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2009年12月1日から
些細なことにも怒りっぽかったり、
激しい怒りの感情に心が支配されやすかったり、
身のまわりに理不尽なことが多すぎて、
苦しい、と思っている方へ

この混乱から脱出する方法を、
誰か教えてくれないかな…
そう思っている方へ

「こんな所にいたら、治る病気も治らんぞ!」と言って、
息苦しい あばら家から 運び出してくれる人がいたなら…

御飯や家賃の心配をせず、
毒を抜くことに専念できるところに行けたなら…

きれいな空と森と水場があって、穏やかで親切な人がいて、
鳥が鳴いてて、良い香りがして、深呼吸できるようなところに
転地療養できて、お釈迦さまみたいな先生に治療してもらえたなら…

そんな風に考えている人がいたら、
手紙を書いて、それを、読み上げてみて下さい。

葉書でも、ノートの切れ端でも良いから、
自分に縁のある人に宛てて、
手紙を書き、かつ、音読してみて下さい。

1人の人間に、幾つもの人格が備わっていて、
混乱が収まらないのは、
ひとつの車に、複数のハンドルが付いているような状態かも。

1人の人間に、時と場所に相応しい天啓がおりてきて、
自動運転の車のように、労少なく健康に過ごせる人もいる。

自分に干渉してくる波というか、
自分に同調して感情やパワーを増幅する「氣」が、
人生を楽にしてくれるか、滅茶苦茶にするかの違いは、
紙一重ではないかと、今の私は思っています。

お金儲けが目的の先生をあてにして、
貴重な時間を無駄にすることはない。

あなたが苦しいのは、
どこかで、
天からの手紙を読み逃したからかもしれない。

※ 本当の先生(心の治療の案内係)なら、分かるでしょうが、
※ 自分は素人ですから、ただの想像です。

今年1月から私は、月命日に手紙を書いてます。
助けられなかったことの、謝罪と言い訳を。

書いているときは、淡々としたものです。
しかし、読み上げる段になると、だんだん感情が出てきます。

3回目の今月は、もう泣くまいと思っていたのですが、
嗚咽してしまい「…悔しい」と呻きました。

思いもよらない感情が 隠れていたと知りました。
自分の無力だけじゃなく、自分を助けず笑ってた周囲を、
私は恨んでいたのです。

人のせいにするのは格好わるいから、すべて自分で責任をとる!
そう決めて頑張ってきたのに、…
逆恨みのようで情けないし 自分でも可笑しいと思うけど、

心にカビの菌みたいなものが、紛れ込んでいたことに、
やっと気づいたのです。

気づいた以上は、何かが変わる、
やっと私にも、春が来るかもしれません。

……来ると良いけど、
……分からない。

自分の文章(心の病の闘病日記みたいなもの)を、見知らぬ人に読まれ、
その人が たまたま作家さんで『引用したい』と言われて、
YES と答えたら、ズタズタに傷つく結果を招いてしまった。
そんな間抜けな私の言うことだから、説得力ないですけど。

心の闘病日記。
野坂昭如さんの「浦安太郎」という 毒入り歌謡を聴いて、
ニヤリと笑ってしまう…そんな自分の闇と闘ってた私の日記。
Wワークで睡眠不足を続けて 倒れた頃、苦しくて始めた。
(迷惑かけた元上司に、直接 挨拶を言えなかったのがきっかけ)

ひとつか ふたつの文章を、
地の文とは 区別して 引用されるなら、構わないと思ったのです。

だけど私の文章は、料理にたとえるなら、
中華料理の 酢豚の中の「パイナップル」みたいな扱われ方だった。

弱者を笑いものにする喜劇の中で、
他人からは理解しがたい人物の 長ゼリフとして 使われていた。

「ただ在ること」を問う】そんな劇を作ってるらしい方だから、
…どうぞと言ったのですが。ネットで評判を見たら、
胸くそ悪い人生の要素を濃縮還元したよう】とか、
気持ち悪い貧乏な中年男女の話だった】とか、
【救いがないダメ人間がいることを受け止めようという姿勢はいい】とか、
…招待されたけど、行き損なって(見なくて)良かったと思ってます。
 

苦難を与えられた 信心深い善人の話(旧約聖書)をもとにした舞台】
…とは、事前に聞いていました。 
東日本大震災の後に考えるようになった 原因不明の理不尽】
【因果関係だけでは解けないことを、まとめないで提示したい】
【観た人に『何故?!』と思ってもらえれば成功】
…その様な主旨のインタビューは、
…3月11日配信のネット雑誌で読みました。(初日は3月1日)
…3月14日に戯曲を読ませてもらい、後悔したけど後の祭り。

肉として生き延びても、その人の尊厳が失われたら 禍根を残すことになります。
浦安太郎を聴いて 溜飲を下げるような、心の闇を放置してたら 国は滅ぶ。
責任を自分で背負う覚悟で 生きてきてもなお、苦しみが続くような問題は
人類全体の課題かもしれないのです、健康な人は傍観者でいないでほしい。

そんな思いで書いていた日記が、…

社会的弱者を 珍獣のように見て笑い、
ゴミと同化したような 愚かな者同士の、疑似恋愛の場面で幕。

…というような喜劇の素材に使われて、私は傷ついた。

台本を読んだだけ だから、
私の解釈が 妥当なのか 的はずれなのか、それすら判然としないけど。

私の言葉が使われたのは 終幕の前半だけ。
ボリュームとしては、全体の1割にも満たないのだから、
作家さんにしたら「ただの引用」でしょうけど、

私は傷ついたショックから?
聖書の作者の怒り(?)に同調したのか?
(こんな戯曲は絶対に販売許可しないぞ)って、
自分が原作者みたいな錯覚を起こしている。
(心に 赤ランプ 点灯)

それというのも、事前の確認を怠ったから。
手紙を書く手間を 省いたから、かもしれません。
(こんな目に遭う人は、もう出ませんように)


手紙を書いて、それを 読んでみるという試み。
心の畑の土が 腐らないように、
ふっくら発酵する方向に風が吹くように、
良かったら 試してみてください。















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