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2009年12月1日から
林檎
今年は20個以上の芽吹いてる種に出会って、大半は人に託したが、

手元に(北向きの窓辺に)7鉢残した。

去年はずっと元気で、林檎をくれた人に託したのは、秋を過ぎてからだった。
去年が大丈夫だったから、今年もと思ったのが大間違い。

猛暑続きでも冷房なしの暮らしで 我が身が蒸し焼きみたいになってしまう…
そんな(判断力や体力があやしい)真夏を越したら、
前途有望な若い人に、2鉢(兄弟で)託すつもりでいる。

可愛い子どものような林檎の幼木だから、
貴重な(健康維持・回復に定評のある遠隔地の)水を、遣っていたのに。


1番元気だった奴が枯れてしまった。
全ての葉が枯死した後に、
幹の真ん中あたりから、小豆ほどの大きさの可愛いと若葉と、
それよりずっとずっと小さな美しい若葉をつけたけど、

数日後に、完全に枯れてしまった。(遺影になっちゃったよ) 
     
   

今は4鉢になってしまった。
どれも一時は危ない状態で、…

元気を取り戻した木(2本)も、葉っぱが2~3枚にまで減ってしまった。

6月に友人に写真を撮ってもらったときより、小さくなったように見える。
残った葉のすべてが、半分 焼け焦げたようになったり…
  
見映えが悪くなってしまった。
   (これは 枯れかける以前の雄姿)



他の2本は 挑戦者たち(先天的にDNAに異変がある様子)

一見すると 林檎の木には見えず、気づくと粉を吹いていたりする。
この独特の2本は、私が最後まで見届けたい。


私のみならず、林檎の幼木まで バテさせた 猛暑のもとは、
ヒートアイランド現象ではなかろうか?
だって…
クーラーとか 除湿機とか、あらゆる電気製品のモーターが 熱を発して、
それをそのまま 外に放り出して 捨てているのだから。

その熱を蓄電して、
冬に使えるような仕組みを、…物理の得意な方は 考えて戴けませんか?


雑踏の振動で発電する技術や、
手巻きの充電ラジオなどが 実用化されているのですから、

熱を外に捨てない(もの言わぬ生き物に、害を及ぼさない)冷房だって、
つくれないとは限らないでしょう?














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長年、酢を調理に使わない食生活だったけど、
(マクロビオティックや、ナチュラル・ハイジーン:果物と野菜中心、など)

この春から、髪のために黒酢を飲んでいる。

最近は、大匙1杯の黒酢に、
大匙1杯の砂糖大根のシロップ(てんさいオリゴ糖)を加えたものを、
ゴボウ茶か、ホウジ茶で割って(200ミリリットル弱にして)飲んでいる。

刺激的な匂いと味がして、
空腹の(好きなものが欲しいだけ食べられない)哀しさを、束の間 忘れる。

匂いがきついこともあり、
始めた頃は、1日1杯で充分だったが、
最近は、2杯~3杯飲んでしまう。
(-_-;)

黒酢もオリゴ糖も、貴重品なので(私の暮らしでは)
なるべく、1日1杯にしたいのだが。…











その宗教は、団体としては、
昭和20年代に、兵庫県 西宮市でスタートしたという。

神通力を持った発明家(超能力者)が、伴侶の懇願に負けて開教したという。
神通力を使えた発明家と言えば、 政木和三氏を思い出す…

政木和三氏とは私にとって、「釣り名人」であり、
彼の発明品(高額)を購入して、
その品が不良品かもしれない件で 問い合わせをした私(寄る辺ない)に対し、
罵詈雑言を浴びせて電話を叩き切った人…でもある。

過ちを犯さない 完全無欠な性格の人間というのは、存在しない気がするから、
私に対する言動が乱暴だったからと云って、批判にはあたらないだろう。
でも、私の中では、
神通力を持ちながら、弱い者から お金を奪うシステムに加担していた人であり、
人の道を説きながら、弱った者に冷淡な暴君だった。
(ここまで書くのに3日もかかった 私の迷走は…)
(この愛すべき発明家から、激しく傷つけられた事とは無関係…とも 言い切れない)

神通力があるからといって、
釈迦・キリストは『私を崇拝しろ』とは言ってない。
政木氏もそうだった。
でも その宗教では、開祖さまを崇拝することが大切だという。

そして、開祖さまの言葉は絶対なので、
『悪いニュースが頭に積み重なり刻まれると、それが悪因縁となってゆく』
『悪いものは なるべく見たり聞いたりしないようにして』
『正しいきれいな心を保つようにすることが大切』
という生き方を墨守されている。

