あるいは瓦礫の中から 真っ先に再生する。】

【どれほど悲惨な難民キャンプでも、そこに暮らす人々の争いを鎮めるための司法の場と、】
【傷つき病んだ人を受け容れるための医療の場と、】
【子供たちを成熟に導くための教育の場と、】
【死者を悼み、神の加護と慈悲を祈るための霊的な場だけは残る。】
【そこが人間性の最後の砦だからである。】
【それが失われたらもう人間は 集団的には生きてゆけない。】

【「裁き」と「癒し」と「学び」と「祈り」という根源的な仕事を担うためには 一定数の「おとな」が存在しなければならない。】
【別に成員の全員が「おとな」である必要はない。】
【せめて一割程度の人間が どれほど世の中がめちゃくちゃになっても、】
【この四つの根源的な仕事を担ってくれるならば、】
【システムが瓦解した後でも、カオスの大海に島のように浮かぶその「条理の通る場」を足がかりにして、】
【私たちはまた 新しいシステムを作り上げることができる。私はそんなふうに考えている。】

【自分の将来について考えるときに、】
【「死ぬまで、この社会は今あるような社会のままだろう」ということを不可疑の前提として、このシステムの中で「費用対効果のよい生き方」を探す子供たちと、】
【「いつか、この社会は 予測もつかないようなかたちで 破局を迎えるのではあるまいか」という漠然とした不安に囚われ、その日に備えておかなければならないと考える子供たちがいる。】

【「平時対応」の子供たちと「非常時対応」の子供たちと言い換えてもいい。】
【実は、彼らはそれぞれの「モード」に従って何かを「あきらめている」。】

【「平時対応」を選んだ子供たちは、「もしものとき」に自分が営々として築いてきたもの、地位や名誉や財貨や文化資本が「紙くず」になるリスクを負っている。】
【「非常時対応」の子供たちは、「もしものとき」に備えるために、今のシステムで人々がありがたがっている 諸々の価値の追求を断念している。】

【どのような破局的場面でも揺るがぬような 確かな思想的背骨を求めつつ 同時に「富貴」であることはできないからである。】
【人間は何かを諦めなければならない。これに例外はない。】

【自分が平時向きの人間であるか、非常時向きの人間であるかを 私たちは自己決定することができない。】
【それは生得的な「傾向」として私たちの身体に刻みつけられている。】
【それが言うところの「あるがままの自己」である。】

【だから、「あるがままの自己」を受け入れるということは、】
【「システムが順調に機能しているときは羽振りがよいが、カオスには対応できない」という 無能の様態を選ぶか、】
【「破局的状況で生き延びる力はあるが、システムが順調に機能しているときはぱっとしない」という 無能の様態を選ぶかの 二者択一をなすということである。】
【どちらかを取れば、どちらかを諦めなければならない。】

【以上は一般論である。】
【そして、より現実的な問題は編集者が示唆したとおり、今 私たちがいるのが「閉塞感漂う現代社会」の中だということである。】

【「閉塞感」というのは、システムが すでに順調に機能しなくなり始めていることの 徴候である。】
【制度が、立ち上がったときの鮮度を失い、劣化し、あちこちで崩れ始めているとき、私たちは「閉塞感」を覚える。】

【そこにはもう「生き生きとしたもの」が感じられないからだ。】
【壁の隙間から腐臭が漂い、みずみずしいエネルギーが流れているはずの器官が硬直して、もろもろの制度がすでに可塑性や流動性を失っている。】
【今の日本は そうなっている。】
【それは上から下まで みんな感じている。】
【システムの受益者たちでさえ、このシステムを延命させることに しだいに困難を覚え始めている。】

【一番スマートな人たちは、そろそろ店を畳んで、】
【溜め込んだ個人資産を無傷で持ち出して、「日本ではないところ」に逃げる用意を始めている。】
【シンガポールや香港に 租税回避したり、】
【子供たちを 中学から海外の学校に送り出す趨勢や、】
【日本語より英語ができることを ありがたがる風潮は、その「逃げ支度」のひとつの徴候である。】
【彼らはシステムが瓦解する場には居合わせたくないのである。】

【破局的な事態が訪れたあと、損壊を免れた わずかばかりの資源と 手元に残っただけの道具を使って、】
【瓦礫から「新しい社会」を再建するというような面倒な仕事を 彼らは引き受ける気がない。】

