誰かの吐いた「毒」を喰って生きている。
どんな「毒」も、食べずにおれない。
あくじき、かもしれない。(へんたい、かもしれぬ)
そんな自分。

こわばりながら、引きつりながら、生きている。…
たまに 誰かの好意に触れると、
そのよろこびたるや、はかりしれない。

人の感情(氣のようなものか?)を、食べ物に たとえて、
強がる私を、笑わば笑え。

美食・飽食に慣れている人には、多分、分からない。
好き・嫌いで、食べる・食べないを選択できる人にも、多分、分からない。

つね日頃から、飢え(空腹感)を 友(?)とし、まずいもの(苦いもの)も 喰らっている、
そんな酔狂な ヒトノコだからこそ、

まっすぐな、誰かの好意が、
いかに「美しく、尊い」ものか、思い知らされる。
…そんな恩恵も この世には あったらしい。

掃除と、挨拶だけは、しっかりやろうと思ってても、…
ままならない職場(環境)に 置かれている。

朝9時から出勤する方々は、
パートタイマーであっても、
朝礼に出たり、昼休みの休憩時間を共有するなどして、
目の前の業務に 追われるだけではない、コミュニケーションの機会を持っている。

別の(昼の)仕事を終えてから、3~4時間だけ 働きに来る方々は、
バリバリ働きながらも、マイペースと云うか、
(他部署の灯りが消え、オフィス内の人数も 少なくなるからか?)
お互いの プライベートの話題を交わしたり、
お菓子をつまみながら、伝票を扱ったりして、
それなりに楽しげ。

昼過ぎから、深夜直前まで、などと云う、
例外的な時間で 就業している私は、浮いた存在。
気づくと、忘れられていたりする。
(掃除当番だけは、当たりやすい)

忘れられるのは、仕方ないとしても、
帰りしなに 掃除をしているとき、
およしなさいと言われてしまうのには、閉口する。

私は ただ、
少しでも気持ちを晴らして、いい気分で帰りたいだけ。

他の人が、
落ちているクリップや、コピー機に 積もり積もったホコリを、
放置していることを、
糾弾する気など さらさらない。

昼や 夕方の 仲間が、
(出勤した際に 除菌ティッシュで、
電話機と、パソコンの キーボードと、机の上を 拭くのと、
掃除当番が まわってきたとき以外)
掃除と云うものを、遣らない慣例になっていることを、
暗に批判する気もない。

そう云う仕組みの 組織に入ってしまった自分を、間抜けだとは思うが、
長期にわたる被虐待の後遺症が、
強く残っていた(罪悪感と自傷衝動が強かった)ときに、選んだ職場だから仕方がない。

何故、職場への愛情表現(掃除)をするのに、
「ホコリアレルギーなので」とか、
「空気が汚れてると、鼻毛の伸びがすごいから」とか、
言い訳しなきゃならんのか?

皆が遣っていないことを、後輩1人で遣られたら、
和が乱れると、思う先輩もいるか?

『早く帰りなよ』と云うのは、多分、善意からの言葉。
パートタイマーが、就業時間後に掃除をしても、1円にもならない。
損だよと。

そんなことより、
『体調が悪いなら、早く帰りなさい』
それが、そう言う人の、正義で善意なのだろう。

でも私は、報われなくても(職場に)愛を捧げることに 決めているのだ。
次の契約は しないつもりだから、あと1ヵ月半だけどさ。

私が評価されることが、まったく期待できない。
「大好き!」と言えることが、
ヘッドホンの再起動時の電子音、
「ピピポ」だけだとしても、それを頼りに行動する。