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2009年12月1日から

トシ先生を 初めて見たのは、
政治家の秘書に連れられて行った イベント会場だったろうか?

私の目当ては 歌手(ミネハハさん?)だった。
でも、機関銃のように講演して去って行く先生を目の当たりにして、
あっけにとられた。

…私と同世代なのに、世界一寿命が短い国に行って病院作ってた?
…元 国境なき医師団?
…すごーい

トシ先生を 初めて間近で見たのは、
ボランティアの集合場所 JR某駅 改札そばの スタンプ台の前だった。

講演では、ペットボトルの問題を話しておられたのに、
コンビニ店に寄って、ボランティア参加者に、ペットボトルの飲料を買ってくれた。

事務所で郵便発送のお手伝いをするという、1日だけのボランティア活動。
私以外の参加者は皆、トシ先生のファンだったような気がする

…私は 某国立大学の心理学の教授に 振りまわされた苦痛や、
…絶対に帰って来ない人を恋しがる心 を 抱えた絶望や、
…自殺防止サイトの回答者として(7つくらいの文体を使い分けて活動し)睡眠不足で、
…無茶苦茶ハイになっていて、
…何でもいいから「良さげ」なことをして、
…脱獄中の死刑囚みたいな 心の憂さを忘れたかった。

(動機が不純だと、自覚してた)
(不純でも楽しんでやれば、ボランティアに参加しても良いみたいなことを、
 以前、永六輔さんが言ってたような気がするので、やっても許されるかと)

無料奉仕のはずだったのに、帰りに高価な写真集を戴いた。
ただ、その本の価値を下げるような
照れ隠しのようなサインをされたことは、ショックだった。


3度目にトシ先生に会ったのは、講演会場だった。
その帰り道、会場に来ていた先生のファン(知らない人)に、私は写真集を譲った。
(持っているのが悲しくなったから)

講演の質疑応答で、私は 怒られた。
質問「素晴らしい笑顔の写真集。子どもたちの名前が分かれば、もっと親しみが持てる」
応答『名前を載せたら、会いに行ってしまう 考えなしがいる。秘密が守れない』

その写真集は、
国境なき医療団が活躍するような外国が舞台で、
難病とともに生きながらも 美しい子や、お嬢さんたちが被写体だった。
写真集の売り上げは、国境なき医療活動の資金になったのかもしれない。

先生は、
難病への偏見が、現地では ひどいことを語り、
平和ボケした日本人の中に、秘匿すべき事情を おしはかることもなく、
『感動した』とか言って、
観光気分で現地に行き、宝探しのように 被写体を訪ねようとする愚か者がいると、
だから、あえて名前を載せていないと言った。

…そんなことも分からない お前もまた、平和ボケの傲慢な愚者
…そんなふうに言われた気がした。


後日、半年間 通った 臨床心理士との面談で 私は、
何度も この件について 確認することになる

…この写真集の意義は何?
…矛盾しているのは、先生の方ではないですか?
…私の無邪気(素朴)な問いは、そんなにも 忌み嫌われるべきものですか?


浜松の勇者の言葉は、
ぞっとするほど明解だった。
『表舞台から消えてゆく人だから、青少年への悪影響については、心配いらない』


講演会に行ったのは 冬だった。
写真展に行ったのは 夏の盛りだった。

カンカン照りの日、JRのN駅からバスを乗り継ぎ、
山の奥にある会場を、1人で訪ねた

写真は素晴らしかった。
さすが土門拳賞にノミネートされる腕前。
被写体の笑顔が素晴らしいのは、カメラマンの心が美しいからに違いない。

技術も上等、動機も純粋。
素晴らしい。
…でもそこは、私から遠く隔てられた世界。


私の失敗は、
先生に出会った日に、自分を一段下げてしまい、
講演会の質疑応答のときに、もう一段 自分を下げて、
写真展に行って、更に一段下げて、
どんどん卑屈になってしまったこと。


葉内花の美しさや、
ハクセキレイの優しさや、
タブの木の穏やかさに 出会えたとき、

私に写真の腕があったらと、…
心を癒し、魂をうたた寝から覚ますような、驚くべき自然の姿を、
写真におさめたいと、
トシ先生ほどの腕があったなら 不可能じゃないだろうと、思ってしまうことがある。


ブログに たまに戴く、異国からのコメントも、
トシ先生ほどの言語能力があれば、理解でき、対処でき、
もしかしたら、返事も書ける?
などと思ってしまうことがある。


純粋な心を、養いたい。
そうすればいつか、
純粋な心を培ってきた人に会っても、
仰ぎ見たり、斜に構えたりせず、
友人になれるはず。

トシ先生が表舞台に戻る日があってもなくても、
もし、どこかで会うことがあったら、
ありがとうございますと言いたい。
貴方の思い出のお陰で、
久々にブログを更新できました。

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以前、富士樹海の話を読んだとき考えた。
自分だったらどうする?

