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2009年12月1日から
心が 岩清水のように清く、
天の神(大自然)を敬い、
愛(義)に生きる者が 地上に おりました。
天の神が誇らしく思う その男は、【余武】と呼ばれていました。

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堕天使は、
天の神の寵愛が 人の子に向けられていることが、悔しくてたまりません。

「苦痛を たくさん与えれば、かの者も 愛に生きる道から 外れてしまうのでは?」
「財産と家族と健康を奪っても、天の神への信頼が 彼の心に残るでしょうか?」

「彼が、どんな目に遭っても、
天の神(大自然)を敬い 畏れる心を失わず、愛に生きる姿に戻れたときは、
天の神の誇るものを認めますので、
試してもよろしいですか?」

そう言う 堕天使に、天の神は、
「試してみよ」と おっしゃいました。
 
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天の神の許しを得て、
堕天使は【余武】の家族の命や 財産を奪い、
【余武】の身には、その姿を見た者の 心を挫くほどの むごい病を与えました。

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【余武】は、義侠心に厚く、醜い振る舞いとは無縁な男で、
神の心に沿って生きようと、心の耳を澄まし「聞こうとする人」でしたが、
突然の 降って湧いた不幸に 動転してしまい、
天の神を「問いつめる者」に なってしまいました。

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見舞いに来た 友人たち【袁:えん】、【段:だん】、【蔡:さい】の心は、
善意でいっぱいでしたが、

面変わりして、呪詛の言葉を吐く 【余武】の姿を目にしたとき、
まず、年嵩(としかさ)の【袁】の心が、挫けました。
誇らしかった友の 変わり果てた姿に、耐えられなくなり、励まそうとします。

「しっかりしろ」
「蒔かない種が、実を結ぶことは ないはずだ」
「お前は一体 どんな過ちを犯したのか?」
「あるいは、お前は 為すべき何を怠ったのか?」

友を慰めようとして訪れた【袁】でしたが、
【余武】の気持ちを 思い遣る心は、どこかに飛んでしまいました。
謙虚さも忘れ、愛の心からも遠い 説諭を語り、しかも それは 矛盾していました。

人の蒔いた植物だけが、この世に育つのですか?
いいえ。
自生する草・木は 数多(あまた)あり、蒔かれずとも生え、 結実します。

【袁】の言葉は 苦しむ【余武】の力には なりませんでした。
【余武】は 反発します。

それは 当然のことでしたが、
その激しさによって、【余武】の心から 素直さと明るさが消えてしまいました。
堕天使は、勝利に近づいた と思いました。

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知恵者であるはずの【段】は、【袁】と同じ轍を 踏んでしまいます。
【段】は 天の神を信じながら、「義人の受難」を 知らなかったので、
友の理解者に なれず、友を叱ります。

「お前の言葉は、乱暴で くどい」
「罪を認め、悔い改めろ」

励まそうとして訪れた【段】でしたが、
「ありもしない罪を認め、反省せよ」と 助言するのは、
奴隷になれ と 言うに等しい愚かなことで、堕天使を よろこばせました。

親しかった友人たちから、見当違いの言葉で 責められて、
病める【余武】は、いよいよ荒れ狂ってしまいます。

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【蔡】は、天の神を かたく信じる人でしたが、
「義人の苦しみ」については 【段】と同じく 知らなかったので、
苦難 =天罰 と 思い込みます。

乱暴な言葉を 吐き続ける【余武】が、善人に見えなくなってきました。
自分の大切な神が、【余武】に 侮辱されているように 思えてきたのです。

思い遣りを 忘れた【蔡】は、とりなしの祈りもせず【余武】に言います。
「身の程を知れ、全知全能の神に逆らうな」
「神には ただ、信じて 従えばいいのだ」

それは 偶像崇拝のような 愚かな考え方です。
堕天使は、うれしくて たまりません。

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【余武】と 友人たちの会話は、水掛け論に なってしまいました。
そこに【英】という人物が現われ、
自分の正しさを言い募る【余武】と、それを 止められない友人たちを 一喝します。

「天罰(因果応報)以外の苦難もある」
「天が警鐘として与える苦しみもある」
「鍛え上げようとして、天が与える苦難もある」

【英】の 言葉に、矛盾はありません。
【英】の 動機(義憤)も、もっともでした。

【英】を『教師の理想』だと、言う方が いるようです。
けれど 【英】の心に、
【余武】を いたわり、ねぎらう気持ちは あったでしょうか?

静かに病者に 寄り添い、
その心を あたためたいとか 支えたいと願う心が、【英】に あったなら、
天の神の 誇りに思う者は、地上に2人となったのですが、
そうは なりませんでした。
 
【英】は【余武】を見下し、愛の心が欠けていたので、正論は語れても、
【余武】の 心の嵐を 止めることは できませんでした。

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【余武】の心身は、
天の神との 対面を果たすことによって、回復しました。

堕天使の目論見は、
完全に失敗しました。

気づかぬうちに 堕天使に加担し、天の神に 呆れられた 3人の友は、
【余武】の祈りで 救われました。















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