【だから、私たちがこの先頼りにできるのは、】
【今のところあまりスマートには見えないけれど、いずれ「ひどいこと」が起きたときに、】
【どこにも逃げず、ここに踏みとどまって、】
【ささやかだが、それなりに条理の通った、手触りの優しい場、】
【人間が共同的に生きることのできる場所を 手作りしてくれる人々だということになる。私はそう思っている。】
【いずれ そのような 重大な責務を担うことになる子供たちは、たぶん今の学校教育の場ではあまり「ぱっとしない」のだろうと思う。】

【「これを勉強するといいことがある」というタイプの利益誘導にさっぱり反応せず、】
【「グローバル人材育成」戦略にも乗らず、】
【「英語ができる日本人」にもなりたがる様子もなく、】
【遠い眼をして物思いに耽っている。】

【彼らはたしかに 何かを「あきらめている」のだが、】
【それは 地平線の遠くに「どんなことがあっても、あきらめてはいけないもの」を望見しているからである。たぶんそうだと思う。】


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2015-01-16(Fri)

パーフェクト ゲーム

休日は、4週間後。

『週に1日でもいいから、来てもらいたい』
『2ヵ月間で8人も辞職したら、管理官の能力を疑われる』

『退職を延期もしくは撤回してほしい』
『そのかわり、無理はしないでいい』

『日勤だけ、週1日だけでもいい』
『来れる曜日を言ってくれ、希望を尊重する』

上司には、そう言われた。
残れば、厳しい状況になることは、分かってた。

後から『やっぱり夜勤も』とか、
『もう1日増やせないか?』などと、言われたくなかった。

だから、
「週3日出ます。ただし、夜勤は週1日だけにして下さい」と言ったのだ。

ずっとノドが腫れてるし、
ろくに眠れず、フラフラしてるし、
ダブル ワークで、ここ半年くらい、2日以上の連続する休みがとれていない。
これ以上の無理は効かない。

「死んだら楽だろうな」
いつまでも、そんな気持ちでいたくない。

そんな気持ちに拍車かけることは、したくない。
自分を追い込むような、プレッシャーをかけることは、したくない。

7人が辞めて、がらんとした勤務表。
他の部隊(遠方)から、助っ人が(4人)来ることになったが、
もともとが人員不足で、追いつかない。
婦人隊のトップが、頭を抱えていた。

だから、
「来週だけ、週2日、夜勤やりましょうか?」と申し出た。

婦人隊の1番偉い人は、その笑顔が、
私が昔、二世を誓った(?)人(男)に、そっくりだった。

もう、20年も前に別れた、
宗教の壁を越えられなかった、いとしの君。
君の笑顔のまぼろし。

結局、
来週から3週間、また私は、夜勤中心になった。

今月の休暇は12日(月)だけ。
次の休暇は、2月9日。

まぼろしの笑顔に操られ、
無理に無理を重ねる。

愚かしいと思う。
でも、あの人の笑顔に会えれば、うれしい。
(うまくできてんな~人生双六)

年賀状(の返事)はまだ、2枚しか出せていない。
年賀はがきは、11月に買ったのだが。

2015-01-04(Sun)

悪いことが したかった!

先週の前半は、警備の夜勤3連続。
その後、休日なしで日勤の警備が2日続き(1月1日の木曜日~金曜日)、
1月2日(金曜日)の夜の コールセンターの仕事は、休ませてもらった。

金曜日~土曜日の夜は、何故 休めなかったのだろう?
年末に買って、触れないままだった タブレット(このブログを更新できる機器!)に、
やっと触れたからか?

タブレットを買ったのは、12月30日で、
個人情報に関する同意書(4枚)の説明を、店員さんから聞きながら、
半分眠っていた。
(夜勤明けで、眠かった。夜勤中は、1日2~3時間弱の睡眠)
(先輩方は、仮眠時間の前に布団を敷き、宿泊用の私物のX線検査を終え、4時間は眠るそうだ)
(私は疲れ切っていて、そう云う用意周到なことが出来ぬまま、半年を過ごした)

12月30日には、Kさんと、Rさんと、Y先生に手紙を出した。
もっと早く、12月20日くらいに、落ち着いて書きたかったけど、
結局は 郵便局のテーブルで、大荷物を抱えながらの殴り書き。……

シータさん夫妻にも手紙を送りたかったのに、時間が足りなかった。
でも、お2人のことは、日々祈っている。

私が かろうじて人のかたちを保っているのは、
シータさんのような方が、心にいるからだ。

12月31日(おおみそか)の夜は、
1月2日(金)に休みをもらうために、コールセンターへ出勤。

23時までの契約なのだけど、
夜勤の人が無事に全員揃い、電話機が鳴る数も少なかったので、
30分以上 早めに帰って良いと言われた。

嬉々として駐輪場にいくと、
風もないのに、自転車が倒れていた。
大荷物を抱えながら、倒れている自転車(数台)を起こすのは、
時間がかかるし、手間もかかる。

(倒してそのまま帰って行った人は、急いでいたのか?)
(起こしていたら、終電に間に合わなかったとか?)