命を放棄しようと、
死地へ赴こうとする人と出会ったら。

その人は『末期ガンで余命わずか。苦痛が絶えない』と云う。
自分の死を嘆く身内もないと云う。
引き止めようとしたが、
『行かせてくれ』と懇願された。

止めることが、まるで傲慢な暴力のように思えるとき。
…私ならどうする?

…私は、
…疲れて、
…判断力が怪しいが、

…懇願し返そう。
…どうか、生きて、
…誰かを助ける可能性があるその命を、
…最後まで棄てないで、と。

…命をまっとうする あなたの存在は、
…何かが足りずに 崩れ落ちそうな、誰かを、
…救うかもしれない。

…あなたの眼差しが、
…あなたの声が、
…あなたの体温が、
…誰かを励ますかもしれない。

理屈では説明できない。
善か悪か、わからない。
単なる好き嫌い(私のエゴ)かもしれない。

でも、あなたが生きている事実は、
誰かの心の滋養になる。
だから、生き抜いて下さい、

お願いします。
警備の夜勤明け 
駐輪場で、セキレイの声に 振り返った。

ビルの建設予定地に その鳥は居て、
こちらを観察(?)しつつ、ちょこまかと動きまわっていた。

白と黒の配色が美しいその鳥は、
コールセンターから むなしく帰る朝(3年前?)や、
墓参の帰り道(昨年1月、土佐の川辺)にもいて、
私を鼓舞してくれた。

思い過ごしかもしれないけど、
その鳥は、あの日、私のために そこにいて、
私をなぐさめ、励まして、素早く飛び去って行った ようにみえた。

馬車うまか、奴隷か?
そう自問自答することが、去年は 多かった。

布団を敷く気力もなくて、
すわって しばし うたた寝しただけで、
疲れが取れぬまま、
まともな睡眠がとれないまま、
仕事に出ていき、かけずりまわる自分がおかしかった。

自殺防止サイトで、あざわらわれて出ていけと言われたときに、
意地になって、

「パソコンがないから、小容量のPHSしか持ってないから、
 自分のブログなんて出来ない。だから、ここにいるのだ」と、
「パソコンが手に入ったら、出て行ってやらあ」
「そうじゃなくても、リアルで、主治医(心の)か 相棒が見つかれば、出ていく」

そんなこと書いてた記憶がある。
あれから、6年? 7年? 

あいかわらず 私には、
パソコンも、相棒も、精神の綻びを診てくれる主治医もない。

できることは、遣りつくした、と思うのに。
ボロボロで スカスカの、ダシガラみたいになるほど 動いたにもかかわらず。

人らしい楽しみ、落ち着きとは、ほど遠い、
生活とは呼べないような、

棲息と云うか、
あの世のふちを たどるような時が、1年以上 続いたろうか?

うたどころじゃない。
でも、
うたくらいしか 楽しみがない。

インドの古語 で うたう(つぶやく)般若心経くらいしか、うたえない 私のかわりに、
セキレイ、ヒヨドリ、オナガ、シジュウカラが、
生きてるよろこびを うたってくれてた。

アイドルを紹介する 年末のラジオを、
苛々して消した自分のことを、
心が狭いと、情けなく思ったりもしたが、
 
貧しくて ひもじくて 寒くて 眠くて、
孤独で 身なりをかまう余裕もない人間が、

浮世離れしたアイドルに 耳を貸す時間を惜しむのは、
当然でしょ?

今年も、虫や鳥に心を寄せて、
日に3回くらい笑えれば それでいい。
成人の日の晩、
雪の中を、無理矢理、自転車で職場に向かった。
路側帯には、10cmくらいの雪が積もっており、仕方なく車道を走行していたら、
心ない自動車が、クラクションを鳴らして追い抜いて行った。

自転車(軽車両)が、車道を通るのは、法律では正しいことだけど、
交通弱者を邪魔者と見なして、排除したい四輪車のドライバーは、クラクションを鳴らす。

雪の中を、ヨロヨロ、ヒヤヒヤ、仕事に行かねばならない、貧しき者の心を、
踏み潰して行く。

信号のない横断歩道のたもとに、歩行者が立って(待って)いても、
自動車が止まらないことが多い。
そんなことが、常識と化している社会(日本)だから、仕方ないのか?

