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2009年12月1日から
公園の 植え込みに、木いちごを見つけた。
芋虫を避けて、摘み採ろうとしたら、…
公園の 管理者らしき人に、止められた。
「いちごはいいけど、放射能かかってるぞ!」
「間違ったことは 言ってねえ!」

そう。東都には、
つぎあての服を来て お育ち遊ばした、てんしさま(天皇陛下)だけじゃなく、…
事故った 原子力発電所からの 放射性物質も、降臨している。

(以下は、玉蔵さんのブログから)

【皆さん、こんにちは】
【私は、肥田 舜太郎という 内科の医者です】
【94歳ですから、あまり、確かなように 話すことが 出来ないかもしれませんが】
【皆さんに、広島・長崎 原爆の 本当の、被害の中身を、お知らせします】

肥田 舜太郎(ひだ しゅんたろう)
1917年 広島生まれ。
1944年 陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年 広島で被爆。被爆者救援にあたる。
全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。
自身の被爆体験を原点に、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続け、今なお 精力的に講演活動中。
著書 『広島の消えた日 被爆軍医の証言』、『内部被曝の脅威 ちくま新書』など。

【ご承知のように、原爆は 放射線のエネルギーを もとにした爆弾です】
【今までの どんな兵器とも違う、放射線を燃料に使って 爆発させる】
【その被害を 受けた人は】
【やけどしたり 強い爆風で吹っ飛ばされる他に、放射線で 体を壊します】
【直接 爆発の下にいた人、いわゆる ピカを浴びた人は、頭の毛が 抜けたり、血を吐いたり、体に 紫色の斑点が出たり、特殊な 5つの症状で たくさん死にました】

【放射線の粒は 爆発した町に残って、地面の上に 降り積もった】

人は それを触った。
人が歩くと、放射能を含んだ 土ボコりが、飛び散り 舞い上がった。
そのホコリを、人は 吸い込んだ。

【また 水源地が侵されて、水の中に たくさんあるのを 飲んだ】
【それから あの、きのこ雲には、生のままの プルトニウムとか、ウラニウムと云う 放射線の粒が、中に いっぱい詰まっていて、それが 成層圏まで 舞い上がりました】
【しかし、小さな粒でも 重みがあり、降ってくる】
【だから、親を探しに 街に入った人や、妹や弟の 様子を見に入った人が】
【今の医学では 診断出来ない、 不思議な病気で 大変 苦しみました】

【それで 大部分の被爆者は】
【今から10年ほど前から、癌や白血病という 悪性の病気で、死んでいます】

【つまり、戦争の終わりに 被爆した人が、60年生きて】
【その間も、健康に 過ごせたのではなくて】
【しょっちゅう お医者さんに行って 入退院を 繰り返した】
【だけども 病気の本体は よくからない】
【そう云うことで 苦しんだ人が、最後は 癌や白血病で 命を取られる】
【放射線は そう云う性質を 持っているのです】

【直接 ピカを浴びて、やけどしたり 大怪我した人たちが いた】
【強い放射線で 殺された】
【これは、隠すことが出来ないので、アメリカは、認めたんです】

【ところが 後から街へ入った人が】
【今の医学では 分からない いろんな病気で苦しんだ、と聞いても】
【それは その患者を診た医者が、原爆を 悪く言う デマを飛ばしているのであって、体の中に入る わずかな放射線は 害がないと】

【原爆を 広島に落として、1ヵ月と2日目】
【原爆を作ったグループの 2番目に偉い軍人が来て】
【まだ マッカーサーが 日本へ上陸する前に】
【焼け残った 帝国ホテルの前に、外国から来た ジャーナリストを集めて】
【微量な放射線は 体に入っても 害はないと、世界に向けて放送し】
【日本の政府にも それを承知しろと】

【広島・長崎の被爆者は】
【アメリカの軍事機密である 原爆の秘密を、自分の体で 知った訳だから】
【これは アメリカの軍事秘密だから、人に 喋ってはいけない】
【書いて残してもいけない、もちろん 写真や、絵で描いてもいけない】
【もし違反した者は 厳罰に処すと、占領政策に、最初に それを宣言したんです】

【だから、広島・長崎で 被爆して、兄弟も親も みんな死んじゃった、財産も亡くなった、行き場もない、そこら辺で 倒れて 寝っ転がっていた たくさんの被爆者が】
【私は 広島・長崎で 原爆を浴びて、とても困っています】
【助けて下さいって 言えなくなった】

【アメリカが 日本に原爆を投下したことも、大変な罪悪ですけれども】
【それにも増して】
【戦争が終わって、自分たちの落とした爆弾で、医学で治しようもない 大変な病気を負っている被爆者に、生きる道を閉ざすようなことを アメリカはしました】
【それは 新しい爆弾の秘密が、よその国に漏れることを 恐れたからです】
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さまざまなヒントを戴いた ケイ(Kay)氏のブログから、そろそろ卒業し、
ネットに接続する時間を、極力 減らしたいと思いながら、なかなか そうできない。

5月1日の【皇后陛下の自己犠牲と愛】を読み、
(そうだろうな)と うなずいた言葉と、
(やだやだ、ああやだ、以前の私は こんなだった)と 思うところがあった。

(以下 引用)

【今日の昼間、たまたま 来客とテレビを見ていたら、皇后陛下が 10歳の時に書かれた 作文の話をされていて、それが非常に印象深かった】

【それは、古事記の中にある、倭建命(ヤマトタケルノミコト:日本書紀では 日本武尊)の妻の 弟橘媛(おとたちばなひめ)のお話である】
【倭建命の乗った船が 海神の怒りにより 大浪で難破しかけた時、弟橘媛が 身代わりとなって 海に沈み、倭建命の命を救ったというお話に、わずか10歳だった 美智子様は、自己犠牲と愛は 等しいものであると 感じたという】

【このお話は、第26回 国際児童図書評議会(IBBY) ニューデリー大会の基調講演で、お話しされた中にもある】
【この中で、皇后陛下は「愛と犠牲という 2つのものが,私の中で 最も近いものとして,むしろ 1つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います」と 語っておられた】

【10歳の少女が そのようなことを考えたとは 驚くべきことだが、それで 私が思い出すのは、ドクター・ハマーの呼び名で知られた、アメリカの国際的事業家 アーマンド・ハマーのことだ】
【ハマーは、子供の時に1つの誓いを立て、寝る時に 何度も繰り返したという】
【彼は、神に、「自分に できる限り、素晴らしい人たちを 助ける力を 与えてください」と 祈ったのだ】

【アルベルト・シュバイツァーは、20歳の時、「30歳までは 自分のため、それ以降は 人のために生きよう」と誓い、30歳で、学者、音楽家としての 地位と名誉を捨て、医大に入学した】
【アルベルト・アインシュタインは言った。「自分以外の者のために生きるようになって初めて、我々は 真に生きはじめる」と】

【こうして見ると、自己犠牲の生贄は、自我であると思う】
【普段の生活の中でも、自我を十字架に磔にして 生贄に差し出せば、我々は 愛と一致していくのだろう】
【それを 真我(神我であるキリスト)の復活と言うのに違いない】

(引用 終わり)

『できる限り、素晴らしい人たちを 助ける力を 自分に与えてください』?
子どもらしい純真さだ。

つい最近まで、私も 願っていた。
『自分は できれば、素晴らしい人を 支えるために、この身を 使いたい』と。…

子どもだった。
『素晴らしい人』と、『そうでない人』が いると、思っていたとは。
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