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2011-05-13(Fri)

野いちごの候

見知らぬ青年「ろうぞ」
私「大丈夫です」
見知らぬ青年「すぐ次で降りますから」
私「ありがとうございます」

障碍者らしき青年が、列車内で 席を譲ってくださった。
私は、妊婦ではなく、重度の身体障碍者でも、高齢者でも、重傷者でも、重病人でもない。
ただ 疲れきっていた。

重い鞄を、網棚に載せる 力もなく、
(傘だけでも、手すりに掛けられて よかった)と 思い、
上着と 鞄を抱え、進行方向を向き、右肩を ドアに預けていた。

電車を降りた後に 出くわした青年たちは、
通路で 円陣を組み、立ち話に 花を咲かせていた。

五体満足と おぼしき彼等は、
通行人(私)が 近づいても、
人の顔を 見やるだけで、一歩も 退かなかった。

口を開く気力も なかった 通行人は、そこを 通り抜けるために、
カニ歩き(横歩き)せねば ならなかった。

『スクールに通って良かった』
『コンピュータのこと、分かってきました』
のぼせた若人(わこうど)の会話が、くたびれた通行人の 耳に届いたとき、
通行人の 心に湧いて出たのは、憤怒と侮蔑だった。
あの瞬間、私の心は 真っ黒だった。

余裕ありげな 人間たちが、
くたびれ果てた 人の道を阻み、
くたびれた その顔に目をやった。

その通行人が、美形でなく、
利害関係者でも なかったので、…
ふんぞり反ったまま、
内輪話に 夢中になっていた。

その 悪意なき 振る舞いが、弱った人間の心を、
(一瞬にせよ)悪鬼に変えた。

神(大いなる自然?)の心に まつらおう、
強い身体と 清い心を持ち、
自他を 害するのではなく、活かさんと 請い願う 通行人の心を、
悪鬼に変えるほど、
感性の退化(鈍磨)した 青年たちの魂よ、
何処へ 行くつもりか。…

(そんな 烏合の衆に こだわる)獣の心を もつ私に、
席を譲ってくれた青年は、
ドアに向かって 立っていたが、
1度だけ 振り返り、私を見た。

私が 微笑んで会釈したら、会釈を返してくれた。
その様子が、いたわりに満ちていた。

私などが 席を譲った日には、譲った相手に 気を遣わせまいとして、
別の車両へ 移動する。
譲った席を、振り返ったりしない。

けれど、純粋な愛に基づいて 生きている人は、
「あの人、大丈夫かしら?」と云う 思いだけに従い、
譲った席を 振り返るのだと、教えてもらった。
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2011-05-08(Sun)

エルム + オーク + …

明日から パートタイマーとして、オペレーター(ある 保守関係業務の電話受信)を 務めることになっているのに、のどが痛い。

(>_<) 就労支援相談員が 『風邪をひくのは、気がゆるんでるから』などと言ってたけど、それは 私には あてはまらない。
極度の緊張により、免疫機能が低下して、のど風邪ひいた感じ。
(免疫学に 詳しい訳でもないのに、私も 適当なことを 言っている)

情けない。…
時給850円(固定)であるから、めいっぱい フルタイムで働かないと、日干しになってしまう。
住宅手当が ある間に、多少なりとも 貯金しないと、…眼科(斜位)の 定期検診にも行けない。
体力も 向上させないと、歯車としての パートタイマーでない(それだけで 生活して行ける)仕事も、探せない。
…もの凄い プレッシャーなのですよ。

4月末に、バッチ レメディー(エルム、オーク、パイン、クラブアップル、オリーブ、ホリー、レスキュー)を、アドバイザーに選んでもらって 飲み始めた。
5月8日から、当座、立派な歯車に なりたいから。
…それを 嘲笑うかのように、のどが痛い。

住宅手当受給者は、月2回(平日)、就労支援相談員の 面接を受ける 義務がある。
今週、それがある。

『毎月20枚、履歴書 送っても、半年で 就職できない人がいた』とか、
『住宅手当の半年なんて あっと言う間。ほとんどの人は、その間に 就職できない』とか、
ネガティブな情報は、もう聞きたくない。

就労支援相談員と 云っても、
履歴書・職務経歴書ノイローゼで 参っているよーな人間を、命がけで サポートしようなんて 思っちゃいない。
その役職の意義を、深く識らない人が 担当なのだ。

30分間の 報告と雑談に、全力を尽くせば良いとしか、多分、認識してないから、
相手(困窮者)に 共感は出来ても、…
他者の中に 眠っている、歓喜の種に 必要な水(に 相当する言葉:言霊)を、与えられないのだろう。
他者からの 吉報がなければ、延々と ネガティブ・スパイラルを なぞるのでは?
だから『相談員である自分にも、責任があったと思う』と言いながら、…
そう言い訳すれば、責任を免れると思っているのでは?

