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2009年12月1日から
◆ 池谷直士さんの ブログによると、
「職業と云うものは、自分を表現するツール」で、
「心の在り方を みなさんに お伝えし、本来の あるべき姿に 立ち返って、幸せを感じて 生きていっていただきたい」思いから、今の お仕事を始められたと。

「身体が 不自由で あるが故に、
人と仲良く、助け合って 生きていくには?
社会から、仲間から、干されずに 生きていくには?」と、いつも 考えていたと。

外に 遊びに 行けない。
家の中に ずっといる以上、自分なりの 楽しみを 見出すしかないと。

毎日、病気と向き合い、死の恐怖や 苦痛と向き合い、疑問と向き合う中で、
哲学書を読んだり、自己啓発本を読んだり、音楽を作ったり、文を書いたりして、…
心を 出来る限り 前向きに、積極的にと、試行錯誤を 続ける内に、
「今の道へ、導かれたのだと思います」
「私は ちょっと その道(幸せに生きる道)に 詳しいだけの 協力者であり、被協力者です」とのこと。

実力者に 縁があろうと、どんな仲間が いようと、
「自分を救う、具体的な行動が できるのは、自分だけだよ」と、言って下さってるのだと思う。

◆ SAS総合研究所の 安部浩之先生の言葉は、
虐待され、かつ、感謝を 強要されながら 育った者の心には、しばしば にがい。

わたし と云う人間は、
人の世の 幸福に、慣れていないからか?
(不安に いたたまれないのか?)
罪悪感に とらわれているせいか?

不快なことは、嫌なのに、
幸福からも、遠ざかろう 遠ざかろうと するみたいだ。(無意識に?)

SAS総合研究所の サイトを開くことは、私にとって、
楽しみであり、大きな慰めでも あるけど、
生傷だらけの身を、海水で洗うような 痛みを伴う。

その痛みは、
ことあるごとに、自分を 裁こうとする私が、
まだ 完全には、自分を あきらめてない、「印」のような 気がする。

「理論・理屈が 人を動かすのでは ありません」
「素直・誠実・思いやり」と云った「心」こそが、人の心を 動かすと 書かれている。

その事実は、ひとさまに 見せて戴いた。
だけど 自分の心は、ヒビ割れて、カビだらけになって 死んだかのよう。
見えないし、感触さえ あやふやで、よく分からない。
疲れてることだけは 分かるけど、
何故か 自分に、休息さえも、満足に 与えられない。

『自分を 勘定に入れずに 生きることが、素晴らしい』と、言った人も いたけど、
そう云う人は、知らないのでは?

自分てものを、本当に 頭数に入れないで、長い時間、ひとりで 暮らしてたら、
心が、あらゆる闇を 引き受ける、ブラックホールみたいに なっちゃうことを。

『何でも 自分で やらなきゃ』と、ずっと 思ってたのに。
今、まともに できることと云えば?
靴を揃えること くらい?

今日は、…
職業訓練校の、金属片(天井の塗装)が 剥げ落ち 降り注ぐ 机の上に、
雑巾がわりに『使った塵紙』を、放置したまま 帰宅した。
捨てようと思いながら、椅子から立ち上がったのに、…
めまいがしてた。鞄(テキスト入り)は重く、疲れてもいたけど、…
恥ずかしいやら、情けないやら。

PHSから ブログ更新できなくなったのは、
「目玉を休めろ」と云う、天の配剤か。
(今は、借りたパソコンから 書いている。既に 2時間半が経過)
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存在を 否定するようなことを(死んだ方がいいとか:救いようがないとか:ろくでもない奴などと)言われても、

罵詈雑言を浴びても(口で言っても分からない 牛馬なみのバカだから 殴らなきゃしょうがないとか:何の取り柄もないとか:苦しみ足りないから 傲慢なのだろうとか:このような、謙虚さや 素直さのない者に かかずらわっていたら、救える見込みのある人が 救えない、などと言われても)

その言語を、理解できず、
自分に 後ろめたいことが なければ、…聞き流すだけ。

悪意に満ちた 言葉でも、私が 同意しなければ、
私の心に 刺さることはない。

耳や目から 取り込んだ言葉を、
脳で 解読して、

「これは 相手の八つ当たり」
「負の情念に 振りまわされた人の 言葉だから、割り引いて考えよう」
「この人の 窮状は、私の性格や 言動が原因? 本当に?」
「確かに 私の失策だ。改めよう」
…などと、冷静に 対処して、

