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物換星移
その宗教は、団体としては、
昭和20年代に、兵庫県 西宮市でスタートしたという。
神通力を持った発明家(超能力者)が、伴侶の懇願に負けて開教したという。
神通力を使えた発明家と言えば、 政木和三氏を思い出す…
政木和三氏とは私にとって、「釣り名人」であり、
彼の発明品(高額)を購入して、
その品が不良品かもしれない件で 問い合わせをした私(寄る辺ない)に対し、
罵詈雑言を浴びせて電話を叩き切った人…でもある。
過ちを犯さない 完全無欠な性格の人間というのは、存在しない気がするから、
私に対する言動が乱暴だったからと云って、批判にはあたらないだろう。
でも、私の中では、
神通力を持ちながら、弱い者から お金を奪うシステムに加担していた人であり、
人の道を説きながら、弱った者に冷淡な暴君だった。
(ここまで書くのに3日もかかった 私の迷走は…)
(この愛すべき発明家から、激しく傷つけられた事とは無関係…とも 言い切れない)
神通力があるからといって、
釈迦・キリストは『私を崇拝しろ』とは言ってない。
政木氏もそうだった。
でも その宗教では、開祖さまを崇拝することが大切だという。
そして、開祖さまの言葉は絶対なので、
『悪いニュースが頭に積み重なり刻まれると、それが悪因縁となってゆく』
『悪いものは なるべく見たり聞いたりしないようにして』
『正しいきれいな心を保つようにすることが大切』
という生き方を墨守されている。
川原泉先生の「笑うミカエル」の舞台となった「セント・ミカエル学園」のよう。
その物語の冒頭には、
『見苦しい俗世間から遠ざかり 社会の不正・不合理なども直視せず』
『良妻賢母となるために』
『大天使ミカエル様の白き翼のもとに…』
『清らかで和やかで品がよろしくて滅多に道を踏み外すこともないので』
お嬢様方は 大天使の乙女達と呼ばれ、その学園は「綺羅の空間」だったとある。
先日、私は知人の紹介で、その団体のイベント会場に参上した。
幾つかの質問をしたためた原稿用紙を持参して、
ベテランの信者の方に、
その用紙(形式に則ってはいないが、一種の手紙)を手渡し、
膝を付き合わせて対話に応じて戴いた。その誠意には感謝している。
入信すれば、確信が得られるという結論で、私の心はモヤモヤしたままだった。
そこに、お茶と 焼き菓子が 運ばれてきた。
ありがたく お茶を飲んで、閉会時間がきたとき、
ベテラン信者の方は、お菓子をポケットに入れて 立ち去って行かれた。
(私の手紙を 机上に置き去りにして)
私という人間の心 そのものである手紙は(悪因縁の素だから?)机上に遺棄され、
美しい包装の(でも食品添加物が沢山入った 薬品カクテル状の)お菓子は懐中へ…
嗚呼。
昨年、知人との ご縁により
教会に赴き、信者さんの横に立ち、御礼参りをする機会があった。
入信する気にはなれなかったが、事務の方に話をして戴いたことは感謝に値する。
そのときの 信者さんの祈り言葉が、
王勃(おうぼつ)の詩 滕王閣 から引用され、
四字熟語となった「ブッカン セイイ」の語尾に「輝:キ」を加えたようだった。
「ブッ」で 風が吹くのを感じ、
「カン」で 物が出会うの(衝突)を感じ、
「セイ」で すがしい空を感じ、
「イキ」で 輝く光を感じる…
その宗教の信者の方々にとっては、私の解釈は邪道かもしれず、
そもそも 正しく聞き取れていないかもしれないが、
風と 出会いと 空と 光を感じる その 短い祈り言葉は、
一種の詩であり、真言というか…
それを無心に唱えることで、変性意識状態になることは想像に難くない。
森からヒトノコへの警告?