カウンセラーを 志す人よ、
悩める者を 腐らせるな。
ひと生かす言葉を、選びたまえ。

2011-05-05(Thu)

写真の力

『まいさんへ

何年か前、DV男と離婚した子連れの超重量級の人が、お洒落と気配りでモテ女になり、再婚して恋愛カウンセラーになってメルマガ出してた。
彼女にメールしたの。凄く苦しくて“助けて”って。
忙しかったとは思う。返事が来たのは1月後でした。“個人カウンセリングにきて下さい”って。
何万もする個人カウンセリングなんか行けない!
ホントにデキル恋愛カウンセラーなら、灰かぶり娘から、大金の前金とらないでいいでしょ?玉の輿に乗せてから?回収したらいいじゃん?いつもごちそう食べてんだから。
彼女メルマガに連日、美食の話を書いてた。

悔しくて泣けた。能力誇ってても、貧乏人は相手にしないのね!ホントに不幸な人間を飯のタネには、ましてや美食のタネにはできないもんね!

腕、振ってますよー300回×2/day!
朝昼晩2000回でガンが消えたんなら、過食も治るかもしれないよね!?

前にもらった新庄とパンダちゃんの写真、枕元に置きました。
(*^^*)はぐれパンダでも、かっこいい人から真剣に優しくされたら、明るく元気になれたんだよね。
美食マニアの超重量級でも、ラブ注入してくれるヒトをゲットしたら恋愛カウンセラー』


***様

そうですね、重量級でも、…
お洒落で 見た目が優しく、話し方も やわらかく、
美味しい空気を 醸し出してくれる人なら、需要は あるでしょうね。

***さんの長所、…
(悔しいと 激怒しながらも)

> 忙しかったとは思う
…とか、

> ホントに不幸な人間を飯のタネには、ましてや美食のタネにはできないもんね
…と、発想できるところ。

その分、感情を抑えて、苦しかったかもしれませんが、…
人の陰気(恐怖、怒り、不安、嫉妬などの感情)を、エネルギー源にする(見えない)存在がいて、
人間を 操っている…と云う 噂もある 浮き世にあって、
貴女は 守られていたと 思います。

(私の勘では)腕振り体操の、コツが つかめて、
毎日 千回くらい、自然にできるように なった頃には、
貴女の摂食障害は、消えてます。
(60歳以下の 健康維持には 2百回でよいと 本には書かれていますが、
長い年月、自傷で 心身を苦しめてきた場合、80歳レベルの回数:千回以上が 望ましいかもしれません)

「焦らず、怠らず」で、お願いします。

新庄剛志さんと、熱く見つめあう 子パンダ。まっこと 愛らしい。
(4年前の新聞だから、原紙は すっかり セピア色に なりました)

2011-05-02(Mon)

子どもだった

さまざまなヒントを戴いた ケイ(Kay)氏のブログから、そろそろ卒業し、
ネットに接続する時間を、極力 減らしたいと思いながら、なかなか そうできない。

5月1日の【皇后陛下の自己犠牲と愛】を読み、
(そうだろうな)と うなずいた言葉と、
(やだやだ、ああやだ、以前の私は こんなだった)と 思うところがあった。

(以下 引用)

【今日の昼間、たまたま 来客とテレビを見ていたら、皇后陛下が 10歳の時に書かれた 作文の話をされていて、それが非常に印象深かった】

【それは、古事記の中にある、倭建命(ヤマトタケルノミコト:日本書紀では 日本武尊)の妻の 弟橘媛(おとたちばなひめ)のお話である】
【倭建命の乗った船が 海神の怒りにより 大浪で難破しかけた時、弟橘媛が 身代わりとなって 海に沈み、倭建命の命を救ったというお話に、わずか10歳だった 美智子様は、自己犠牲と愛は 等しいものであると 感じたという】

【このお話は、第26回 国際児童図書評議会(IBBY) ニューデリー大会の基調講演で、お話しされた中にもある】
【この中で、皇后陛下は「愛と犠牲という 2つのものが,私の中で 最も近いものとして,むしろ 1つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います」と 語っておられた】