将棋倒しになっていた軽車両を立たせて、帰宅の途に着いたはずが、
自転車が「ガラン ガラン」鳴り出した。

その日、たまたま整備してもらった ホームセンターに 相談してみた。
『後輪のカバーが変形してますね』とのこと。

部品交換できる時間はとっくに過ぎていたので、
カバーが 後輪に当たらないように、
自分の手で、カバーをいじったら、
カバーに ヒビが入ってしまった。
(近々 交換せねば ならんな?)
(半月はもつかな?)

ハイテンションになってしまい、コンビ二でおでんを買い、クジを引いた。
クジは、すでに1等(A賞 初音ミクのフィギュア)が出てしまっていて、
他店では、とっくに終了している 秋のイベントの、売れ残り(有料)だったが、
(可愛い、欲しい)と思った、初音ミクの 顔型のトレイが、ちょうど当たった。

疲れているのに、ほとんど布団で休めていない。
布団を敷くことが、大仕事になってしまっている。

1月1日~2日は、警備の日勤で、
1月3日は、コールセンターの仕事(22時まで)。
そして今日(1月4日)は、連続夜勤の初日だ。

去年は 死にたい気持ちが極まって、ほとんどヤケクソだった。
遺書代わりに書いてみた、宝くじの共同購入を呼びかけるチラシを配ったりした。

共同購入と云っても、100円のを10枚買うのがやっとだ。
そんな、やせ我慢の上の戯れ言に乗ってくれたYさんとRさんは、
命の恩人だ。

わるいことがしたかった。

『自分には 不幸しか許されない』みたいな洗脳が解けなくて、
その洗脳を、強化するような専門家との出会いが、
去年も多くて、辛かった。

憂さを晴らしたかった。
わるいことがしたかった。

わたしがする 悪いことと云ったら、
自傷とか、ヤケ食いとか、……
何にしても、自分を害することが関の山。
後始末が めんどくさいばかり。

もし、私が 自分でないなら、
好きなことを自由にできる そんなしあわせが許されるなら?

手仕事がしたい。
料理がしたい。
唄いたい。
踊りたい。
絵を描きたい。

2015-01-02(Fri)

おおみそか の はくせきれい

警備の夜勤明け 
駐輪場で、セキレイの声に 振り返った。

ビルの建設予定地に その鳥は居て、
こちらを観察(?)しつつ、ちょこまかと動きまわっていた。

白と黒の配色が美しいその鳥は、
コールセンターから むなしく帰る朝(3年前?)や、
墓参の帰り道(昨年1月、土佐の川辺)にもいて、
私を鼓舞してくれた。

思い過ごしかもしれないけど、
その鳥は、あの日、私のために そこにいて、
私をなぐさめ、励まして、素早く飛び去って行った ようにみえた。

馬車うまか、奴隷か?
そう自問自答することが、去年は 多かった。

布団を敷く気力もなくて、
すわって しばし うたた寝しただけで、
疲れが取れぬまま、
まともな睡眠がとれないまま、
仕事に出ていき、かけずりまわる自分がおかしかった。

自殺防止サイトで、あざわらわれて出ていけと言われたときに、
意地になって、

「パソコンがないから、小容量のPHSしか持ってないから、
 自分のブログなんて出来ない。だから、ここにいるのだ」と、
「パソコンが手に入ったら、出て行ってやらあ」
「そうじゃなくても、リアルで、主治医(心の)か 相棒が見つかれば、出ていく」

そんなこと書いてた記憶がある。
あれから、6年? 7年? 

あいかわらず 私には、
パソコンも、相棒も、精神の綻びを診てくれる主治医もない。

できることは、遣りつくした、と思うのに。
ボロボロで スカスカの、ダシガラみたいになるほど 動いたにもかかわらず。

人らしい楽しみ、落ち着きとは、ほど遠い、
生活とは呼べないような、

棲息と云うか、
あの世のふちを たどるような時が、1年以上 続いたろうか?