川原泉先生の「笑うミカエル」の舞台となった「セント・ミカエル学園」のよう。
その物語の冒頭には、
『見苦しい俗世間から遠ざかり 社会の不正・不合理なども直視せず』
『良妻賢母となるために』
『大天使ミカエル様の白き翼のもとに…』
『清らかで和やかで品がよろしくて滅多に道を踏み外すこともないので』
お嬢様方は 大天使の乙女達と呼ばれ、その学園は「綺羅の空間」だったとある。

先日、私は知人の紹介で、その団体のイベント会場に参上した。
幾つかの質問をしたためた原稿用紙を持参して、

ベテランの信者の方に、
その用紙(形式に則ってはいないが、一種の手紙)を手渡し、
膝を付き合わせて対話に応じて戴いた。その誠意には感謝している。

入信すれば、確信が得られるという結論で、私の心はモヤモヤしたままだった。
そこに、お茶と 焼き菓子が 運ばれてきた。
ありがたく お茶を飲んで、閉会時間がきたとき、
ベテラン信者の方は、お菓子をポケットに入れて 立ち去って行かれた。
(私の手紙を 机上に置き去りにして)

私という人間の心 そのものである手紙は(悪因縁の素だから?)机上に遺棄され、
美しい包装の(でも食品添加物が沢山入った 薬品カクテル状の)お菓子は懐中へ…
嗚呼。

昨年、知人との ご縁により
教会に赴き、信者さんの横に立ち、御礼参りをする機会があった。
入信する気にはなれなかったが、事務の方に話をして戴いたことは感謝に値する。

そのときの 信者さんの祈り言葉が、
王勃(おうぼつ)の詩 滕王閣 から引用され、
四字熟語となった「ブッカン セイイ」の語尾に「輝:キ」を加えたようだった。

「ブッ」で 風が吹くのを感じ、
「カン」で 物が出会うの(衝突)を感じ、
「セイ」で すがしい空を感じ、
「イキ」で 輝く光を感じる…

その宗教の信者の方々にとっては、私の解釈は邪道かもしれず、
そもそも 正しく聞き取れていないかもしれないが、

風と 出会いと 空と 光を感じる その 短い祈り言葉は、
一種の詩であり、真言というか…
それを無心に唱えることで、変性意識状態になることは想像に難くない。














心が 岩清水のように清く、
天の神(大自然)を敬い、
愛(義)に生きる者が 地上に おりました。
天の神が誇らしく思う その男は、【余武】と呼ばれていました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

堕天使は、
天の神の寵愛が 人の子に向けられていることが、悔しくてたまりません。

「苦痛を たくさん与えれば、かの者も 愛に生きる道から 外れてしまうのでは?」
「財産と家族と健康を奪っても、天の神への信頼が 彼の心に残るでしょうか?」

「彼が、どんな目に遭っても、
天の神(大自然)を敬い 畏れる心を失わず、愛に生きる姿に戻れたときは、
天の神の誇るものを認めますので、
試してもよろしいですか?」

そう言う 堕天使に、天の神は、
「試してみよ」と おっしゃいました。
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

天の神の許しを得て、
堕天使は【余武】の家族の命や 財産を奪い、
【余武】の身には、その姿を見た者の 心を挫くほどの むごい病を与えました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

【余武】は、義侠心に厚く、醜い振る舞いとは無縁な男で、
神の心に沿って生きようと、心の耳を澄まし「聞こうとする人」でしたが、
突然の 降って湧いた不幸に 動転してしまい、
天の神を「問いつめる者」に なってしまいました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

見舞いに来た 友人たち【袁:えん】、【段:だん】、【蔡:さい】の心は、
善意でいっぱいでしたが、

面変わりして、呪詛の言葉を吐く 【余武】の姿を目にしたとき、
まず、年嵩(としかさ)の【袁】の心が、挫けました。
誇らしかった友の 変わり果てた姿に、耐えられなくなり、励まそうとします。

「しっかりしろ」
「蒔かない種が、実を結ぶことは ないはずだ」
「お前は一体 どんな過ちを犯したのか?」
「あるいは、お前は 為すべき何を怠ったのか?」

友を慰めようとして訪れた【袁】でしたが、
【余武】の気持ちを 思い遣る心は、どこかに飛んでしまいました。
謙虚さも忘れ、愛の心からも遠い 説諭を語り、しかも それは 矛盾していました。