『車は、急には止まれない』と、言い訳して、
あらかじめ、スピードを落とすことをせず、
自動車(強者)が、歩行者(弱者)を待たすのが、当たり前の世界を、私は悲しく思う。

職場では、穏やかに仕事が出来たが、
私の着ていったセーター(キリンみたいな柄)について、先輩に注意を戴いた。
『けもの柄の服は、日本男子の大半は、不愉快に思うもの』と、インターネットの記事を見せて、説明して下さった。

「人に嫌われたって、全然かまわない」
強がりを言ってみたけど、…

もらって1回しか着てない服(古着)だけど、あたたかいけれど、
着心地は良くなかったし、職場に着ていくのは、もう止めようと思った。

朝には雪が止んでいたけど、積もっていたので、
自転車を押して、雪の道を、歩いて帰宅した。

安全な道をと、遠回りしたのに、坂道で転倒して、頭を打った。
約1時間後に帰りついたときは、力が抜けていた。

それから1週間、ほとんど動けなかった。
めまいと吐き気がして、起き上がることや、水を飲むことも、困難だった。
仕事は、休まざるをえず、森にも行けなかった。

独り暮らしは、気楽だけど、
ひとくちの水が欲しくても、
立てず歩けず、水道の所まで 行けない間は、どうしようもなく、
寝転がったまま「水…」と思いつつ、半日くらい、うとうとして、
歩ける力が戻るのを、待つしかなかった。

まだ、のどが痛む。たまに めまいがするけど、頭のコブは治った。
歩ける。仕事に行ける。

職場では うれしいことがあった。
仮眠室に、フックがついた。

仮眠室の利用者ノートは、紐でドアのノブに 掛けることになっていたけど、
そのドアノブは、レバー式で、開閉のたびに、下に下げるので、
ノートが、床に落ちてしまうことがあった。
落ちたノートが、ドアの下で開いて、つかえて、仮眠室になかなか入れない、なんてこともあった。

師走に「フックをつけてほしい」と、上司に お願いして、もう あきらめかけていたのが、先日、取り付けられていた。
とてもありがたく、うれしかった。
夜勤明け、土曜の朝。
職場の傘立てから、私の新しい傘は消えていた。
雨は止んでるから、よしとしよう。
太いビニール傘よ、さようなら。

森への坂道を、トボトボ上って行くと、
ハクセキレイの つがいが 現われた。
1羽は 歩道を歩き、
1羽は 車道へ出て行く。
優しく美しい姿。

森には、朝日が 差し込んでいた。
濡れた 玉砂利の道には、
ゲジゲジも、ミミズもいなかった。
(先週まではいた)

念のため、虫を踏まぬよう、
下を向いて 歩いていたら、
玉砂利に紛れて、小鳥がいるのに気づいた。

薄暗い中でも、美しい鳥だった。
頭は 灰色と黒で、胸は オレンジに近い茶色で、足先は 灰色。

何故、足先の色が 見えたかと云うと、
こちらに 向かって来たから。

最初に見たときは、数メートル離れた 左斜め前方にいた。
歩みを止めた私を、小鳥が見て、
少しずつ 近づいて来た。
(え? 何故?)

大きな餌に見えた?
縄張りを主張するため?
好奇心?

私の足もと、左足の10センチ前まで来て、飛び去り、
右側の森の 木の枝に止まった。

そこから また降りてきて、
こちらに向かって来る様子を見せたが、
後方から、大きな人間が歩いて来て、私を 追い越して行ったとき、
左側の森に 飛んで行ってしまった。

私は 友を選べない。
私は 来る人を選べない。
私は 去る人を追えない。

でも、
小鳥のように、のびやかに、
身体を存分に使って、心を解放することは、
実は、出来たのじゃなかろうか?

何故、許されないと 思い込んでしまったのだろう?
自分の いたらぬところや、あやまちや、罪ばかり 数えていたからか?

すっかり 重苦しくなってしまったから、
小鳥のように、飛び跳ね、うたい踊るなんて、とてもできそうにない。
でも、重いなりに 動くことはできる。

森を出ても、愛しいものに 出会えるか?
嫌いな自分を、嫌いなまま、許せるか?
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