【10歳の少女が そのようなことを考えたとは 驚くべきことだが、それで 私が思い出すのは、ドクター・ハマーの呼び名で知られた、アメリカの国際的事業家 アーマンド・ハマーのことだ】
【ハマーは、子供の時に1つの誓いを立て、寝る時に 何度も繰り返したという】
【彼は、神に、「自分に できる限り、素晴らしい人たちを 助ける力を 与えてください」と 祈ったのだ】

【アルベルト・シュバイツァーは、20歳の時、「30歳までは 自分のため、それ以降は 人のために生きよう」と誓い、30歳で、学者、音楽家としての 地位と名誉を捨て、医大に入学した】
【アルベルト・アインシュタインは言った。「自分以外の者のために生きるようになって初めて、我々は 真に生きはじめる」と】

【こうして見ると、自己犠牲の生贄は、自我であると思う】
【普段の生活の中でも、自我を十字架に磔にして 生贄に差し出せば、我々は 愛と一致していくのだろう】
【それを 真我(神我であるキリスト)の復活と言うのに違いない】

(引用 終わり)

『できる限り、素晴らしい人たちを 助ける力を 自分に与えてください』?
子どもらしい純真さだ。

つい最近まで、私も 願っていた。
『自分は できれば、素晴らしい人を 支えるために、この身を 使いたい』と。…

子どもだった。
『素晴らしい人』と、『そうでない人』が いると、思っていたとは。

2011-05-01(Sun)

おそれいりました

① 菜花を もらって帰宅したのが 木曜日。
半透明の ビニール袋に詰められた菜花は、へたっているようだった。

② 洗ってあった 電気釜の内釜(6合炊き用)に 水を張って、
しなびてしまった 菜花を漬けた。
入れただけでは、切り口(茎)を 上に向けて プカプカ浮いてしまうので、
1本ずつ 水に挿した。

眠かったので、手間どったが、活け花(つぼみ)が 完成したときは、達成感を覚えた。
それが、金曜日の未明。

③ 金曜日の昼、元気になった菜花を 小分けして、ビニール袋に収めて 外出した。

(友人に会うついでに、植物生態学者 宮脇 昭(みやわき あきら)氏の本に、
本物の森として 紹介されている 神社に行った。

遠いと思っていたが、往復2時間ほどで、交通費も 千円程度だった。

はじめて 森の中を 通り抜けてみた。

感覚が鈍っている 今の私には、
雨に降られた…とか、
木がたくさんあった…とか、
広かった…とか、たるんだ印象しかない。

貧すれば鈍す。…
経済(お金)の問題では なかった。

構えずにいられる人に 会う機会や、
本物の森(植物群)に 触れる機会を、
あきらめ過ぎていた。

そう云うものに、自分はそぐわないと 思い込んでいたが、
それは 間違いだった。

広大な自然の中に 身を置くことや、
気の置けない(心を偽らずにすむ)人と 過ごすことは、
望めば与えられる、生きるのに必要な 糧だった)

④ 金曜日の夜、帰宅して 内釜を片づけようとしたとき、黒い釜の底に、
菜花色の 何かを見つけた。

肥えた青虫だった。
(虫が食ってないとこを選んだよ…と言われて、菜花をもらい、完全に油断していた)

体長が、1.5cmくらいある。不気味だ。
全然 動かない。溺れて死んだ?
公園の 植え込みに 捨てに行くか?
燃えるゴミ袋に 入れるか?
どれも面倒。

楊枝に引っ掛けて、(もらったドングリを 駄目もとで蒔いてある)植木鉢に 放り込んで 終わり。

生気のない青虫は、ドングリの上に落ちた。
くの字に 折れ曲がって。

(菜花は、蒸し煮にされ、食べられた。ほろ苦かった)

⑤ 土曜日の朝、植木鉢を見ると、茶色のドングリの上に、
折れ曲がった 黄緑色の虫が 乗っている。
(昨日のまま)

⑥ 日曜日の朝、植木鉢を見ると、ドングリの上には 何もない!
ドングリの隣の 小石の陰に、奴はいた。
真っ直ぐに 伸びている。
鮮やかな黄緑では なくなっていた。

⑦ 日曜日の午後、虫は姿を消していた。
何処かで 蛹になるのだろう。
(充分 食べて、羽化の準備中だったらしい)

仮死状態で、投げ捨てられ、折れ曲がって そこにいた証拠が、
ドングリの上に 染みついてる。
Vサインのように。