人の蒔いた植物だけが、この世に育つのですか?
いいえ。
自生する草・木は 数多(あまた)あり、蒔かれずとも生え、 結実します。

【袁】の言葉は 苦しむ【余武】の力には なりませんでした。
【余武】は 反発します。

それは 当然のことでしたが、
その激しさによって、【余武】の心から 素直さと明るさが消えてしまいました。
堕天使は、勝利に近づいた と思いました。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

知恵者であるはずの【段】は、【袁】と同じ轍を 踏んでしまいます。
【段】は 天の神を信じながら、「義人の受難」を 知らなかったので、
友の理解者に なれず、友を叱ります。

「お前の言葉は、乱暴で くどい」
「罪を認め、悔い改めろ」

励まそうとして訪れた【段】でしたが、
「ありもしない罪を認め、反省せよ」と 助言するのは、
奴隷になれ と 言うに等しい愚かなことで、堕天使を よろこばせました。

親しかった友人たちから、見当違いの言葉で 責められて、
病める【余武】は、いよいよ荒れ狂ってしまいます。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

【蔡】は、天の神を かたく信じる人でしたが、
「義人の苦しみ」については 【段】と同じく 知らなかったので、
苦難 =天罰 と 思い込みます。

乱暴な言葉を 吐き続ける【余武】が、善人に見えなくなってきました。
自分の大切な神が、【余武】に 侮辱されているように 思えてきたのです。

思い遣りを 忘れた【蔡】は、とりなしの祈りもせず【余武】に言います。
「身の程を知れ、全知全能の神に逆らうな」
「神には ただ、信じて 従えばいいのだ」

それは 偶像崇拝のような 愚かな考え方です。
堕天使は、うれしくて たまりません。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

【余武】と 友人たちの会話は、水掛け論に なってしまいました。
そこに【英】という人物が現われ、
自分の正しさを言い募る【余武】と、それを 止められない友人たちを 一喝します。

「天罰(因果応報)以外の苦難もある」
「天が警鐘として与える苦しみもある」
「鍛え上げようとして、天が与える苦難もある」

【英】の 言葉に、矛盾はありません。
【英】の 動機(義憤)も、もっともでした。

【英】を『教師の理想』だと、言う方が いるようです。
けれど 【英】の心に、
【余武】を いたわり、ねぎらう気持ちは あったでしょうか?

静かに病者に 寄り添い、
その心を あたためたいとか 支えたいと願う心が、【英】に あったなら、
天の神の 誇りに思う者は、地上に2人となったのですが、
そうは なりませんでした。
 
【英】は【余武】を見下し、愛の心が欠けていたので、正論は語れても、
【余武】の 心の嵐を 止めることは できませんでした。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

【余武】の心身は、
天の神との 対面を果たすことによって、回復しました。

堕天使の目論見は、
完全に失敗しました。

気づかぬうちに 堕天使に加担し、天の神に 呆れられた 3人の友は、
【余武】の祈りで 救われました。















些細なことにも怒りっぽかったり、
激しい怒りの感情に心が支配されやすかったり、
身のまわりに理不尽なことが多すぎて、
苦しい、と思っている方へ

この混乱から脱出する方法を、
誰か教えてくれないかな…
そう思っている方へ

「こんな所にいたら、治る病気も治らんぞ!」と言って、
息苦しい あばら家から 運び出してくれる人がいたなら…

御飯や家賃の心配をせず、
毒を抜くことに専念できるところに行けたなら…

きれいな空と森と水場があって、穏やかで親切な人がいて、
鳥が鳴いてて、良い香りがして、深呼吸できるようなところに
転地療養できて、お釈迦さまみたいな先生に治療してもらえたなら…

そんな風に考えている人がいたら、
手紙を書いて、それを、読み上げてみて下さい。

葉書でも、ノートの切れ端でも良いから、
自分に縁のある人に宛てて、
手紙を書き、かつ、音読してみて下さい。

1人の人間に、幾つもの人格が備わっていて、
混乱が収まらないのは、
ひとつの車に、複数のハンドルが付いているような状態かも。

1人の人間に、時と場所に相応しい天啓がおりてきて、
自動運転の車のように、労少なく健康に過ごせる人もいる。

自分に干渉してくる波というか、
自分に同調して感情やパワーを増幅する「氣」が、
人生を楽にしてくれるか、滅茶苦茶にするかの違いは、
紙一重ではないかと、今の私は思っています。