後は、なすべきことに 専念すれば、
傷つく必要も、自信をなくす必要もない。

人の 言葉には(本来)、私を 傷つける力は ない。

見た私、聞いた私が、唯唯諾諾(いい だくだく)と、それに合意したときだけ、
誰かの 暗い言葉が、私の心に 入り込み、
ぐさぐさと、突き刺さる。

たとえ 幼くて、
判断力が 足りなかったにせよ、
未熟だった親の、腹立ちまぎれの(暴力でしかない)言葉を 信じ込み、
自分を がんじ がらめにしたのは、この私。…
(誰も、責められない)
「限界を超せば、藁(わら)1本を載せても、ラクダの背骨が折れる」と云う 言葉がある。
多くの荷を背負えるラクダにも、限界はある。

「ただし、その藁(わら)を そっと(慎重に)置くなら、ラクダは持ちこたえるでしょう」と、ある占星術師は言う。

「重すぎて 背負えないほどの 精神的負担に、私たちが直面することは 滅多にありません」
「負担を背負うとき、慎重でなければ 押し潰されることはあります」
「あなたは、背負っているものが 重すぎると感じていますが、それは 誤解です」
…多分、そうなのだ。
(親愛なる U先生も)

掃除が はかどらなかったことが、もの凄く悔しいけど、生きてるだけで、今日は よしとしよう。
(己を責めて、元気が出る訳じゃなし)
買い換えて、1年半以上。
使い勝手が 悪かった。
(水が、チョロチョロしか 出ない。20年前に買った、前の洗濯機の 3分の1 程度の勢い)
途中で 動かなくなったり。…
(アパートの戸外に 据えてあるので、段差のある部屋から 降りて、靴を履いて 出ないと 使えないのも、病める者には 面倒だった)

何とか 使いこなそうと 努めたけど、駄目だった。
そのうち、見るのも 嫌になった。

毎日、手で 洗濯した。
保証期間内(1年以内)に、メーカーに 問い合わせるべきだったけど、不愉快すぎて、何も できなかった。

先日、やっと、メーカーの人に 来てもらった。
(\4,310円なり)

フィルターに、水道管の赤錆(あかさび)が 詰まっていた。
フィルターを、数回 洗い直してもらったら、普通に 水が出るようになった。
水の出が 悪く、給水に 時間が かかりすぎると、モーターが止まるように 作られているとか。…
嗚呼。

槽洗浄は、月に1回(粉石鹸を使ってる場合は、週に1回!)必要だそうだ。

「昔の 洗濯機は、使いやすかった…」と、つい 言ってしまった。

「そうなんです。ひとり暮らしの 高齢の方は、特に 苦労されてます。昔みたいな洗濯機も 売ってくれと、工場に言ってるんですが」
何と まあ。
星野哲郎さんの 作品(詩)と云えば(私には)、…
伊東四朗氏の「西口物語」と、
一愛(にのまえ あい)さんの「雲のうつし絵」

◆ 楽しい思い出を、たくさん持ってる娘は、花のように笑い、小鳥のように優しく 振る舞うことが、当たり前に できる。
いいお手本を、たくさん 知っているからね。
あの娘の愛想が 悪いのは、育ちが 良くないからさ。
『暗い』とか『打切棒(ぶっきらぼう)だな』とか 言ったって、どうしようもない。
相手を 泣かすだけだよ。
そんなことより、ホクロでも 褒めてやって、楽しく飲もうよ。…

「西口物語」を 最初に 聴いたときは、短調の旋律に ドギモを抜かれ(暗すぎると 思った)、歌詞の意味が 分からなかった。
いつの間にか、忘れがたい歌に なっていたのは、喜劇役者の 歌唱力の妙か。

◆ 特攻隊員の 遺言のような「雲のうつし絵」は、晴れ晴れとしている。
目上の存在である親を、「あなた」と呼ばわることは、昭和20年代には なかったはず。…
(平成の、歌なのだ)

世界中の 兵士への、鎮魂歌…なのだろう。
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