ずっと、(経済的事情で)墓参りに行けないのが 辛かったので。
墓守もない、四国の山にある 父方の先祖の墓地は、荒れているのではないか。
今年の夏は、大きな変化があった。
故 政木 和三氏が『総理大臣になるべき』 と言ってらした 女丈夫に お会いした。
(バナナセーキを ご馳走になった)
(仕事まで下さろうとした。それは私の体調不良のため 叶わなかった)
父の手術が、無事に終わった。
母と父の 弱さと、強かさを見た。
被害者を装い、人をコントロールしようとすることの 虚しさを、再確認した。
家族(親の病、酷暑の中の看病)の 痛みを無視し、
『最近、調子がいい』 と 浮かれたメールをよこした妹に、苦言を呈したことで、
妹が心を閉ざしたこと。
彼女は根は優しいのだが、身内(母や私)を 気まぐれに 利用しようとする時がある。
そして、自分の思い通りに 身内が反応しないと、人を傷つけることを言う。
今度も私を、加害者 扱い。
頑張りすぎて 疲れているから?
自意識過剰になってて 孤立しているから?
【大自然への おそれや、感謝】を 知らないから?
自分の不遇を 環境や人のせいと思い込んで、愛情を受け取ることさえ拒否してる。
7月25日には、キネシオロジーという 代替医療の被験者になり、
公開セッションの場で『この痛みが解消したら、何したい?』 と問われ、
「愛情のエナルギーを、うまくまわしたい」 と 答えた。
(金銭的に、余裕が持てるようにしたい)と、最初に浮かんだが、
電話で泣きわめく妹の声が 耳に残っていたから、私は「愛情」を優先してみた。
不動堂の帰りに、明治の森に行った。
元気が出る写真を 撮りたかった。
でも、天気雨で薄暗く、藪蚊も多く、
PHSのカメラでは、明るい写真は難しかった。
なんとなく、木洩れ日を見上げたら、
肉眼では見えない、濃い紅色の フワフワした 光るものが見えた。
レンズ越しに見ても、見えたり 見えなかったり。
何だか分からないけど、楽しそうな 可愛いものに見え、シャッターを切った。
(でも、写真に写ったのを見たら、ちょと こわい気がした)
母なる自然は、傲慢で 強欲な ヒトノコが、お嫌いであろう。
(1日 2食でも、つい 食べ過ぎてしまう自分を、情けなく思う)
君のために、血の泪を流しているよ
「彼の身に何かあったときに、お見舞いに行ったりできる?」
と、尋ねたアタシは 何様だったのか。
『行けない…』と、彼女。
「行けないかぁー」と、アタシ。
不倫の恋を しているらしい彼女が、かなしくて。
彼女の哀しみを、少しでも減らしたくて、
嘆息するために、アタシは聞いたのだ。
道ならぬ恋でも、恋ってやつは、
他人が否定すれば、ますます燃え上がる。(ような気がする)
しあわせで いてほしい、大切な友人。
誰からも祝福される人を伴侶として、健やかに生きててほしい。
だけど、kay(ケイ)さんが言うように、
すべては決まっている のかもしれない。(ITスペシャリストが語る芸術)
だったら、もう アタシは、
弥勒に すがるほか ない。
安部 浩之(あべ こうし)先生は、
SAS総合研究所(Symbolic Analyst Society)のサイトで、
不倫を許してはならない
そう、断言しておられる。
わかるのだと思う。
見えるのだと思う、先生には。
喩え、性的交渉を もっていなくとも、
他人の家庭を 崩壊に導くような、友だち以上の関わりを、
異性と持てば、どうなるか。
いかに うまく言い訳しても、
自然の摂理に 反した存在や 行いは、
自然界に馴染まないから、末永く繁栄することが出来ないのだろう。
友人が、道ならぬ恋に引きずりこまれたときは、
その、いたましいできごとの落とし前を 早くつけて、
陽のあたる道へ 帰っておいでと、
祈ることしかできない。
『2人(当人同士)が幸せなら、いいだろう』?
ひずみは、弱いところ(子どもなど)に 出てしまうのだから、
そんな考え方には、アタシは賛同できない。