お金儲けが目的の先生をあてにして、
貴重な時間を無駄にすることはない。

あなたが苦しいのは、
どこかで、
天からの手紙を読み逃したからかもしれない。

※ 本当の先生(心の治療の案内係)なら、分かるでしょうが、
※ 自分は素人ですから、ただの想像です。

今年1月から私は、月命日に手紙を書いてます。
助けられなかったことの、謝罪と言い訳を。

書いているときは、淡々としたものです。
しかし、読み上げる段になると、だんだん感情が出てきます。

3回目の今月は、もう泣くまいと思っていたのですが、
嗚咽してしまい「…悔しい」と呻きました。

思いもよらない感情が 隠れていたと知りました。
自分の無力だけじゃなく、自分を助けず笑ってた周囲を、
私は恨んでいたのです。

人のせいにするのは格好わるいから、すべて自分で責任をとる!
そう決めて頑張ってきたのに、…
逆恨みのようで情けないし 自分でも可笑しいと思うけど、

心にカビの菌みたいなものが、紛れ込んでいたことに、
やっと気づいたのです。

気づいた以上は、何かが変わる、
やっと私にも、春が来るかもしれません。

……来ると良いけど、
……分からない。

自分の文章(心の病の闘病日記みたいなもの)を、見知らぬ人に読まれ、
その人が たまたま作家さんで『引用したい』と言われて、
YES と答えたら、ズタズタに傷つく結果を招いてしまった。
そんな間抜けな私の言うことだから、説得力ないですけど。

心の闘病日記。
野坂昭如さんの「浦安太郎」という 毒入り歌謡を聴いて、
ニヤリと笑ってしまう…そんな自分の闇と闘ってた私の日記。
Wワークで睡眠不足を続けて 倒れた頃、苦しくて始めた。
(迷惑かけた元上司に、直接 挨拶を言えなかったのがきっかけ)

ひとつか ふたつの文章を、
地の文とは 区別して 引用されるなら、構わないと思ったのです。

だけど私の文章は、料理にたとえるなら、
中華料理の 酢豚の中の「パイナップル」みたいな扱われ方だった。

弱者を笑いものにする喜劇の中で、
他人からは理解しがたい人物の 長ゼリフとして 使われていた。

「ただ在ること」を問う】そんな劇を作ってるらしい方だから、
…どうぞと言ったのですが。ネットで評判を見たら、
胸くそ悪い人生の要素を濃縮還元したよう】とか、
気持ち悪い貧乏な中年男女の話だった】とか、
【救いがないダメ人間がいることを受け止めようという姿勢はいい】とか、
…招待されたけど、行き損なって(見なくて)良かったと思ってます。
 

苦難を与えられた 信心深い善人の話(旧約聖書)をもとにした舞台】
…とは、事前に聞いていました。 
東日本大震災の後に考えるようになった 原因不明の理不尽】
【因果関係だけでは解けないことを、まとめないで提示したい】
【観た人に『何故?!』と思ってもらえれば成功】
…その様な主旨のインタビューは、
…3月11日配信のネット雑誌で読みました。(初日は3月1日)
…3月14日に戯曲を読ませてもらい、後悔したけど後の祭り。

肉として生き延びても、その人の尊厳が失われたら 禍根を残すことになります。
浦安太郎を聴いて 溜飲を下げるような、心の闇を放置してたら 国は滅ぶ。
責任を自分で背負う覚悟で 生きてきてもなお、苦しみが続くような問題は
人類全体の課題かもしれないのです、健康な人は傍観者でいないでほしい。

そんな思いで書いていた日記が、…

社会的弱者を 珍獣のように見て笑い、
ゴミと同化したような 愚かな者同士の、疑似恋愛の場面で幕。

…というような喜劇の素材に使われて、私は傷ついた。

台本を読んだだけ だから、
私の解釈が 妥当なのか 的はずれなのか、それすら判然としないけど。

私の言葉が使われたのは 終幕の前半だけ。
ボリュームとしては、全体の1割にも満たないのだから、
作家さんにしたら「ただの引用」でしょうけど、

私は傷ついたショックから?
聖書の作者の怒り(?)に同調したのか?
(こんな戯曲は絶対に販売許可しないぞ)って、
自分が原作者みたいな錯覚を起こしている。
(心に 赤ランプ 点灯)

それというのも、事前の確認を怠ったから。
手紙を書く手間を 省いたから、かもしれません。
(こんな目に遭う人は、もう出ませんように)


手紙を書いて、それを 読んでみるという試み。
心の畑の土が 腐らないように、
ふっくら発酵する方向に風が吹くように、
良かったら 試してみてください。















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