うたどころじゃない。
でも、
うたくらいしか 楽しみがない。

インドの古語 で うたう(つぶやく)般若心経くらいしか、うたえない 私のかわりに、
セキレイ、ヒヨドリ、オナガ、シジュウカラが、
生きてるよろこびを うたってくれてた。

アイドルを紹介する 年末のラジオを、
苛々して消した自分のことを、
心が狭いと、情けなく思ったりもしたが、
 
貧しくて ひもじくて 寒くて 眠くて、
孤独で 身なりをかまう余裕もない人間が、

浮世離れしたアイドルに 耳を貸す時間を惜しむのは、
当然でしょ?

今年も、虫や鳥に心を寄せて、
日に3回くらい笑えれば それでいい。

2014-12-31(Wed)

なんで? どうして?

退職まであと半月くらい、
…という、心が軽くなっていたところで、引き留められた。

10月28日、健康診断の日に 辞表も用意されており、
辞めることは、「スパッ」と決定したはずなのに 何故?

ボスと、婦人隊の役職者(ナンバー2)、
2人の信頼関係が 瓦解したこと、

優秀な新人(私の後輩にあたる)の多くが、体調不良などで去っていき、
人手不足に拍車がかかり、……

本来なら「スパッ」と手放せたであろう ポンコツ社員(非正社員=私)でも、
いたほうがマシ な事態になったからだ。

今月は、30日間休みがなかった。(倒れて2回休んだ)
警備がない日も、コールセンターの夜の仕事がある。

夜6時まで警備で、7時からコールセンターの日もあった。
さすがにそれは無理と判断、コールセンターは休ませてもらった。

週末コールセンターに行っていることは、
警備のシフト管理者には、入社した時から言ってある。 
だから、その2日は仕事を入れられたくなかった。

でも、人員不足だから、
体が弱っているのに3連続~5連続夜勤もあって、刺激的な日々だった。

コールセンターに行く日が、
夜勤明け(午前9時半くらいまで、前日の5時半から拘束される)になってしまうのは、痛いけど、まだマシだ。

その日に 警備の日勤が入ると、
夕飯どころか、一服のお茶を飲む余裕もなく、

警備の現場から、コールセンターに移動して、
23時まで働かないといけなかった。

雨の日は、怖かった。
もう暗くなっている夜道を、自転車で急ぐのだから。

自分は、何をやってるのか? と思った。
疲れ果てて、髪も洗えなかった。
(週2~3日、美容師さんにお願いに行った)

今日は、美容師さんが休みだから、
這いつくばるようにして 自分で洗髪した。
自分で洗ったのは、3ヵ月ぶりくらい?

ただもう、生きているだけな感じ。
 ひたすら眠く、向上心など ありゃしない。

当たり前だ。
1~3時間以下の睡眠で、
何日も連続して「苦手な仕事」に従事し、
無理に笑っていたのだから!

搾取している奴が、どこかにいる気がしたよ。
政治家(国会議員)先生なんて、
こんなにキツイ目に遭っている 私の年収より、遥かに多いボーナスをもらうとか。
その原資は、税金だよね?

税金払ってる人間より、
税金で喰ってる人間の方が、遥かに裕福って、
なんでですか? 
政治家は優秀で、こちとら愚民だから?

自国の民の多くが、
奴隷か馬車馬みたいに 苦しんでいるという事実。
 
税金で禄を食んでる人、
真にリーダーとしての覚悟や矜持がある人が、
無関心に放置していられますか?

実家が金持ちだからって、
隣国に誘拐されて、何十年も 家に帰れない人や 家族が泣いているときに、

健康アピールのためか知らないが、
金のかかる趣味(ゴルフ)に、無邪気に打ち興ずることができますか?

私の現場の 役職者間の人間関係が壊れたのも、
人手不足からくる、職場環境(睡眠が足らな過ぎる)が原因なのだ。

見た目は きれいな施設だし、
働いている方(お客さん)の多くは、エリート(高給取り)らしい。

だから、本来の仕事は、
危険も そう多くはなく、警備の現場としては キツク ない筈なのだ。
(薄給でもいい。楽な仕事を楽しみたい。
 …という人が、集まって来るかもしれない)

でも今は『薄給な上に、ろくに眠れない』
そんなところ、誰が来たい?
……介護の現場まで そんなふうにしてはいけない。

こんなことを言う人間が、いなくて済みますように。
心から笑って(私でも)働ける、そういう国でありますように。